大仙公園


北東に大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、南西に上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)があり、両古墳に挟まれる位置に広がっており、園内にも小古墳が点在している。


堺市博物館、自転車博物館、堺市立中央図書館、堺市茶室「伸庵」「黄梅庵」、堺市都市緑化センター、平和塔、日本庭園などが設けられている。

1989年(平成元年)に「日本の都市公園100選」、「大阪みどりの百選」、2014年(平成26年)には「日本の歴史公園100選」にそれぞれ選ばれた。


大仙公園の南半は、1629年(寛永6年)に江戸幕府の代官・高西夕雲と堺の豪商・木地屋庄右衛門によって開発された新田で、当初は万代(もず)新田と呼ばれたが、のちに夕雲開(せきうんひらき)と呼ばれるようになった。


伸庵(しんあん)

明治から昭和にかけて多くの茶室を残した数寄屋普請の名匠・仰木魯堂(おおぎろどう)が手がけて1929年(昭和4年)に建てられた茶室。

以前は東京・芝公園にあったが、福助が寄贈し、1980年(昭和55年)に現在の地に移築された。

国の登録有形文化財に登録されている。

玄関横に設けられた立礼席は、移築の際に加えられたもので、一般の人もお茶を楽しむことができる。

2007年(平成19年)の将棋竜王戦第一局の会場となった。

黄梅庵(おうばいあん)

元は、堺の商人で茶人だった今井宗久所領(現在の奈良県橿原市今井町)の豊田家にあった茶室。

明治から昭和にかけて日本の電力開発に尽力した「電力の鬼」にして近代の数寄者・松永安左ヱ門(耳庵)が、戦後に小田原の別邸内に再興した。

黄梅庵の名は、梅が熟し黄色く色づくころに完成したことから耳庵が名づけたもの。

現在の地には、耳庵の遺族から寄贈を受け、1980年(昭和55年)に移築された。

国の登録有形文化財に登録されている。
普段は内部は公開されていない。

平和塔

堺大空襲などの死者、堺市の戦没者らの鎮魂を祈念して1971年(昭和46年)に建設された、高さ60mの大仙公園のシンボルタワー。

内部は非公開だが、階段が設けられており頂上に上ることは可能になっている。

園内には医師のモニュメントか点在しているが古墳と関係あるのかな。




この蔦の絡まった古い民家、周りの景観と不釣り合いで異彩を放っている。
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