昭和レトロ庚申街道から南大阪教会

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本来の庚申街道は阿倍野区松崎町から文の里・田辺方面へ向かっていたが、現在、あびこ筋の1本西側の西田辺・長居方面へ向かう道を地元では「庚申街道」と呼んでいる。

かつてはこの辺りは「大字猿山」といい、もと北田辺村と寺岡村とのあいだで、荒れ果てた沼地でした。

それを寛文3年(1663)、地主の奥田市郎兵衛が新田に開墾。
幕府の検地を受けて「猿山新田」と称するようになりました。

ちなみに、明治初期の現阿倍野区の地には阿倍野村 (約65戸)、猿山新田(約28戸)などに農家が見られるだけで、他は一望千里の田畑で、狐狸、野鶏が棲息するような農村地域でした

戦前の大阪庶民の生活を支えた長屋には、伝統的な住宅様式から和洋折衷あるいは大胆な洋風のものまで様々な創意工夫が見られます。

阪南町界隈は大正13年(1924)に設立された「阪南土地区画整理組合」によって順次、町並 整備が行われ、その際に様々な長屋が建てられ ました。


寺西家住宅と土蔵、住宅は大正15年(1926)、土蔵は昭和10年(1935)の建築。

平成17年(2005) 国の登録有形文化財として登録されました。

大阪市内でも最初の土地区画整理地域に建てられた住宅で、玄関横に洋館のある和風建築です。

土蔵 もあり、戦前の大阪の都市景観美を伝える好例です。

庭も燈籠をはじめ、川の流れが演出され、充実しています。

昭和3年(1928)に大阪基督教会創立50周年記念事業の1つとして企画され、設計監督を担ったのが若き建築家の村野藤吾で、これが処女作です。

村野藤吾(1891~ 1984)は九州・唐津市生まれで、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業。

その後、大阪の渡辺節建築事務所(代表作・綿業会館)に入って、活動の主な拠点は大阪でした。

また昭和56年(1981)に新会堂が建築されましたが、それも藤吾の手によるもので、当時、藤吾は90歳。

これが宗教建築最後の作品となりました。
つまり、南大阪教会は、村野藤吾の処女作(教会塔)と最晩年の作品 (新会堂)とが一望できる貴重な建築物ということになります。

阪田寛夫(1925~2005)は日本の詩人、小説家、児童文学作家。
大阪市住吉区天王寺町(現・阿倍野区松崎町)生まれで、熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、南大阪教会に通いました。

その後、帝塚山学院小学校、大阪府立住吉中学校、東京帝国大学文学部に入学。

卒業後、朝日放送に入社し、ラジオ番組プロデューサーとして活躍しますが退社。

『音楽入門』で小説家としてデビューして1974年に小説『土の器』で芥川賞 を受賞。
その後も評伝『わが小林一三-清く正しく美しく』で毎日出版文化賞、小説『海道東征』で川端康成文学賞などを受賞しました。

童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ともだち讃歌(リパブリック讃歌)」「誰かが口笛ふいた(フランスの行進曲 Le Regiment de Sambre et Meuse)」などの作詞者としても知られています。

「サッちゃん」は昭和34年(1959)に書かれた童謡で、阪田寛夫が園児だった時に、1年上のクラスに「さちこ」という園児がいましたが、この「さちこ」さんに対する親しい思いを、後にこどもの詩という形に結晶させたものです。

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