尼崎寺町散策 善通寺

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永禄年間(1558-69)覚阿上人の開基と伝えています。

時宗の四条派金蓮寺の末寺ですが、尼崎は一遍上人遊行の地として深い関わりがあり、近在の時宗寺院の筆頭の位置を占めていました。

寺内には秦武文の碑が建てられ、境内八角堂には首無し地蔵がまつられて信仰を集めています。

当寺は、時宗四条派大本山金蓮寺末三大寺の一寺としてたびたび法主を出した由緒ある寺院。

本堂は宝永3年(1706)の大修理を受けていますが、移築当時の様式をそのまま伝えているようです。

寺内には秦武文(はたのたけふみ、右衛門府の下官)の碑が建てられています。

「後醍醐天皇」の皇子、「尊良親王」は土佐国(とさこく:高知県)の幡多(はた)郡へ配流されたとき、秦武文がお供をしました。

妃を土佐に迎える途中尼崎で海賊のために奪われ、ついに自決した南朝方の忠臣悲話(太平記、「金ヶ崎恋物語」)が伝えられています。(尼崎市教育委員会)

この時期アジサイが見頃です。

【首無地蔵尊由来】
 
今を去る三百年前、善通寺境内に霊験あらたかな地蔵尊がお祭りされていましたがいつの頃にか心無い者が、お首から上をとって庄下川に捨てゝしまいましたので、それから以後、人々は首無地蔵尊と呼び参詣者の絶えることがありませんでした。
 
或る時、此の地に住む一漁師が沖で網打ちをしていたところ、地蔵尊の御首が網にかかりましたので、日頃信心深い漁師はその御首を我家に持ち帰り、朝夕お祭りをしていたところ、或夜、夢枕に相形あらたかな地蔵菩薩が「我は善通寺の地蔵なり、我をば元の座に据え置けば我首は無きものとして首から上の病を治すなり」と一度ならず二度迄も御告げがあり漁師は早速時の住職、学解上人に此の事を申し出て御首を元の座に戻しますと不思議な事に、御首胴が一致したので、上人は此の尊像が尋常でない事を知り広く世の人々の篤志を仰いで地蔵堂を建立して、御尊体を奉祉されたもので、今に至る迄、病気入学老人ボケ等、諸々の願掛けにお詣りする人々は絶えませんでしたが、昭和20年6月1日戦災によって御堂を消失致しましたが御首から上はご無事で残られました。

古くは、海に流されたり余程御首から上に御正念の有る地蔵大菩薩と思われます。
 
昭和37年7月に、現在の檀家、信者の多数の方々の御協力を得て、現在の八角堂が新しく建立されて、お堂内には、其御首が厚く御まつりされて今日に至っております。(資料:善通寺)

【首無地蔵尊御詠歌】
一番
 ひきよせて むすぶ
 心は 首地蔵
 我が手に もれな
 老いも 若きも

二番
 昔より こゝに
 おさまる 首地蔵
 たすけ たまわる
 すがる わが身を

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