神戸海洋博物館


神戸海洋博物館は日本郵船歴史博物館(1992年開館)や呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)(2005年開館)以上の歴史を誇る。

展示内容は、近代神戸港だけでなく、平清盛が修築した大輪田泊や福原京まで遡る。

大小200点以上の船舶模型の展示は圧巻である。

前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。
海事博物館としては世界有数の規模であり、1987年に、幕末の神戸港開港120年を記念して開館した。

波または帆船の帆をイメージさせる独特な外観の屋上構造物は白色のフレームでできており、六甲山の緑色、神戸ポートタワーの赤色との対比が美しい。

夜間は青系の光でライトアップされる。

ロドニー号とエントランスホール全体を使い、ロドニー号が大海原を超えて神戸港にやってくる映像が迎えてくれる。

ロドニーは1922年のワシントン海軍軍縮条約下で建造されたため、排水量は35,000トンまで制限されていた。

3基の3連装16インチ砲塔は全て艦前方に配置され、ヴァイタル・パートは集中化したもののその代償に低速力に悩まされることとなる。

1936年以降に新世代の戦艦が就役するまで、2隻のネルソン級戦艦は最も強力な戦艦と見なされていた。

1868年1月1日(慶応3年12月7日)の神戸開港を祝うために集まった英米仏の外国艦船18隻のうちイギリス艦船12隻の旗艦として神戸に来航し、21発の祝砲を放ち世界に向け神戸の開港を祝った。

1882年にその役目を終え解体された。

ソブリンオブザシーズ

この船は、1637年にイギリス王チャールズ1世の命により巨費を投じて建造された。

当時としては最も豪華に装飾された軍艦で、金箔を惜しげもなく使い精巧な彫刻が施された。

その光り輝く姿はオランダ海軍から「黄金の悪魔」と恐れられた。

1697年、倒れた蝋燭が引火して起きた火災により焼け落ちた。

ソレイユロワイヤル

全長=100cm。フランスのルイ14世時代、3層の甲板に106門の大砲を搭載した第1級戦列艦。

咸臨丸

日本人の操縦で,初めて太平洋の横断を果した江戸幕府の軍艦。
オランダで建造,安政4 (1857) 年進水、同年長崎に到着、10万ドルで購入された。

軍艦奉行木村喜毅、艦長勝海舟以下 98人の日本人によって航海した。
なお 11人のアメリカ士官、医者が便乗していた。

日本丸 (初代)

1930年(昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水。
その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。

4檣バーク型帆船で総帆数は29枚、 メインマスト高は46m(水面からの高さ)である。

スパニッシュ・ガレオン

スペインのガレオン船は、3本マストを搭載し、船体は500?600トンほどだった。

この船は性能よりも派手さを意識していたので、船の性能は悪くスピードもあまり出なかった。

そのため、ガレオン船は、よりスピードの出るスループ船を使用していた海賊の襲撃に弱かった。

スペインのガレオン船の船名には「ヌエストラ・セニョーラ」(我等が聖母マリアと訳される)と言う言葉が含まれることが多かった。

西欧各国でこぞって軍艦・大型商船として運用され、スペインはこれを大型化して新大陸の植民地の富を本国に護送するために使った。

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神戸市立博物館


1935年(昭和10年)に竣工した新古典主義様式の建物は、旧三菱銀行本店や丸ビル旧館などを手がけた建築家・桜井小太郎の遺作であり、横浜正金銀行神戸支店として建設され、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用された建物である。

狩野内膳作『南蛮人渡来図』

このコーナーでは、神戸市内出土の考古資料とともに、新しい調査成果を反映させた五色塚古墳模型、市内の主な遺跡を紹介する地図などを用いて、太古の時代に神戸で暮らしていた人々の足跡を紹介しています。

明治時代中期の外国人居留地

昭和時代初期の旧外国人居留地


平安時代の終わりには、平清盛が日宋貿易の拠点として大輪田泊の改修を進め、東アジアにつながる臨海のこの地へ都を遷そうとします。

わずか半年で都は京に戻りましたが、その後も港の重要性は失われませんでした。

大輪田泊から発展した兵庫津は、国内外の流通・貿易の拠点として繁栄しました。

この「大輪田泊」は、平安時代末には平清盛により経ヶ島が築造されて日宋貿易の拠点とされたことは著名です。

古代大輪田泊の石椋 遥かな昔の港をしのぶ
わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた … 続きを読む →


平清盛像

本作品の頭部はNHK大河ドラマ「新平家物語」での仲代達也の風貌を反映しているという。

源義経デビュー戦の地 一ノ谷を行く
須磨は源平の古戦場として有名で、敦盛、直実の死闘、義経の「鵯越の逆(坂)落とし( … 続きを読む →

司馬遼太郎 新装版 義経 (上) (文春文庫)
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大雨の後


