大正期、帝国ホテル建設のため来日していた近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトにより、灘の酒造家・八代目山邑太左衛門氏の別邸として設計された建物。
玄関の車寄せ。
原設計は1918年で、ライトは1922年にアメリカに帰国してしまったため、実際の建築はライトのもとで帝国ホテルライト館の建設にも携わっていた遠藤新と南信が行った。
左右には景観を楽しめる大きな窓が配されています。
北側には大谷石で作られた大きな暖炉があります。
竣工は1924年(大正13年)で、芦屋市街を一望できる高台に建っている。
1947年から淀川製鋼所が所有し、社長邸や独身寮などとして使われた。
芦屋川が海に向かってまっすぐに行く寸前の折れたところの急峻な丘に階段状に建っているため、建築物が密集した現在でも芦屋川を通じて大阪湾が一望できる。
建物全体を眺めながらエントランスに導かれるアプローチ、迷路状の流れるようなプラン、室内外の空間の細かい出入りなどライトのよく使った建築手法が存分に反映されている。
畳部屋の和室が3室続いています。
浮世絵の蒐集家であったライトは、日本の美意識に自然と影響をうけたのかもしれません。
本人は否定しているようですが。
欄間の緑青の飾り銅板は植物の葉がモチーフ。
ドアなど、邸宅の随所に使われています。
敷地は南北に細長く、ゆるやかな南斜面になっており、建物はその山肌に沿って階段状に建てられている。
幾何学的な彫刻を施した大谷石、マホガニーの複雑な木組み装飾や植物の葉をモチーフとした飾り銅板など、特に2階応接室、3階和室、4階食堂などにライト建築の特徴を見ることができる。
4階バルコニー入口。
屋上のバルコニーからは、六甲の山並みや市街地、大阪湾の眺望も楽しめる。
地元の人が名付けたというライト坂。
阪急芦屋川駅から徒歩10分、芦屋川沿いを北へ登ると開森橋、地元の人が名付けたというライト坂が続き、大谷石の重厚な作りを見上げ進むと門が迎える。
マンホールのふた。
市木クロマツと芦屋浜、芦屋川の清流をイメージしデザイン。
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