宇治橋の守り寺 放生院


604年(推古天皇12年)、聖徳太子の発願で創建されたのが始まりと伝えられている。
 
1281年(弘安4年)、西大寺の叡尊によって中興された。

叡尊は1286年(弘安9年)に宇治川の中州に十三重石塔を建立し、橋寺で放生会を行ったという。

そのため、橋寺は放生院とも呼ばれるようになった。

山号は雨宝山。
寺号は常光寺。
通称の「橋寺」の由来は、近くの宇治川に架かる宇治橋をこの寺が管理していたことによる。

寺伝によれば、推古天皇11年(603年)、聖徳太子の命を受けた秦河勝が宇治橋を架けた折、当寺も開創されたという。

ただし、境内にある宇治橋断碑の碑文によれば、宇治橋は元興寺の僧・道登によって大化2年(646年)に架けられたという。

鎌倉時代後期の弘安4年(1281年)、勝宝山西大寺(南都西大寺)の再興などで知られる僧・叡尊によって、当寺も再興された(『感身学生記』)。

文明11年(1479年)兵火に遭い室町幕府の援助などにより復興されたが、江戸時代の寛永8年(1631年)にも火災に遭い、焼失した。

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