初秋の無鄰菴
山縣が別邸無鄰菴をこの地に築いた背景には、東山山麓の南禅寺下河原一帯を別荘地として位置づけて発展させようとしていた当時の政財界の動きがあった。
「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関の草庵である。名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。 あるいは『論語』「徳不孤必有鄰」 "徳は孤ならず、必ず隣あり" にあるかもしれない。
第二の無鄰菴は、京都の木屋町二条に購入した別邸、そして第三の無鄰菴が京都・南禅寺参道前に造営した別邸で、「無鄰菴会議」の舞台ともなった場所である。
過去の訪問記
真冬の元勲の館 無鄰菴
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山県有朋の別荘 無鄰菴
「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。 最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関 … 続きを読む →
山縣有朋の別邸、第三の無鄰菴は京都府京都市左京区、南禅寺のすぐ西側、琵琶湖疏水のほとりにある。
南禅寺界隈別荘の一つ。
敷地は三角形の形状で、広さ約3100m2。現在は1941年に寄贈されて京都市が管理している。
その庭園は1951年(昭和26年)6月9日、国の名勝に指定された。
この一帯にあって広大な境内に塔頭が立ち並んでいた南禅寺は明治初期の廃仏毀釈で、他の寺院と同じく寺領の上知を命ぜられ、境内の縮小や塔頭の統廃合を余儀なくされた。
このとき上知された寺の土地はやがて民間に払い下げられた。
琵琶湖からこの地に至る琵琶湖疏水が計画され、第一期工事が明治23年に竣工する。
京都市や京都府は、この東山地区を風致地区として、将来の別荘地とする方針を取っていた。
無鄰菴は、その別荘・別邸群の先駆けともいえる存在となったのである。
無鄰菴に続くようにできた付近の別荘の作庭も、七代目植治がその多くを引き受けることとなった。
無鄰菴の庭園は、東山を借景とし、疏水から引き入れた水の流れがゆったりとした曲線を描いている。
東端には醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝。
池、芝生を配した池泉廻遊式庭園。明治の代表的造園家・小川治兵衛(植治)の作。昭和26年に明治時代の名園として国の「名勝」に指定されている。
無鄰菴に疏水を引き込む際、「防火用水」の名目が使われている。
琵琶湖疏水の建設には多額の税金が掛けられているため、京都市としては「庭園のため」では許可出来なかったためである。
第二の無鄰菴 京都の木屋町二条に購入した別邸
角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑
現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を … 続きを読む →
現在洋館の2階には山県家から寄贈されたといわれる家具が展示されているが、日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」が行われた。
その時の様子は山県有朋の別荘 無鄰菴
「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。 最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関 … 続きを読む →にあるような様子ではなかったかと。
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