連休最終日、本当によく降りました。

雨が止んだようなので散歩へ、なんと空には夕焼けが。

赤く燃えています。

もう真っ赤な夕日です。

夕焼けが去り、ブルーモーメント。
お月様も出ました。

こうなるともう梅雨明け宣言だね。
昨年の梅雨明けが7月21日ごろ、例年の梅雨明けが7月24日ごろだという。

27日(月)にかけては断続的に雨の予報だが、その後は晴れる日が多くなりそう、今週は梅雨明けの可能性が高いと言えそうです。

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カワサキワールド


カワサキワールドは川崎重工業が2006年(平成18年)5月17日に神戸海洋博物館内に設置した企業博物館。

入ってすぐにあるコーナーで、川崎重工の創業者である川崎正蔵と松方幸次郎を紹介する。

同社の誕生の歴史や松方の収集した美術品コレクションである「松方コレクション」の概要、さらには神戸の歴史まで紹介している。

歴代のモーターサイクルを実物で紹介している。

実際に触ったり乗ったりできる物も用意されている。
ベストセラーになったものもある。

KV-107 II型ヘリコプター(JA9555 川崎重工業社用機「美濃」)の現物を設置。

これも中に入ることができる。
フライトシミュレーターも設置されており、神戸空港からの離着陸も体験できる。

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メリケンパーク


フィッシュ・ダンスは、神戸港のメリケンパークに建つ高さ22mの巨大な鯉のオブジェ。

1987年(昭和62年)に神戸開港120年を記念して設置された。世界的建築家フランク・ゲーリーが設計を、同じく安藤忠雄が監修を担当した芸術作品。

この場所は鯉川の川尻に当たり、鯉が踊っている姿をモチーフにしている。

隣に「フィッシュダンスホール」という多目的ホールが同時に建てられ、現在は「フィッシュダンスカフェ&ホール」となっている。

多目的ホールは社団法人一般社団法人神戸港振興協会が運営する「フィッシュダンス音楽練習場」として利用されている。

東側の一画には、1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で崩壊したメリケン波止場をあえて復旧せずそのまま残して、1997年(平成9年)に神戸港震災メモリアルパークとして整備され、震災の貴重な記録が保存されている。

神戸港事業の一つとして、1987年(昭和62年)にかつてのメリケン波止場と神戸ポートタワーが建つ中突堤の間を埋め立てて造成された。

そこに神戸海洋博物館、ホテルオークラなどが建設されて、現在においては神戸港を代表する景観の一つとなっている。

関西最大の豪華遊覧船ロイヤルプリンセスと異国情緒あふれるオーシャンプリンスが神戸港をご案内。

モザイクは今日も賑わっています。
フレンチと生演奏を楽しめる神戸コンチェルトのクルーズ。

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散策


乙仲通りを横軸に明石町筋、播磨町筋、浪花町筋の旧居留地を散策する。

居留地エリアの目抜き通りとして最も人通りの多い明石町筋、仲町通は大幅に車道の幅員を両サイドの歩道に割くことで、楽しくゆったりと歩ける街を実現している。

司馬遼太郎も神戸を訪れている。

街道をゆく〈21〉神戸・横浜散歩ほか

ある時おもしろいことに気がついた。

ユニクロの神戸の店と大阪の店では、ショウウィンドウに飾られているマネキンの服装が全く違う製品のように感じてしまうのである。

店内で売られている製品は、大阪店も神戸店も全く同じものであるのだが、服の選び方、色の取り合わせなどが全く違うので、一見すると、全く別な会社の別な商品のように感じてしまう。

「神戸だからこのような色の選択をするのだろう。服の着せ方もおしゃれだなぁ。

大阪では考えられない取り合わせやわ」

ついそう思ってしまう。

阪急電車の乗車時間で40分ぐらいしか離れてないのに、なぜこうも違うのだろうか?

司馬遼太郎が言うように、《都市というより、国》なのかもしれない。

日本の名水百選にも選ばれた神戸・六甲山の布引渓流の水が、大地の奥深くに浸透。

幾重にも重なる花崗岩層によって長い年月をかけてゆっくり磨かれます。灘の生一本と呼ばれて有名な清酒のふるさと灘五郷で酒造りに欠かせない名水「宮水」と同じ由来、水質をもつまさにプレミアムな1本です。

東洋一の港と呼ばれた神戸に寄港する船乗りたちからも、そのおいしさを高く評価されていました。日本の有名な作家・司馬遼太郎は、その著書『街道をゆく』の中で、その様子にふれています。

「神戸に寄港する外国船のよろこびは、水槽の水を空にして神戸の水をあふれるほど積むことだそうだ。船乗りたちはコウベ・ウォーターは世界一だというが。おそらく本当だろう。

(中略)布引の水は、六甲の老化した花崗岩層をくぐってきて適度のミネラルを含んでいるためにうまいのだというし、また船が赤道をこえてもうまさに変化がない、などともいわれてきた。」
街道をゆく〈21〉神戸・横浜散歩ほか

