常寂光寺・青もみじと苔の撮影スポット


常寂光寺は京都市の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院。

山号は小倉山。
旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。

山門

太い角材を格子に組んで造られた山門は、江戸後期に作り変えられたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。

閉門しても墨色に塗られた角柱の格子の間から参道が見える開放的な山門です。

「常寂光寺」はそのまま読むと常に寂しく光ってるお寺。
あまりいい名前とは思えないのですが、その由来は「常寂光土」という仏教用語から。

常寂光土とは「天台宗で言われる四土(しど)で一番最高の世界。
真理そのものが具現化されている世界」という意味だそう。

少し噛み砕いた説明をすると「仏様の住む世界は四つあって、その中でも一番の理想郷」という風になります。

ハスのきれいな季節です。

平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。

歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備された。

百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、境内の庭園には200余本のカエデが植えられており、秋は全山紅葉に包まれる。

その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。

石段横の斜面に広がる苔が美しい。

足腰の病を癒やすとされ、信徒が奉納したわらじが壁に掛けられている。

仁王門

南北朝時代の貞和年間に本圀寺の南門として建立、元和2年(1616年)に現在地に移築、藁葺き 仁王像 – 福井県小浜の日蓮宗寺院・長源寺から移された。

寺伝に運慶作というが実際の作者は不明。

もう一度。上から仁王門を見下ろします。

境内からは嵯峨野を一望できる。

嵯峨野は竹の美しいところでもあります。

ミドリが心に沁みわたる世界です。

鐘楼 – 寛永18年(1642年)建立。

梵鐘は第二次世界大戦中の金属供出により失われたため、昭和48年(1973年)に京都工芸繊維大学教授青木一郎の音響設計により鋳造されたもの。

仁王門正面の石段を登らず、門を右にすすむと、末吉坂があります。
石段横の斜面に広がる苔が美しい。

ここがまさに撮影スポットだ。

1930年代に端を発した第二次世界大戦には、2百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。

その陰にあって、それらの若者たちと結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。

その数は50万余ともいわれます。

女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
 
今、ここに、ひとり生きた女の〃あかし〃を記し、戦争を二度と繰り返してはならない戒めとして後世に伝えたいと切に希います。

さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場ともなることを期待します。
 
この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。

             碑文揮毫  参議院議員  市川房枝

もう一度末吉坂を振り返ります。

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