天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、名称は坂下にある寺院名に由来する。
画像は銀山寺、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、半兵衛の比翼塚が建てられている。
「齢延寺」には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡、藤沢南岳父子の墓がある。
これは、司馬遼太郎「世に棲む日日」の1巻で吉田松陰が大阪に行ったときに、藤沢東畡を訪ねたというあの人物です。
松屋町筋に面する坂下の源聖寺と金台寺の間から東へ石畳を登り、上町台地の急崖に差し掛かると石段となり、少し東南東に向きを変える。
再び石畳を登り、坂上の齢延寺と銀山寺の間で水平となる。
道は坂上からも東へ伸び、中寺筋を横断して谷町筋・生玉南交差点の一つ南の辻へと至る。
下寺町(25ヶ寺)・生玉寺町(14ヶ寺)を横断し、坂上から東は生玉中寺町(12ヶ寺)を横断するため、周辺には寺院が多い。
松屋町筋から東に10mほどの石畳は、昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が転用されているということです。
上り始めは石畳の緩やかな坂道ですが、途中から急勾配で大きくカーブした石の階段になります。
「天王寺七坂」の中でも、一番複雑な構造の坂だと思います。
かつて石段を上りきった場所に昭和末期まで「源九郎稲荷」があった。
コンニャク好きの狸が祀られ、天王寺区史に「こんにやくの八兵衛」という祠があったことが記されている。
現在どこへ還座されたかは不明で、生國魂神社に還座されたと記した資料がある一方、同名の末社とは無関係との記述もある。
名前の由来となった源聖寺。
源聖寺坂の南2軒となりには新選組の大阪旅宿跡である萬福寺が。
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