スイてます嵐山

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コロナウイルスの蔓延であちこちの観光地ががらすきです。

こんな嵐山を見るのは何年ぶりだろう。

おかげで気持ちよく観光できます。

混雑する竹林から亀山公園に向かいます。

亀山公園の由来は小倉山から伸びる屋根で山の形が亀に似ていることから、この名前がつけられたといわれています。

山頂からの桂川(大堰川)の眺めもなかなかいいものです。

ミツバツツジがきれいでした。

嵯峨天皇火葬塚

桓武天皇の第2皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。
異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。

譲位後、洛西の嵯峨院に住み、また嵯峨の山北に葬られたことから嵯峨天皇と追号された。

嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)大覚寺の近くにあり>


村岡局の像

彼女は元の名を津崎矩子といい、公卿の近衛忠煕に仕え、中臈を経て老女となり、村岡局を名乗った。

黒船来航以降、近衛忠熈が尊王攘夷派の公卿として頭角を現すと、彼女は清水寺の僧・月照や水戸の鵜飼吉左衛門らと親交を持ち、志士相互及び志士と公家との連絡に当たります。

その月照を通して知り合った西郷隆盛の活動も手助けします。

幕末に近衛家の老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。
紅葉と竹 嵯峨野の直指庵
1646年(正保3)に隠元禅師の高弟独照性円禅師が草庵を結んだのが始まり。 直指 … 続きを読む →

近衛忠熙篆額による村岡の顕彰碑があります。
小雨の大覚寺
投稿日時: 2016年7月28日
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と … 続きを読む →


角倉了以像

現在の像は2代目で、1代目の像は大正元年に建立され、戦時中の資材供出で撤去された。
現在の像は1988年に地元の有志が設置したもの。

三条京阪の高山彦九郎像、円山公園の坂本龍馬像と並んで「京都三大銅像」の一つとされている。

茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう:呉服商)、後藤庄三郎(後藤正三郎:金座の当主)と並び、京都の三長者と言われる。

保津川開削や高瀬川開削で力量を発揮して、安定した収入源を築き上げ、莫大な富を手にした。

角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑
現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を … 続きを読む →

角倉了以の石碑があります。
桜咲く伏見を散策
この暖かさで桜も一気に開花する、ここ伏見では桜祭りが開催されていた。 弁天浜の1 … 続きを読む →


今、アセビが花盛りです。

保津川下りの船が下ってきました。

保津川という呼び方も亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限ってのことであり、嵐山に入ると渡月橋の下流までを大堰川と呼んでいます。

大堰川の名は秦氏が嵐山の下流に大きい堰を設け、農耕のために水利の便をはかったことからこのあたりを大堰川と呼ぶようになりました。

嵐山から下流は桂川と呼ばれる。

謡曲「小督」の旧跡

小督局は、桜町中納言藤原成範の女(むすめ)で、宮中で美人の誉れ高く、高倉天皇(第80代、在位1168~80)の寵愛を一身に集めていた。

しかし、平清盛の女、徳子(建礼門院)が中宮であったため、平家の圧迫をおそれて、この地、嵯峨野に身を隠した。
その時の仮住居が、この「小督塚」辺りであったといわれている。

謡曲「小督」は、天皇の命により、小督局を探しに当地を訪れた弾正大弼源仲国が秋霧の間に微かに聴える琴の調べを便りに遂に局の居所を探し得たという物語である。

今でも、渡月橋の北詰にある石橋は、琴聴橋とも、駒留橋とも呼ばれ、仲国が想夫恋の曲を聴いたところと伝えられている。
                     京都謡曲史跡保存会

この「琴きき橋」には、とても美しくも切ない恋の物語があります。

そのお話のヒロインは小督局(こごうのつぼね)
藤原成範の娘。

時は平家全盛の平安時代最末期、時の帝、高倉天皇が琴の名手で京都一の美貌とまでいわれた小督を寵愛したところからはじまります。

しかし、高倉天皇の中宮(后)は平清盛の娘徳子であり、小督のことを知った清盛は大変怒り、平家からの小督に対する圧力は凄まじいものでした。

自分の身が危ういことより、自分を愛してくれる高倉天皇にわざわいがふりかかることを恐れた小督は、ひそかに宮中を去り嵯峨野に隠れてしまいます。

高倉天皇は、小督がいなくなったことを深く悲しみ、源仲国に小督を捜すように命じます。

仲国は8月10日(陰暦の十五夜)、名月の夜なら琴を弾いているにちがいないと思い、千代古道をたどり嵯峨野辺りを訪ね馬を走らせます。

二人はひっそりと逢瀬を重ね、中宮徳子よりも早く高倉天皇の子供を産みますが、しかし、またも清盛の知るところとなり、小督の髪を剃り出家さされ、二人は引き裂かれます。

哀れかな、高倉天皇は、若干21歳で崩御され、東山にある清閑寺に葬られます。

尼となった小督は、清閑寺近くにに住み、高倉天皇の菩提を弔いながら44歳まで生きたとされます。

小督局悲恋の地 清閑寺
歌の中山清閑寺、和歌や古典文学に名高い清閑寺は由緒ある寺で延暦21年(802)に … 続きを読む →


渡月橋を渡る人々の流れは緩やかです。

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