越中高岡に 大友家持を訪ねる 勝興寺

北陸
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勝興寺境内は天平の昔、越中国庁の所在地でした。
大伴家持は、746年(天平18年)に越中守に任じられ5年間、越中国(現在の富山県・石川県能登地方を指す)に在任し、この越中国庁で政事を行った。

鼓堂 – 享保18年(1733年)建立。
総門をくぐった正面、掘割に面して建つ2層の建物で、城郭の櫓(やぐら)に似た外観をもつ。

本堂内陣。

勝興寺(しょうこうじ)は、富山県高岡市伏木古国府にある浄土真宗本願寺派の寺院。
山号は雲龍山。本尊は阿弥陀如来。文化財を多く有することで知られる。

勝興寺の起こりは文明3年(1471年)、蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に創建した土山御坊で、蓮如の四男蓮誓が置かれた。

その後明応3年(1494年)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転。

火災による焼失後、永正14年(1517年)、佐渡にあった順徳天皇御願寺勝興寺(殊勝誓願興行寺)を再興、寺号を相続して「勝興寺」 と称した。

敷地は土塁・空濠で囲まれており、越中の国府跡という伝承がある。

もののふの 八十やそをとめらが 汲くみまがふ 寺てら井いの上うへの 堅かた香子かごの花
巻19-4143  大伴家持

(もののふの)たくさんの乙女らがいり乱れて汲みあう、御寺の井戸ばたのカタクリの花よ。

作者は、越中の国府が置かれていた高岡に長官として赴任していたときに、国庁近くの寺井という場所に咲いていた花に目をとめて、詠ったもの。

この地で花の見られるのは4月初めのころ、訪れた時は盛りを過ぎ花影もまばら。。

万葉集中では、「かたくり」を詠った歌は、この1首のみ。

勝興寺前の公園の一角に建つ家持像。

家持が富山に赴任した29歳当時のりりしい姿がモデルで、高さ2.30cm。
手に持った筆や腰の刀は、正倉院の宝物を参考にして作った。
          
台座は御影石、歌碑は家持が万葉集の中で詠んだ小矢部川上流の石を使った。

伏木観測所 なんだか無人の建物のようだ。
現在も活躍中-なんと100年以上現役選手です

1998(平成10)年に無人化されましたが、伏木特別地域気象観測所(旧伏木測候所)として全国に日々気象データを供給しています。
実に、100年以上日々欠かすことなく気象情報を記録しつづけています。

大伴家持が住んだであろう国司館の跡が、気象観測所の敷地から発掘されている。
付近は古国府とか、古府(ふるこ)といった地名が残り、それが何よりも雄弁に歴史を今に伝えている。

朝床に 聞けば遙けし 射水川
     朝漕ぎしつつ 唱ふ船人

家持の愛した、のどかな風景である。

この高台にも東館(ひがしだて)という小字名が残っている。

真下に射水川(現在の小矢部川)が流れ、眼前には雪の立山連峰を望む景勝の地であった。

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