文化財が多く、塔頭が6院ある、寺町の中心的寺院。
日隆が尼崎に布教した時、細川満元は夫人の懐妊に際し、男子誕生の祈願を依頼。
無事に男子が誕生し、その礼として本興寺が建立された。
本能寺が伝道の中心地であったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置された(現・学校法人法華学園興隆学林専門学校)。
「天下五剣」の一振で、日蓮聖人の愛刀だった数珠丸恒次を所蔵する。
日蓮聖人が身延山にお寺を建てようとした時、護身用に寄進されたのがこの数珠丸でした。
号はその柄に「数珠」をかけていたことから。
この時、身延山(現在の山梨県)に建てられたのが日蓮宗総本山・久遠寺です。
数珠丸は江戸時代に一度行方不明になり、大正時代に再発見されましたが、諸事情から身延山に返されることはかなわず、ここ本興寺の重宝となりました。
日蓮大聖人銅像。
台座の正面には日蓮大聖人ご真筆より集字した「末法下種」が 金文字で表され、お題目の信仰が人生に光明を与える原動力に なることをよびかけいるそうです。
鐘楼 – 1633年に建立。
境内も広く散策も自由、清掃も行き届き気持ちのいい寺です。
本堂 – 1822年に焼失、1827年に再建された。
よく目立つ三重の塔、納骨堂です。
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