岸の姫松


住吉の 岸の姫松 人ならば

幾世かへしと 問わましものを

(読み人知らず)

古今和歌集より(平安時代前期 紀貫之 編)

住吉(住之江)の松は歌枕にもなるほどで、古くは万葉集(7~8世紀)から江戸時代に至るまで、様々な歌に詠まれています。

新田開発、市街化開発によって、そのほとんどが失われました。

現在では、住吉高校のグランド横に4本が残るのみです。

大阪府立住吉高等学校。
下村脩 – ボストン大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞者の母校。

一時期(旧制)住吉中学へ転入。
卒業は長崎県立諫早中学校(旧制)

百千の草葉もみぢし

野の勁き琴は 鳴り出づ

哀しみの

熟れゆくさまは

酢き木の実

甘くかもされて 照るに似たらん

われ秋の太陽に謝す

伊東静雄(1906~1953)は長崎県諫早市生まれの詩 人。

京都大学卒業後、旧住吉中学校に国語の教師として赴任。

以来、戦後まで20数年、教師と詩作 の道を大阪で歩みます。
このあたりは青春時代の一時 期、丸山地区に下宿したことがあり、好んで散策したという縁の地で、昭和59年(1984)、文学碑が建立された。

京大在学中には、文学部教授に旧制大村中学の先輩である朝永三十郎(1965年ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎の父親)が、旧制住吉中学当時の教え子に、2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩がいた。

学校では、『古事記』を教えていたことと、その流行を追わないスタイルから〈コジキ〉というあだ名をつけられていた名物教師だったという。

源正寺楼門

創建は貞享4年(1687)で、元は上本町6丁目(現・近 鉄百貨店上本町店)にありましたが大正12年(1923) に現在地に移転。

太平洋戦争の空襲で被災しましたが楼門、経塚等は残りった。

源正寺の楼門は 竜宮門とも呼ばれ明治22年(1889)に建立された。

竜宮造りの全国的にも非常に珍しい門として、平成14年(2002)10月に国の登録有形文化財に指 定された。

経塚

経塚の由来は2説ある。

「聖徳太子が諸経の文 字を一石に一字づつ書いて、ここに納めたとするも の」とする説と「天長3年(826)の夏、疫病流行に際 し、空海(弘法大師)が阿倍王子神社に入り、1000 部の薬師経を書写し、この塚に納めたとするもの」 とする説。

どちらが本当の由来かは不明です が、この経塚のように古い時代のもので現存してい るものは極めて少なく貴重なものです。

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