吉野郡十津川村大字旭字迫に所在していた山間の家で、農林業を営み、幕末頃には村役を務めたと伝えられている。
屋敷は狭い谷間の山腹を削って作られ、主屋をはじめ表門、納屋、物置の付属屋から構成されています。
主屋は棟札から文政4(1821)年に建てられたことがわかっています。
桁行12.5メートル、梁間7.3メートルの切妻平入の構造で、屋根は杉皮葺です。内部は「だいどころ」、「でい」、「なんど」、「ひろえん」などに分かれています。
この家が所在した当地は「迫と背中は見ずに死ぬ」言いならわされたほど山深い峡谷の地である。
また、全国でも最多降雨の一地帯であり、さらに季節によって、風が谷間から猛烈に吹上げる土地柄でもある。
その様な厳しい自然環境のため、県北部の民家とは姿や間取りが大きく異なっている。
主屋の建築当初の規模(間口4間、面積16.5坪)から増築をへて、さらに納屋・表門が建てられ、屋敷構えが拡充してきた過程も併せ示す好資料である。
関連記事