大正駅界隈

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大正駅周辺には沖縄県からの移住者が多く住んでおり、駅周辺には沖縄料理店が点在する。

大阪の島と言われた当地と都心をつなぐルートとして、大正4年(1915年)市電開通とともに架けられた大正橋は、当時わが国最長のアーチ橋で、当区名の由来ともなっている。

新橋が昭和49年に完成、あまり知られていませんが、橋の欄干は五線譜となっておりベートーベン作曲の第九の音符が、歩道にはメトロノームとピアノの鍵盤が刻まれています。

三川合流の地

「尻無川・木津川・道頓堀川の三川が合流する様子が眺められる珍しい場所。
大正区・浪速区・西区が交わる地点でもある。

左は岩松橋と岩崎運河「豪商・福西岩松が架橋したので岩松橋と名づけられた。
橋下を流れるのは岩松運河で、これは大正9年に開削された。・・・・」

「江戸時代、尻無川は商都・大坂の玄関口として発展した。

春は潮干狩り、秋は櫨(はぜ)の紅葉などで賑わい、「浪花百景」や「摂津名所図絵」にも記されるほど大坂庶民の遊興の地として有名でした。

また秀吉の朝鮮出兵で国交が断絶していた朝鮮との交流が幕府の努力によって再開されると、尻無川は「唐人澪」と呼ばれ、華やかな国際交流の舞台となり、平和への玄関口ともなりました。

大地震両川口津波跡

「嘉永7年の大地震で水上なら安心と小船や茶船に乗って遭難する人が数多くいた。

ところが大坂湾に海嘯現象(河口に入る潮波が垂直な壁となって河を逆流する)が発生して多くの人が波に呑まれ、甚大な被害を及ぼしました。

石碑は惨状と教訓を後世に残すべく、地震・津波時の心得を記しています。

木津川口遠見番所跡(きづかわぐちとおみばんしょあと)
 
木津川は大坂の経済を支える大動脈として諸国の船の出入りで賑わいました。

当地は、昔、「姫(ひめ)島」と呼ばれておりましたが、義民として名高い中村(木津)勘助が、慶長15年(1610年)に豊臣家のために軍船係船所の建設や船着場の整備等を行い、その功により「勘助島(かんすけじま)」と名付けられました。
 
江戸時代になって、幕府は宝永5年(1708年)に「木津川口遠見番所」を現在地に設けました。

また、西方には幕府の官船等を収容する「御船蔵(おふなぐら)」(岩崎橋公園附近)がありました。

中村勘助の記事はこちら義侠木津の勘助の地をゆく
木津勘助(本名・中村勘助)は、慶長から元和にかけて活躍した土木技術者で、木津川を … 続きを読む →


大阪ドームのある千代崎3丁目は、もともと寺島(千代崎1・2丁目方面)と勘助島(大正区方面)に挟まれた川とも芦原ともつかないような場所で、1757年(宝暦7年)に前田屋新田、1773年(安永2年)に岩崎新田が開墾されて漸次陸地化した経緯を持っており、地盤は軟弱。

加えて、1952年(昭和27年)に尻無川の上流区間が埋め立てられたが、大阪ドームはその埋め立てられた川跡にまたがって立地している。

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