聖武天皇謎の彷徨 恭仁京を訪ねる


740年、聖武天皇は平城宮を離れ、恭仁宮(京都府木津川市)に遷都。

しかし、恭仁京の完成を待たず744年には難波宮(大阪市)、翌745年には紫香楽宮(滋賀県甲賀市)に都を移します。

有名な大仏建立の詔は紫香楽宮で出され、建立が始まります。

なぜこのように頻繁な遷都が繰り返されたのでしょう? 理由はよくわかっていません。

宮跡は山城国分寺跡と重複し、合わせて国の史跡に指定されている(指定名称は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」)。

現在は、大極殿(金堂)礎石と七重塔礎石が残り、恭仁宮跡周辺では晩夏から秋にかけて、蕎麦の花、彼岸花、コスモスが見頃となります。

大極殿(石碑)から北方面を見る。(田圃一帯を恭仁京跡地として保存されている)
13年度の調査で「内裏西地区、内裏東地区」が確認された。
築地塀、掘立柱塀などで囲まれていた。

今(いま)造(つく)る、久迩(くに)の都は、山川(やまかは)の、さやけき見れば、うべ知らすらし

大伴家持

山の中腹に 聖武天皇の勅願と伝わる海住山寺(かいじゅうせんじ)が見えている。

大極殿基壇の北西隅に残る礎石、他に、南西隅に九重の石塔の台座として使われている礎石など数点があった

塔の心礎(大きさは人の大きさで判断ください)

そろそろ残り柿が郷愁をそそる季節となりました。

なぜこのように頻繁な遷都が繰り返されたのでしょう? 諸説あり、理由はよくわかっていません。

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この時期の風物詩 野焼きも見られます。

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