南海ホークス

若い人は「南海ホークス「」と聞いてもピンと来ないかもしれない。
今の「福岡ソフトバンクホークス」だ。

88年に南海の名物オーナーだった川勝傳が死去すると、同年9月にダイエーへの球団売却が発表された。

10月15日の南海の大阪球場ラストゲームは超満員となり、6-4で近鉄に勝利。

監督だった杉浦の「行ってまいります」というあいさつを最後に福岡へ旅立った。

2003年に大阪球場跡地は「なんばパークス」という大型商業施設になった。
最上階は植栽が植えられ、公園のようになった。

その一角に「南海ホークスメモリアルギャラリー」が開設された。

画像は杉浦の監督時代のユニフォーム。

エース杉浦忠が日本シリーズ4連投4連勝という伝説を残したシリーズ。

今では考えられない記録です。

鶴岡監督のスタジャン。

愛称は鶴岡親分・ツルさん。
初代「ミスターホークス」「ドン鶴岡」とも呼ばれた。

南海ホークスの黄金時代を築いた名監督で、日本プロ野球史を代表する指導者の一人。

一軍監督として通算1773勝を挙げた実績から、プロ野球史上最多勝監督としても知られる。
また、勝率.609は歴代監督の中でも唯一の6割超えである。

「なんばパークス」のキャニオンストリートにはピッチャーズプレートとホームベースの位置が残されている。

特徴的だったのは、37度の急傾斜だった内野スタンド。

酔っぱらいが転げ落ちた逸話もある。

ギャラリーには選手の写真、トロフィー、ユニフォーム等々記念の品が展示されている。

しかしこのギャラリーには、南海最大の功労者である野村克也に関する記録は一切残されていない。

また周辺の公園風のスペースには「なんば」にゆかりの人物の手形が展示されているが、ここにも野村のものはない。

バットやユニフォームなどの展示がないだけではない。
年表にさえも「野村克也」の文字は一切ない。

先日亡くなられた時も献花台すら用意されなかった。
いろいろと確執があったようだがそれにしても寂しすぎる。

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