港へつながる道を支配した葛城氏

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早春の一日葛城古道を散策した。

じつは、南北に延びる葛木古道一帯は、1600年以上も昔に、大和朝廷を支え興隆した古代豪族の「葛城氏」や、もっと昔には、「鴨氏」の本拠地だったところだ。

菜の花が咲き遠く飛鳥の地をのぞむ古道の道は快適なハイキング道。

さらには、九州の宮崎の高千穂と本家争いをしている神話の「天孫降臨」の地であり、天照大神が治めたと言われる「高天原」はこの「葛城山地」にもある。

金剛、葛城の山すそ、煙りたなびくのどかな田園風景。

そろそろ早咲きの桜も見えて気持ちのいい一日。

一言主神社を過ぎ九品寺(くほんじ)への道は葛城古道の中でも一番風情のある場所。

5世紀末ごろに、この地方で勢力を振るっていた豪族の葛城氏の本拠地があったところで、日本を代表する古道の一つ[。

起伏が多い道筋に沿って史跡や古寺社が点在し、高鴨神社、鴨都波神社、鴨山口神社など「鴨」の名を持つ神社と、葛城坐一言主神社、葛城水分神社、葛木坐火雷神社など「葛城」の名のつく神社が多い。

全長およそ13km。「西の山辺の道」ともいわれており、現在の国道24号ができる前までは、この地域の幹線道路として重要な道路であった。

ここは第2代目天皇になった綏靖天皇の高丘宮跡の伝承地で、古代天皇家とも深い縁戚関係で結ばれていた葛城王朝の葛城高宮もこのあたりだったと伝わっているところだ。

また、この辺りは第十六代仁徳天皇の皇后・盤之媛の故郷と言われ、皇后が熊野に行っている問に天皇が八田若郎女を宮中に入れ遊び戯れているのを知り、大いに怒り(この場所を自分の家と呼ぶ)歌を詠んだとされる。

ここで昼食を兼ねた休息をとることに、目の前の眼下には奈良盆地が見渡せ、盆地中央には万葉集で有名な「大和三山」が見渡せる絶好のビューポイント。

司馬遼大郎は『街道をく1』の[葛城みち]の章て、蘇我氏の特徴に「開明王義」「大陸との交通や貿易の独占」「帰化人の技術者を集め産業勢力を形成」したことを挙げた。

実はこれらは葛城氏にこそ当てはまる特徴て、蘇我氏か葛城氏から分かれた一族という説を思い赳こすと、共通点があるのもうなすける。

大和から陸路で真土峠に向かうと、そこからは紀ノ川を下って紀水門に出ることができる。

当時、朝鮮牛島から来る船が着く港は難波津と紀水門にあった。
難波津は天皇の直接支配のもと、海の玄関口として発展する。

もうひとつの港てある紀水門ては、風の森峠に至る高野街道沿いに5世紀前半から6世紀頃の古墳が点在しており、朝鮮半島由来の副葬品か多数発見されている。

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風の森峠の道路遺構は葛城氏か造ったものて、紀水門と葛城をつなく道てある可能性か高い。

葛城氏が築いた葛上斜向道路は一族の衰退とともに6世紀には廃絶され、替わって巨勢道が紀水門へのメインストリートとなる。

「あなたの知らない古代史」参照

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