素晴らしいパノラマ眺望 曽爾村・屏風岩

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屏風岩(高さ868m)は兜岳の西側にあり、奇鋒がその名の示すように南面にあたかも屏風を立てたように屹立しています。

朝からの雨は止んだが気温は11℃、風が肌寒い。

眼下の駐車場から上ったが普段の不摂生がこたえる。

頂上はかなりの広さの高原で室生の山々の眺望が何とも言えず美しい、この時期登山者は少ないものの弁当を広げる人たちも見られる。

頂上にある早高神社の会式は4月下旬に行われ、午後3時頃より「ごくまき(餅まき)」行事がある。

その幅2km、鋸の刃のように鋭くそびえ、垂直に柱状節理の岩壁が約200mの断崖をなしている。
樹齢100年を超す大木のヤマザクラ約300本が咲き乱れる。

しかし、この時期まだまだ桜の蕾は固く一面枯野原。

中新世中期の初め、つまり今から1450万年前~1500万年前に噴出した火砕岩が広く分布。

この火砕岩は厚さが200m以上もあり、溶結した流紋岩質火山礫凝灰岩から構成されていますが、通称、室生火山岩と呼ばれている。

室生火山岩は侵食に対して強く見事な柱状節理も発達しているので各地に美しい景観をつくっている。

室生火山岩を堆積した火砕流は室生火砕流と呼ばれていますが給源となった火山の所在についてはいろんな調査研究を経て最近では南の大台ケ原山付近にあったとする考えが有力。

室生火砕流に関連する紀伊半島の火成活動は、熊野酸性火成活動と呼ばれており、紀伊半島では橋杭岩、一枚岩、鬼ヶ城など多くの景勝地を生み出している。

なお室生火山岩の屏風岩は近くの兜岩・鎧岩とともに昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定されている。

天皇に逆らい逃避行へ走った古代の恋人たちに思いはせる

屏風岩は、古代の悲恋物語の舞台でもある。

仁徳天皇の弟、隼別皇子と雌鳥皇女との悲恋が『古事記』と『日本書紀』に記されている。
 
仁徳天皇は雌鳥皇女を妃に迎えようと弟の隼別皇子を使いに出したが、雌鳥皇女は隼別
皇子の妻となることを望み、天皇の許しを得ずに二人は夫婦になる。

しかしこれは天皇の命に背く大罪である。

隼別と雌鳥は手を取り合って逃亡した。
 
それを知り、さらに謀叛の疑いを持った天皇は二人に追っ手を放ち、殺してしまう。

『古事記』には、二人が曽爾に至った時に捕えられたとある。

同地は古代から伊勢へと抜ける通り道であった。

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