陰陽師 安倍晴明のふるさと安倍晴明神社

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安倍晴明神社は、近年ブームの陰陽師・安倍晴明を祀る晴明生誕の伝承地です。

安倍晴明は阿倍野の豪族だった父・安倍保名(あべのやすな)と葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた伝説があります。

葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。

葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。

また葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃および歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまん おおうち かがみ)も通称「葛の葉」として知られる。

稲荷大明神(宇迦之御魂神 )の第一の神使であり、 安倍晴明の母とされる。

安倍晴明の出身地については、大きく分けて3つの説があります。
一、 大阪説
二、 讃岐説
三、 茨城説
この中で最も有力なのは、一、大阪説です。

『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。

むかし、阿倍野村の安倍保名(あべのやすな)が信太山の信田明神に参詣に行きました。 

神社の境内で休憩しているとき、狩人に追われた一匹の白狐が保名の足元に隠れました。  

狩に来ていたのは、騎馬の武士とその家来たちで、白狐をかばう保名は彼らと争いますが、多勢に無勢で保名は傷を負ってしまいます。

争いの最中に白狐は姿を消しますが、従者とはぐれた保名は帰途、美しい村娘の葛の葉(くずのは)に出会い、手厚く介抱されました。 

阿倍野村に帰った保名は受けた傷がともで病の床についてしまいました。 
と、ある日忘れかけていた葛の葉が看病に現れました。

実は葛の葉は人間に姿を変えた白狐ですが、保名と葛の葉は愛情が通じ合い、結婚して子供の「安倍童子」が誕生しました。

幸せな月日が流れ、ある晴れた秋の昼下がり、童子を寝かしつけていた葛の葉は、うつらうつらまどろんでいるうち、つい気がゆるんだのか、狐の身体の一部を表してしまいました。

子供が自分の姿を見て、おびえて泣いていたのを知った葛の葉は、自分の正体が露見するのをおそれ、泣く泣く分かれる決心をします。

葛の葉がいよいよ家を出るとき、縁側の障子に:

「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」

の一首を書き残しました。

社伝によると、安倍晴明神社は、晴明没後2年の寛弘4年(1007)の創設とされています。

境内には、江戸の文政年間に建設された晴明誕生の地を示す碑や、産湯の跡などがあり隆盛を極めましたが、幕末に衰退へ。

大正10年(1921)、50m南にある阿倍王子神社の末社として復興、大正14年(1925)には現在の社殿が建てられたといわれています。

能「鉄輪」

夫に捨てられた女が貴船明神に丑の刻詣をし、生霊となって恨みを果たせるという神託を受け、鉄輪を頭にいただき夫のもとへ向かう。

一方、 夢見の悪い夫は陰陽師・安倍晴明に祈祷を頼み、呪詛を励ます鬼人の力と陰陽道の調伏修法の力の戦いが繰り広げられる。

嫉妬、呪詛、復讐、凄 まじい女の情念が描かれる。

丑の刻参りと鉄輪の井
堺町筋を北に上がり、万寿寺通りを超え、松原通に出る手前の左側に不思議な路地ある。 … 続きを読む →


住吉名勝図会。

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陰陽師・安倍晴明の神秘は不滅
もともとは、修験道の祖とされる役小角(えんのおずの)などを生んだ賀茂氏が取り仕切 … 続きを読む →

清明は十二体の式神(識神)と呼ばれる鬼神を巧みにあやつって占いに活用したとされる。
その姿は奇怪で、鳥や獣などに姿を変えた。
清明の妻が式神たちの怖ろしい顔におびえるので、通常は石櫃(いしびつ)に入れて戻橋の下に封じ込めていたという。

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