甲山大師 神呪寺

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神呪寺(かんのうじ、神咒寺)は兵庫県西宮市甲山山麓にある真言宗御室派別格本山の寺院。
通称甲山大師(かぶとやまだいし)と呼ばれる。
新西国三十三箇所第21番札所。

画像は仁王門、江戸時代(1804年)建立、三間一戸八脚門(中央高屋根四脚門)

寺号の「神呪寺」は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるという。

神呪寺の本尊・如意輪半跏(はんか)像は、河内観心寺、大和室生寺の如意輪観音像と合わせて、日本三如意輪と呼ばれている。
家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされ、秘仏となっている。
融通さん、融通観音とも称されている。

なお、「神呪」(じんしゅ)とは、呪文、マントラ、真言とほぼ同義で、仏の真の言葉という意味がある。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようだ。

神呪寺は第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が開いたとする。

一方、『帝王編年記』には、淳和天皇皇后の正子内親王が天長4年(827年)に橘氏公、三原春上の二人に命じて真言宗の寺院を造らせたとある。

この「多宝塔」は天長8年(831年)に神呪寺が開創されてから1150年目にあたる昭和55年に国家安泰、十方施主、万徳円満を祈願し、神呪寺の無窮の興隆を念願して建立されたといわれている。

1200万年前に噴火したとされる。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩(いわゆる御影石)からなる六甲山とは全く形成過程が異なる。

1200万年前の活動期には大きく広がる山体を持っていた。約200万年間の活動が終息した後、侵食によりわずかに火口付近の火道周囲のみが塊状に残るに至ったことが確認されている。

神功皇后が平和を祈願して兜等を埋めたという伝説があり、またその山の形がかぶとに似ているところから、甲山と名付けられたこの山の中腹に、神呪寺がある。
ただ一般には神呪寺というより、甲山大師の名で親しまれている。

天長7年(830年)に空海は本尊として、山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像を作ったという。

この如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶した。
同日、妃は、空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とした。

如意尼が出家する以前の名前は、真井御前(まないごぜん)と称されていた。

この時、如意尼と一緒に出家した二人の尼、如一と如円は和気清麻呂の孫娘であった。

鎌倉時代初期には、源頼朝が再興する。
境内の近くには源頼朝の墓と伝えられている石塔がある。

境内から西宮市街を望む。

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