中高野街道・瓜破台地


地下鉄喜連瓜破駅から中高野街道を下り、瓜破台地を散策する。

磯歯津路(しはつみち) から瓜破台地を歩く。
磯歯津路は住吉津から大和を結ぶ、古代の幹線道路で、長居公園通が磯歯津路に比定されています。

中高野街道は、北は平野郷を抜けて、守口で京街道に接続、南は三宅(松原市)を抜けて河内長野市で東西の高野街道と合流する高野山参詣の道。

旧喜連村の中と西の村境とされていたこの細い道が往時の姿をそのまま伝えている。

すぐ北の中小路との交差点にはこの街道の道標(天保四年 辻吉兵衛建立)が建っていたが、近年紛失したので、平成二十六年末、やや南側に地元有志により復元された。


昔の瓜破村の中心部には、今も立派な屋敷が残っていました。
とても雰囲気のいい旧瓜破村の中心部です。



小松神社 紀伊国に湯浅城を築いたことで知られる湯浅宗重の子・宗光が瓜破の地に住んでいた。

宗光 は過去に平重盛(平清盛の嫡男で、小松殿と称された)に危うい命を助けられたことがあり、重盛 が熊野で入水してこの世を去ったと知らされた宗光は、社殿を建てて、その霊を祀り、小松大明神 と名付けたとされます。

しかし、入水したとされるのは平重盛の子・平維盛であり、小松大明神が 重盛、維盛のどちらを指すのか明確ではありません。

小松神社はかつて大和川堤防沿いに広い社 域を持ち、東の宮と称されていましたが、鉄道の敷地となったために瓜破天神社に合祀されること となりました。

現在の社殿は地元の有志により昭和22年(1947)に再建されたものです。

廃線となった阪和貨物線

阪和貨物線は、かつて大阪府八尾市の関西本線八尾駅から大阪市住吉区の阪和線杉本町駅に至っていた貨物線の通称。

正式には関西本線の支線であり、「阪和連絡線」とも呼ばれた。
2004年に休止され、2009年に廃止された

宝永元年(1704)の大和川付け替え後、中高野街道は大和川によって分断され、瓜破渡しができました。

付け替え工事により村は南北に分断され、多くの田地を川の敷地に奪われるため、東瓜破・西瓜破両村は大和川 付け替えに反対しました。

瓜破遺跡

大和川右岸から瓜破霊園周辺にかけて瓜破遺跡が広がっている。

後期旧石器時代から江戸時代までの複合遺跡だ。

約7万年前のナウマンゾウの足跡や旧石器時代の石器工房跡、縄文早期頃の土器、弥生前期~後期の集落跡が見つかっている。

高野大橋の上流100~200m付近の河川敷から弥生土器などが見つかった。

それらの遺物の一部は瓜破下池にある瓜破会館や平野区民センター(コミュニティプラザ平野)で展示されている。

大阪市設瓜破霊園 市域拡張により大阪市の人口が増大した結 果、大阪市は墓地不足となり、昭和3年 (1928)の第二次都市計画事業として、中河 内郡・瓜破村(瓜破地域は1955年に大阪市 に編入されました)に60,200坪、豊能郡・野 田村(現豊中市)に52,400坪の墓地新設が 計画され、瓜破霊園は昭和15年(1940)5月 に竣工した。

霊園内の卍マークについて、 寺院建築跡が確認されているわけでありませんが、奈良時代の瓦や磚仏が出土したこと から何らかの寺院があった場所とされ、地名 から瓜破廃寺と呼ばれています。

合葬式墓地のモニュメントが聖地を思わせる。

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