ジオラマで知る「川口居留地」

大阪住まいの今昔館8F、明治から戦後にかけての大阪を代表する住宅地を再現した住まいの大阪六景の精密な住宅地の模型があり、マニアの間ではちょっと名が知られている。
何度かに分けてお届け。

大阪は慶応3年12月7日(1868年1月1日)に開市、翌4年7月15日(1868年9月1日)に開港となり、外国人が大阪に住めるようになりましたが、その場所は、居留地とそれに接続する雑居地(外国人が日本人の家屋を借りて住
むことが認められた地域)に限られていました。

川口居留地は、慶応4年(1868)の大阪開港に伴い、安治川と木津川に挟まれた弾丸型の土地に作られました。

26区画、7746.5坪が競売され、5日前の神戸居留地を上回る高値で、イギリス人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、オランダ人が永代借地権を得ました。

しかし、貿易の窓口としての川口居留地の繁栄は短く、貿易の中心はしだいに神戸に移りました。

貿易商人に代わって居留地に入ってきたのは宣教師たちでした。

川口はキリスト教伝道の拠点として再出発したのでした。

道路には歩道、街路樹、街灯が整備されて、西洋館が立ち並び、西洋式の生活様式に求められる施設が周辺に数多く生まれ、文明開化そのものであり、大阪における西洋文化の窓口でした。

川口居留地は、英国との間で不平等条約が改正され、国内の居留地が撤廃されることになる明治32年7月まで存続していました。

この模型は、聖三一教会(3番館・右奥)を中心に明治10年(1877)頃の川口居留地を1/50のスケールで再現しています。

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