司馬遼太郎の名著「街道をゆく」を片手に居留地の散策もまたいいものだ。

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旧居留地


旧居留地38番館は、兵庫県神戸市中央区の旧居留地にある歴史的建造物。

名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。

昭和4年(1929年)にナショナルシティバンク神戸支店として竣工された、アメリカン・ルネッサンス様式の建物です。

重厚感のあるクラシカルな外観は、まさに”お洒落な街歩き”を象徴する建物で、夜のライトアップも美しい。

現在は神戸大丸の一部として、エルメスをはじめとする高級ブランド店がはいっています。

百貨店の大丸(現大丸松坂屋百貨店)が所有し、北側と西側に隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていた。

現在では、建築の価値を生かして店舗の一部として用いられている。

1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生するきっかけとなる象徴的な建物の一つでもある。

ニケの像

ニケとはギリシャ神話の神のひとりであるアフロディテの娘で、航海中に糸を紡いだり様々な役立つものを作り出す、「生産の神」と同時に勝利の神」の象徴です。

古代から航海の先に航海の危機を乗り切り、安全と将来の夢の実現を祈願して女神の像して取り付けられていました。

神戸店では以前、建物を船に例え、安全で素晴らしい航海を祈願してトアロード玄関のに設置していました。

神戸店の復興のみならず、地域の皆様方の復興を祈願してここに再び設置いたしました。

昭和48年製作 向井良吉氏 監修
平成9年3月2日

明石町筋から北を望む、一番気に入っている風景、遠景は神戸旧居留地(元町・三宮)にある結婚式場【神戸セントモルガン教会】

居留地の一角を占める百貨店大丸神戸店が自ら所有していたヴォーリズ設計の近代建築をLive Lab West(現旧居留地38番館)として店舗化し、さらに周辺の近代西洋建築へ高級ブティックを積極的に出店していった。

2000年代に入るとLVMHなどの外資ブランドが直接参入し、今では「最も神戸らしい洗練された街」として活況を呈するようになった。

1992年に国土交通省の都市景観100選に選定、2007年には旧居留地連絡協議会が日本都市計画学会の最高賞である石川賞を受賞している。

神戸市立博物館の落ち着いた雰囲気。

1935年(昭和10年)に竣工した新古典主義様式の建物は、旧三菱銀行本店や丸ビル旧館などを手がけた建築家・桜井小太郎の遺作であり、横浜正金銀行神戸支店として建設され、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用された建物である。

同行神戸支店の旧警察署跡地への移転に伴い神戸市の所有となった。

神戸市立考古館から神戸市立博物館へ転用するにあたって1982年(昭和57年)に大規模な増改築が行われたが、国の登録有形文化財として登録されている。

街歩きしていてもその洗練されたディスプレイは我々を飽きさせない。

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摩天楼 あべのハルカス


2010年1月9日に着工され、2014年3月7日に全面開業した。

百貨店・オフィス・ホテル・美術館・展望台などで構成される超高層複合商業ビルである。

2020年現在、日本で最も高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもある。

2017年、グッドデザイン賞を受賞。

ビル名称の「ハルカス」は古語の「晴るかす」に由来しており、平安時代に書かれた『伊勢物語』の第九十五段では、「いかで物ごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさん」という一節が記されている。

この言葉には「人の心を晴れ晴れとさせる」という意味があり、ビルの上層階から晴れやかな景色を見渡して爽快感を味わえることや、多彩で充実した施設で来訪者に心地よさを感じてもらいたい、という思いが込められている。

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修景古墳 紀伊風土記の丘


総面積は65ヘクタール。

その広大な敷地全体が博物館施設となっている。

国の特別史跡に指定されている約400基の古墳群、復元した竪穴式住居、移築した江戸時代の古民家集落(重要文化財2件を含む)、資料館および万葉植物園などで構成される。

紀伊風土記の丘資料館から南西に花木園が位置する、途中に万葉植物園がある。

勢能山に 黄葉常敷く 神岡の 山の黄葉は 今日か散るらむ (巻9-1676)

花木園は、生活環境保全林として整備されたもので、その中央部あたり、墳丘に芝を張った4基の古墳がある。

古墳は、標高30mから37mに位置し、それぞれが古墳時代後期に造られた円墳である。

斜面上方から順に前山B花木園地区1・2・4・3号墳と呼び、昭和50年(1975)度に発掘調査が実施された。

現在は、調査成果をもとに復元修復されたものである。

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復元竪穴住居 紀伊風土記の丘


復元した古墳時代の竪穴住居。

和歌山市音浦遺跡で発掘調査された古墳時代の竪穴住居をモデルにして平成8年度に復元したもの。

内部の床面積は正面4.5m、奥行き5.2m で、23.4 ㎡ の広さがあり、畳に換算すると 14 畳ほどの広さとなります。

この時代の竪穴住居には床、窓、天井などがなく、すべてこのひと部屋で住んでいました。

こも編み機

原理は、木でできたおもり(「つちのこ」呼ぶ)で固定しながら編んでいきます。

弥生時代の前期には鋤や鍬も刃先まで木製であったが、中期以降、先端に鉄の刃先を装着するものが出現。

収穫具も中期後半から後期になると石包丁など穂先を摘み取って収穫するものから、根元を刈る鎌に変化していった。

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