越中高岡に 大友家持を訪ねる 高岡市万葉歴史館

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万葉歴史館は、万葉集の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持にちなんで作られた博物館。
かつて大伴家持が政務をとった国庁跡にほど近い、眺望のきく場所に万葉歴史館があります。

「万葉集」の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持は、今から約1200年前、越中国守としてこの高岡の地に5年間在任した。
 
その間、「万葉集」全巻の収載歌約4500首のうち、家持によって越中で詠まれた歌は220余首であり、さらにゆかりのある歌を加えれば337首にものぼります。
 
この地の美しい風物を詩情豊かに詠んだこれらの歌は、「越中の万葉」として、今なを光彩を放っています。
 
このようなことから高岡市は、大伴家持を通して「万葉集」の全国有数の故地のひとつとなっています。

   二上山の賦 巻17-3985 大伴家持

射水川 い行く廻れる 玉くしげ 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れ 神丙や そこば貴き 山丙や 見が欲しからむ すめ神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒磯に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の  いや増しに 絶ゆること無く 古ゆ 今の現に かくしこそ 見る人ごとに かけてしのはめ 
 (訳)
射水川が麓を流れめぐっている( 玉くしげ)二上山は、春の花の咲いている盛りや、秋の葉が美しく色づいている時に、外に出て振り仰いで眺めて見ると、神霊(神山)のせいで非常に貴いのであろうか、山の本性ゆえにいつも眺め見たいと思われるのか。

この神山である二上山の山裾の 渋谿の崎の荒磯に、朝なぎの時に寄せる白波や 夕なぎの時に満ちくる潮のように、いよいよますます絶えることなく、昔からずっと現在に至るまで このようにして見る人全てが これからも心にかけて賞賛するであろう。

玄関前には家持と妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)の像が。

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ
(19-4139 大伴家持)

大伴家持(おおとものやかもち) 奈良時代の政治家・歌人 養老2(718)年~延暦4(785)年
若い頃 内舎人(うどねり・天皇のそばに仕える雑用係。有力氏族の子弟が選ばれる)として聖武天皇に仕える。
29歳  越中国の守(かみ・長官)として赴任。
  ※越中国の守在任中に詠んだ歌が『万葉集』に223首残る。
34歳  少納言となって帰京。
帰京後 最高傑作とされる「春の愁(うれ)いの歌」を詠む。
37歳  兵部少輔(ひょうぶしょうゆう・現在の防衛省次官に近い職)につく。
      防人(さきもり)の歌を集める。自らも防人に同情した歌を詠む。
42歳  因幡国(いなばのくに)の守として、正月の祝いの歌を詠む(759年)。
  ※これ以降亡くなるまで約20年間の歌は残っていない。

坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)  家持の妻
母は坂上郎女(さかのうえのいらつめ)。家持のいとこでもある。妹がいる。

家持と仲が途絶えたことがある。家持の任期後半から越中にくる。家持に歌の代作をしてもらっている。

母の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)は歌の師匠。大伴家の家刀自。若い頃は恋多き女性とも。万葉集で一番歌数が多い女性歌人。

家持の妻、大伴坂上大嬢の朝服

家持の妻の坂上大嬢は、家持の任期途中から越中に同行した。
五位以上の夫を持つ妻(外命婦)は、夫の位階に相当する色の服の着用が許された。

上から順に、「浅い緋の衣」・「浅い紫・浅き緑の紕帯(そえおび)」(薄緑で薄紫を縁どりした帯)、「蘇方(すおう)、浅い紫、深い緑、浅い緑の纈裙(ゆはたのも)」(蘇方、薄紫、深緑、薄緑の縦縞プリーツスカートで、絞り染めの模様を配したか)・白い襪(したくつ、親指が割れていない足袋)・「烏皮履(くりかわのくつ)」(底が一重の先が反り返ってとがったくろい漆塗りの革靴)

なお「浅緋」は茜で染める。

屋上自然庭園をのぞむ。

今日のためと 思ひて標しめし あしひきの 峰をの上うへの桜 かく咲きにけり
            巻19-4151  大伴家持

今日の日のためにと思って標をした(あしひきの)峰の上の桜は、こんなにも咲いたなあ。
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