緑滴る参道が美しい!夏の「二尊院」


二尊院は、京都市右京区嵯峨にある天台宗の寺院。

山号は小倉山。寺号は華台寺。詳しくは小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)と称する。

二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来する。

総門

慶長十八年(一六一三)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたもの。

室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。

総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦など多彩。

西行法師庵跡

歌人西行(1118~90)は俗名を佐藤義清といい鳥羽上皇(1103~56)や徳大寺家などに仕えていたが、保延6(1140)年出家した。

以後、仏道修行と和歌三昧の生活を送り、全国各地に足跡が残されている。
その一つがこの地であり、二尊院門前近くに庵を結んだとされる。

この石標はその庵跡を示すもの。

我かものと
   秋の梢を思うかな
  小倉の里に
    家居せしよ里
 
          西行法師

総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られる。

秋には真っ赤に紅葉し多くの参拝者が訪れる。

振り返って参道を見る。

境内入り口に美しいアジサイの水鉢があった。

角倉了以の像がここにはあり、法衣姿で石割斧を持っている姿が特徴的。

角倉了以翁墓道とある石段を上る。

二尊院は嵯峨天皇の勅願により慈覚大師 円仁によって建立され、鎌倉時代初期に法然上人の高弟だった湛空上人により再興されました。

本堂のそばにある石段を上っていくと湛空上人廟があり、その周囲には二条家、鷹司家、四条家の墓のほか、角倉了以、伊藤仁斎の墓、さらには小倉百人一首を編纂した藤原定家が営んだと伝えられる時雨亭跡などがあります。

高所にある二尊院の墓所からは緑の木々のあいまから京都市内の眺めも見ることができます。

角倉了以・角倉素庵父子の墓

角倉家の墓と書かれた一画の一番端に、了以・素庵の墓がある。
親子で祀られている。

上中央、4つの墓石が並んでいるが、左2つが了以とその夫人。
右2つが素庵とその夫人である。

角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑

現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を … 続きを読む →

高瀬川開発には7万5千両を費やしたとされているが、角倉家に納められる通行料は年間1万両を超えるものだったと考えられる。
開発に費やした工事費をわずか8年で回収したことから、かなり高額な通行料にも思えるが、これでも人馬で運ぶ手間よりは安かったので、鉄道輸送が本格化するまでは利用されてきた。

化野念仏寺
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺。 山号 … 続きを読む →

竹藪の小柴垣の中央に立て札が立っています 角倉了以の長男 【住倉素庵】の墓があります。
風神雷神図で有名な俵谷宗達と親交あり素庵56歳でハンセン病で61歳で亡くなるまで 此処に隔離 宗達は面倒を看ました。

本堂

六間取り方丈形式の間口の広い建物は京都市指定文化財。

室町時代の応仁の乱(一四六七〜七七)の兵火で諸堂が全焼しますが、永正十八年(一五二一)に三条西実隆が諸国に寄付を求めて再建。

本堂脇にもアジサイの水鉢。

庭には、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道で苦しむ衆生を救済してくれる六地蔵菩薩が祀られています。

本堂横の手水舎では半夏生を見ることができます。

半夏生は暦の用語の1つにもありますが、植物の半夏生は美しく化粧を施した女性を連想させるところから、半化粧の字が用いられることも。

例年6月下旬頃から7月初旬にかけては葉が白く変化しますが、その前の新緑の時期も大変美しい植物です。

そして不思議なことに、白く変化した部分は盛夏の頃には再び緑色へと変色してゆきます。

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