三千院の朱塗りの小さな朱雀門のそばを抜けて来迎路を目指します。
声明中興の祖である聖応大師良忍上人が建立して、天台声明の根本道場とされてより現在に至る。
なお、聖応大師は後に融通念仏宗を興され、鎌倉時代初期には多くの僧が集まり、成時には四十九院の寺坊があったと言われる。
『融通念仏』とは分かりやすく言うと「1人はみんなの為に、みんなは1人の為に念仏を唱えましょう。」
という考えで自分の唱えた念仏の功徳は、多くの人に融通し他人の唱える念仏も、自分の功徳に融通するというものです。
勝手神社の山門。
勝手明神が祀られていて、三千院、来迎院、勝林院の守護神として崇敬されています。
延暦寺に至る。
山門を抜けると小さな石の階段が見える。
階段下、差し込む冬日がきれいでした。
鐘楼の「梵鐘」(京都市指定重要文化財)は、室町時代、「永享七年(1435年)藤原国次作」の銘がある。
大原郷来迎院鐘と刻まれている。
鎮守堂 獅子飛石 地蔵堂
地蔵堂
本堂を上から。
平安時代前期に慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建したのに始まると伝えられる。
本堂
天仁2年(1109年)融通念仏の祖とされる聖応太師良忍がこの寺に入寺して再興した。
それにより勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て付近一帯は「魚山大原寺」と総称されるようになった。
以来、大原で伝承されてきた声明は「天台声明」や「魚山声明」と呼ばれる。
本堂に、鳥羽上皇による5体の仏像が安置されている。
中尊の「薬師如来坐像」(59.4㎝)(重文)は、平安時代後期作であり、創建当初からの本尊という。
また、近世になり遷されたともいう。木造、寄木造、漆箔。
右脇侍の「阿弥陀如来坐像」(59.4㎝)(重文)は、平安時代後期作。来迎印を結ぶ。木造、寄木造、漆箔。
左脇侍に「釈迦如来坐像」(58.8㎝)(重文)を安置する。平安時代後期作。定朝様式、納衣を偏袒右肩につけ、結跏趺坐する。木造、寄木造、漆箔。
脇侍は平安時代の「不動明王立像」(95㎝)、平安時代の「多聞天立像」(97.3㎝)が安置されている。
聖応大師良忍上人の御廟に至る。
近くにある塔頭の浄蓮華院(非公開、宿坊)
関連記事
コメント