黒衣の宰相と呼ばれた金地院崇伝ゆかりの 金地院

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金地院(こんちいん)は京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院。
小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されている。

南禅寺の塔頭の1つで、江戸幕府の法律外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。

先ず明智門をくぐる。

「金地院」には6つの門がありますが、拝観窓口のすぐ左にある小さめの唐門が「明智門」。

その名の通り明智光秀ゆかりの門で、光秀が母の菩提を弔うために同じ京都にある名刹、「大徳寺」に建立したものですが、明治になってここ「金地院」に移築された。

水連に半夏生が見頃。

苔が見事。




楼門、外部の通路より。

楼門から東照宮への回遊路を望む。

東照宮への回遊路。

東照宮

日本全国には約130もの東照宮が残存するといわれていますが、その中でも徳川家康の遺言に残された3ヶ所の有名な東照宮があります。

本宮である日光東照宮、御遺体が祀られてある久能山東照宮、そして遺髪と持念仏が祀られている金地院東照宮です。

東照宮としての歴史も縁もとても深いのが金地院東照宮です。

軒下に懸け仏。神式建物に懸け仏、どういう意味が込められているのでしょう。


重要文化財。
小堀遠州の作。徳川家康の遺言で建てられ家康の遺髪と念持仏を祀っている。

幕府の公式記録である『徳川実紀』によれば、家康は元和2年(1616年)4月2日、側近の以心崇伝、南光坊天海、本多正純を召し、「(遺体は)久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て後下野の国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし。

京都には南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」と遺言したという。

江戸期には京都所司代の番所が置かれ、創建当初は日光東照宮と比されていた。

拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆。

36歌仙の額は土佐光起の筆である。


崇伝像(開山堂)

開山堂内。正面に後水尾天皇の勅額、左右に十六羅漢像が安置され、奥中央に崇伝像が祀られています。

鶴亀の庭 (特別名勝金地院庭園)

崇伝が徳川家光のために作らせ、作庭には小堀遠州が当たった(遠州作と伝えられる庭は多いが、資料が残っている唯一の例)。
庭師は賢庭と伝わる。

本堂(大方丈)は重要文化財。
桁行11間、梁間7間の大規模な建物であるが、平面形式は禅院方丈に典型的な六間取りである。

すなわち前列中央が「室中」、その奥が本尊地蔵菩薩像を安置する「仏間」。

西側は奥が「富貴の間」(衣鉢の間)、その手前が「次の間」(檀那の間)、東側は手前が「鶴の間」(礼の間)、奥が「菊の間」(書院の間)となる。

亀島に視点を移す。

こちらも鶴島と同様に築山に石を組み亀島を表現。

特に築山に植えられたヒノキ科の真柏(しんぱく)が趣ある。
幹が朽ち果て白骨化した舎利(しゃり)となり、まるで盆栽のようだ。

作庭当初からこのような姿だったといわれている。

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