地名の由来となった天下茶屋跡


太閤秀吉が住吉大社参拝や堺への往来の際、ここの茶店で休息、茶の湯を楽しみ 付近の風景を賞したことから、この茶店を天下茶屋と呼ぶようになりました。

そ の由来を示す建物(芽木家)は戦災で焼失し、現在は天下茶屋跡として、くすのき の大樹と土蔵、石像だけが残っています。

昭和62年 (1987)に現在のものに修復 されました。(大阪市顕彰史跡)

天正年間 (1573?92) には楠木正行の十世孫であるという初代芽木小兵衛光立がこの森の西側を開き、ここに茶屋を出した。

そして三代目芽木小兵衛昌立のとき、住吉神社を参拝した関白・豊臣秀吉がこの地に立寄り、この芽木家の茶店から清泉を汲んでお伴の千利休に茶を点てさせたところ、味の良さに感激。そこでこの泉に「恵の水」の銘を、芽木家に玄米年三十俵の朱印を与えた。そこから関白殿下の「殿下茶屋」、天下人の「天下茶屋」などの名が知られるようになったという。

約5000平方メートルの敷地に、屋敷や茶室・井戸・池などを備えていたといわれる。

しかし1945年の大阪大空襲で焼失した。

そのため現在は、屋敷敷地の北西角にあった土蔵などが残るのみとなり、敷地の大半はマンションや住宅になっている。

1945年には大阪大空襲で地域一帯が被災し、天下茶屋の地名の由来となった屋敷も焼失した。

当地にあった芽木家の跡の一部である。

表通りには紀州街道が通り脇に天下茶屋跡の碑が建つ。

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