早朝に住吉大社を訪れた。
汐掛け道は人通りもまばら、ちょうど側道の植え込みに潅水中であった。
外出自粛が出されており人通りはほとんどない。
ちょうど反橋の向こうから陽が昇るところです。
川端康成が、戦後に発表した、「しぐれ」「住吉」とともに住吉3部作の一つとして数えられる「反橋」には、「上るよりもおりる方がこはいものです。
私は母に抱かれておりました」と描いており、橋の傍には康成の文学碑が設置されております。
文末にあらすじを掲載しておきます。
新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言を鑑み、4月8日よりすべての業務を停止し、閉門中。
枝垂れ桜もこれで今年は見納めです。
まさかこのような形で見納めとは思いもよらなかった。
「反橋」
あらすじ
時を経て住吉を訪れた私は、宿で友人須山(故人)の書いた色紙を見つめる。
「仏は常にいませども現(うつつ)ならねど哀れなる人の音せぬ暁にほのかに夢に見え給ふ」(梁塵秘抄)。
宿の人に色紙を頼まれた私は後三条天皇の古歌を書く。
「住吉の神はあはれと思うらむ空しき舟をさして来たれば」空しき舟とは私の心、私の生にほかならないように思えるのだった。
私は遠い日を回想する。
五歳の私は母親に手を引かれ、うぶすなの住吉大社の反橋を上っていった。
「この橋を渡れたら、いいお話を聞かせてあげるわね」「どんなお話?」「大事な大事なお話」「可哀想なお話?」「ええ、可哀想な、悲しい悲しいお話」そんなやりとりの後で橋の頂上に立ったとき、私はおそろしい話を聞かされる。
今までずっと母と思っていた人は、実は本当の母ではなかった。
私は母の姉の子で、本当の母親はこの間死んだというのであった。
私は母のあごに流れる涙を見つめる。
そして私の生涯はこのときに狂ったのだった。
反橋は上るよりも降りるほうがこわいものである。
ほんとうにそのとき五歳の私が橋を渡ったのかどうか、私の妄想が描き出した夢だったのか、記憶も怪しい。
もう一度だけ住吉の橋を見たいという心に追い立てられるようにして、私は長く訪れなかった地にやって来た。
そこで不思議な偶然のように友人の色紙にめぐりあったのだった。
翌日住吉の社に行ってみると、反橋は意外に大きく、足がかりとしてあいていた穴も五歳の子どもの足では届きそうもないようであった。
反橋を降りきったところで、私は深いため息を吐く。
「あなたはどこにおいでなのでしょうか」
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