蟹満寺


蟹満寺(かにまんじ)は、京都府木津川市山城町綺田(かばた)にある真言宗智山派の寺院。
山号は普門山。

本尊はかつては観音菩薩であったが現在は飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造釈迦如来坐像(国宝)が本尊となっている。

寺の所在地の地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。

寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったもの。

この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる。

本堂は、2010年4月に完成したとても新しいものです。

本堂の梁や瓦、境内の燈籠やお賽銭箱など至る所に蟹さんがいます。

この蟹の紋は、牡丹の花を蟹にアレンジしたの紋なのだとか。

言われると確かに!ボディーが牡丹の花で、目や手足が葉っぱになっています!!

この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。

その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。

今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。

銅造釈迦如来坐像(国宝)

像高240.0㎝。本来は鍍金がほどこされていたが、頬のあたりに鍍金の痕跡を残すのみで像表面は黒色を呈する。

右手は胸の辺に上げ第一指と第二指で輪をつくり、左手は掌を上にして膝上に置き、第三指を軽く曲げる(ただし、第三指の半ばから先は木製の後補)。

材質、像高、前述の両手の印相などの図像的特色を含め、奈良・薬師寺金堂薬師三尊の中尊薬師如来像との類似が指摘される(薬師寺像の像高は254.7cm)。

様式的には興福寺仏頭(もと山田寺講堂本尊、685年開眼)と薬師寺像の中間に蟹満寺像を位置付けるのが通例であるが、天平期(8世紀)に入っての作とみなす説もある。

この仏像の注目ポイントは、お釈迦様の手。

仏様を表す際の三十二相のルールのうちの一つ「手足指縵網相(しゅそくし・まんもう・そう)」がはっきりとわかります。

手足指縵網相(しゅそくし・まんもう・そう)とは、指のあいだにある水かきのような膜のこと。
たくさんの人を救えるようにとこのような水かきがあるのだとか。

この水かきは、悟りを開いた如来では第一関節からあり、悟りを開く前の菩薩では第二関節からあるそうです。

上記の蟹の報恩潭は観音霊験説話であり、当寺の山号の普門山も法華経の観世音菩薩普門品に因むものであることから、当寺の本来の本尊は観音菩薩であったとみられる。

現在も寺の入口付近に観音堂があるが、本尊は釈迦如来に変わっている。

本尊の銅造釈迦如来坐像(像高240㎝)は飛鳥時代後期(白鳳期)の作であるが、造像の由緒は不明で、当初から蟹満寺にあったものか、他の寺院から移されたものかについては諸説ある。

市章入りクボタシーアイ製のマンホール。
汚水管ハンドホール蓋

町の木モミジと町の花キク、特産品である筍とお茶をデザイン。
旧町名「やましろ」と入っていますが、中央のマークは新の木津川市のもの。
汚水管マンホール蓋

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