無鄰菴


無鄰菴は山縣有朋の別邸で七代目小川治兵衛の作庭。

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、当面の間無鄰菴の入場につき、事前予約制となっている。

名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。

あるいは『論語』「徳不孤必有鄰」 “徳は孤ならず、必ず隣あり” にあるかもしれない。

心地よいせせらぎを響かせる「流れ」。

実は琵琶湖から引かれたお水です。

皇居が東京に遷り、経済の衰退をたどる京都を活性化させようと行われた明治の大公共事業、琵琶湖疏水開通。

それに政治家として関わった有朋は、この地で最初に別荘を築き、疏水の水を直接引き入れました。
サイフォンの原理を使って滝口まで持ち上げる治水方法は現在もそのまま利用されています。

無鄰菴に疏水を引き込む際、「防火用水」の名目が使われている。

琵琶湖疏水の建設には多額の税金が掛けられているため、京都市としては「庭園のため」では許可出来なかったためである。

洋館2階、以前に訪れた時と比べかなり傷んでいる気がする。

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この洋館2階の間は、しばしば要人との会見に用いられた。
日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」が行われた。

その時の顔ぶれは、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎である。

南禅寺界隈別荘群の中で唯一通年公開されている庭園で、昭和26年(1951年)に国の名勝に指定されています。

洋館の2階には、伊藤博文らと山縣有朋が日露開戦に向けて話し合った「無鄰菴会議」に使われた部屋があり、当日の様子を今に伝えます。

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”おおよそ380年前の慶長16年 角倉了以によってつくられた当庭園はその後、明治の元勲山県有朋の別邸「第二無鄰庵」となり第三代日本銀行総裁川田小一郎の別邸、阿部信行首相別邸等をへてがんこが引き継いでいる。

『ねじりまんぽ』とは明治二十一年に完成した、長さ約2メートルのトンネルで、古い言葉でトンネルのことを『まんぽ』と呼ぶそうです。

『ねじりまんぽ』の真上には蹴上インクライン(傾斜鉄道)があり、昔インクラインは琵琶湖疎水による大津~京都の船運ルートとして、台車に乗った船が通っていました。

『ねじりまんぽ』は、その重さに耐えられる構造として、トンネル内壁の煉瓦を斜めに巻き、トンネル自体もインクラインと直角にならないように、斜めに掘られています。

トンネルの入口上部には、第3代京都府知事だった北垣国道が書いた扁額があります。

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