船町の渡しで鶴町へ


船町渡船場は、大正区鶴町1丁目と同区船町1丁目を結ぶ(岸壁間75メートル)。

平成29年度現在、1日平均約196人が利用している。
昭和20年代後半から30年代にかけて、川幅が狭いことを利用して対岸まで船を連ね、その上に板を敷いて人や自転車が通行していた。

対岸の鶴町、距離が短いため、他の渡船がS字に航行し対岸に向うのに対しU字に航行する。

そのため、乗客は左舷から乗り込み左舷から降りることになる。

船町の渡しのある木津川運河は大阪市大正区と住之江区の境界を成す下流の木津川から分かれ、大正区南恩加島・鶴町と工場地帯の船町間を西へ流れる。

その途中、北から大正内港が合流し、大阪港に流れる

大正区内には鉄道がほとんど整備されておらず、鉄道駅は大正駅が北端に所在するのみである。

区内の公共交通はおおむね大阪シティバスが担っている。

南部の鶴町地区(鶴町四丁目停留所)と大正駅(大正橋停留所)との間は早朝から深夜まで比較的運行頻度が高く、昼間でもあまり待たずに乗れる程度の本数を確保している。

大阪市内には8ヶ 所の渡船場があり、 そのうちの7か所 が大正区にある。

渡し船は江戸時 代から始まってい ますが、いまも大切 な役割をはたして います。

※渡船場は その他に千歳・甚兵 衛・船町・千本松・木 津川とあります。 (利用者数:1日約 5800人)。

鶴町地域は、市の築港計画(明治 30 年~昭和 3 年)による埋め立て によって造成され、大正 8 年 3 月、「鶴町」「鶴浜通」「福町」と いう新しい町として誕生した。

鶴町の町名は聖武天皇の「難波宮 なにわみや」の近くの光景を「田辺福麻呂( た な べ さ き ま ろ)」が詠んだ「潮干れば葦辺に騒ぐ白鶴(百鶴とも)の妻よぶ声は宮もとどろに」(万葉集巻 6 -1064)から「鶴」を、また福町は、この詠者の「福」からとられたもの。

神明神社は内平野町の神明宮の遷座したもの。

内平野町へは元和二年(1616)に、山城洛西の西院から勧請された。

『摂津志』には熊野王子社の第一王子である窪津王子祠とされているが、その場合には神明社勧請以前に祠が残っていたと言うこと。

鶴町へは、大正十三年(1924)八月に遷座した。
埋め立て地にも鎮守は必要だからだろう。

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