大阪証券取引所ビル

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大阪証券取引所ビル

平和不動産の所有で、下層階は旧市場館の外観を保存したものとなっている。
エントランスホールの大型モニターには、大阪取引所の顔である日経225先物取引の取引値が表示されている。

欧州に留学。神戸事件、堺事件と続く外国人殺傷事件の解決に奔走し、明治元年外国事務局判事として大阪在勤となった。

欧州留学して外 国事情にあかるいことから、明治元年外国事務局判事として大阪在勤となった。

これが大阪とかかわる第一歩であった。

五代はまもなく官を辞し、民間に投じ、大阪の退勢ばん回に努力した。

東の渋沢栄一と並び称される五代が49才の若さで亡くなったことは、大阪にとってまことに不幸であった。

遺言で大阪の土となった。
墓は阿倍野斉場にある。

当時、街のおかみさん連中までが、「五代はんは大阪の恩人や」と語りついで、その死を悼んだ。

現代的なビルに建て替わっても、金融街の顔として親しまれた外観は残された。

吹き抜けのエントランスホールも当初からの空間。

楕円形なのは直交していない堺筋と土佐堀通の関係を調整するため。
設計者の技量が光る。

諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身である。

なお、1730年(享保15年)に設立された堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引である。

この伝統から、大阪株式取引所の草創期から帳合米取引をベースにした定期取引(および後の清算取引、現行法でいう先物取引の方法にあたる)が行われていた。

テナントは、地下1階と1階に「ポンテベッキオ」など飲食店が、2階は銀行とクリニック、3階には大阪経済大学(北浜キャンパス)が入居し、社会人向けの実践的カリキュラムを提供している。

5階は見学スペース「OSEギャラリー」(2015年2月2日オープン)となっている。

オフィス棟の上層部にはSCSKの西日本(北浜)オフィスや証券会社が多数入っている。

旧市場館は1935年長谷部竹腰建築事務所の設計で竣工。

施工は大林組。2004年の新ビルでも円形のエントランスホールの外観のみ残されている。

開業免状

大阪株式取引所設立出資者の上位は下記の6名である。

株数 出資額 氏名 属籍 出自・備考など
150 1万5000円 五代友厚 薩摩藩士 参与・大阪府判事
150 1万5000円 鴻池善右衛門 鴻池財閥 鴻池家第11代当主
150 1万5000円 三井元之助 三井財閥 京都三井伊皿子家第7代当主
150 1万5000円 平瀬亀之助 大阪千種屋 第三十二国立銀行創立者
150 1万5000円 住友吉左衛門 住友財閥 住友家第15代当主
150 1万5000円 笠野熊吉 薩摩藩士 広業商会総裁

かつて証券取引所の立会場で、手でサインを使って売買注文を伝える証券マンのことを「場立ち」と呼んでいました。

場立ちの歴史は古く、江戸時代の享保15(1730)年に幕府から米切手を売買する現物市場と、米の代表的な銘柄を帳面上で売買する先物取引が認められ、大阪に「堂島米会所」が開かれた時に遡ります。

場立ちのサインは、手話のように手の動きで売買注文の内容を表します。サインで表す内容は「どの銘柄を、何円で何株買う(または売る)か」です。

まず銘柄を表すサインですが、たとえばトヨタ自動車の場合は片手でカタカナの「ト」を書き、そのあとに両手でハンドルを握る仕草をします。
また、NTTは片手を耳にあてて電話で話す仕草、キャノンはカメラのシャッターを押す仕草をするといった具合です。

難波橋(なにわばし)は、大阪市の大川に架かる堺筋の橋。
浪速の名橋50選選定橋。
大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。

橋詰の4ヶ所に、阿(あ)と吽(うん)それぞれ2体の石造のライオン像が配置されていることから、「ライオン橋」の愛称でも親しまれている。

その後、橋本体の傷みがはげしく、架替えられたが、装飾部分は旧来のものが使われており、また戦争中などに撤収された照明灯の復元、御影石による歩道の改装なども行われている。

難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年頃に行基によって架けられたといわれている。

天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。

「浪華橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。

1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管理する公儀橋とされた。

中之島 夜景散策
日没後は橋の下側がカラフルにライトアップされ、水都に花を咲かせます。
難波橋」を渡っている時はこのライトアップに気がつきませんが、「中之島公園」へ入って分かるライトアップ、粋な計らいですね。… 続きを読む →


1912年(明治45年)に大阪市電が天神橋筋六丁目まで延伸される際、市電敷設の反対運動が起こったため、1915年(大正4年)に一筋東の堺筋に新橋が架けられた。

パリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にして製作されたといわれるこの新橋が現在の難波橋である。

華麗な照明灯、中之島公園へ降りる広い石造りの階段などが美しい。

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