チン電と夕日


チン電と夕日を狙うには絶好の日和だ。
大和川、遠里小野大橋の下で日差しを避けて時間待ち。

魚とりの二人連れが通りかかる、スプ濡れの奮闘。

東側を南海高野線が通る、アルミボディが西日を受けて輝く。

堤防上を急ぐ人。

狭い堤防上の道路は自転車の人にとっては危険がいっぱい。

トラムが来た、ちょうど窓に夕日を受ける位置で捉えることができた。
我孫子道以南はラッシュの時間帯でも1時間6本しかダイヤがない、ひたすら待つしかない、夕日の位置と運よく当たった。

もう陽が沈んでしまう、あと一本撮りたい・・・・・

来ました、今日のラストチャンス。

かつて見た日本各地の朝日夕日
旅行の途次好んで朝日夕日を撮った。

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昭和レトロ庚申街道から南大阪教会

本来の庚申街道は阿倍野区松崎町から文の里・田辺方面へ向かっていたが、現在、あびこ筋の1本西側の西田辺・長居方面へ向かう道を地元では「庚申街道」と呼んでいる。

かつてはこの辺りは「大字猿山」といい、もと北田辺村と寺岡村とのあいだで、荒れ果てた沼地でした。

それを寛文3年(1663)、地主の奥田市郎兵衛が新田に開墾。
幕府の検地を受けて「猿山新田」と称するようになりました。

ちなみに、明治初期の現阿倍野区の地には阿倍野村 (約65戸)、猿山新田(約28戸)などに農家が見られるだけで、他は一望千里の田畑で、狐狸、野鶏が棲息するような農村地域でした

戦前の大阪庶民の生活を支えた長屋には、伝統的な住宅様式から和洋折衷あるいは大胆な洋風のものまで様々な創意工夫が見られます。

阪南町界隈は大正13年(1924)に設立された「阪南土地区画整理組合」によって順次、町並 整備が行われ、その際に様々な長屋が建てられ ました。


寺西家住宅と土蔵、住宅は大正15年(1926)、土蔵は昭和10年(1935)の建築。

平成17年(2005) 国の登録有形文化財として登録されました。

大阪市内でも最初の土地区画整理地域に建てられた住宅で、玄関横に洋館のある和風建築です。

土蔵 もあり、戦前の大阪の都市景観美を伝える好例です。

庭も燈籠をはじめ、川の流れが演出され、充実しています。

昭和3年(1928)に大阪基督教会創立50周年記念事業の1つとして企画され、設計監督を担ったのが若き建築家の村野藤吾で、これが処女作です。

村野藤吾(1891~ 1984)は九州・唐津市生まれで、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業。

その後、大阪の渡辺節建築事務所(代表作・綿業会館)に入って、活動の主な拠点は大阪でした。

また昭和56年(1981)に新会堂が建築されましたが、それも藤吾の手によるもので、当時、藤吾は90歳。

これが宗教建築最後の作品となりました。
つまり、南大阪教会は、村野藤吾の処女作(教会塔)と最晩年の作品 (新会堂)とが一望できる貴重な建築物ということになります。

阪田寛夫(1925~2005)は日本の詩人、小説家、児童文学作家。
大阪市住吉区天王寺町(現・阿倍野区松崎町)生まれで、熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、南大阪教会に通いました。

その後、帝塚山学院小学校、大阪府立住吉中学校、東京帝国大学文学部に入学。

卒業後、朝日放送に入社し、ラジオ番組プロデューサーとして活躍しますが退社。

『音楽入門』で小説家としてデビューして1974年に小説『土の器』で芥川賞 を受賞。
その後も評伝『わが小林一三-清く正しく美しく』で毎日出版文化賞、小説『海道東征』で川端康成文学賞などを受賞しました。

童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ともだち讃歌(リパブリック讃歌)」「誰かが口笛ふいた(フランスの行進曲 Le Regiment de Sambre et Meuse)」などの作詞者としても知られています。

「サッちゃん」は昭和34年(1959)に書かれた童謡で、阪田寛夫が園児だった時に、1年上のクラスに「さちこ」という園児がいましたが、この「さちこ」さんに対する親しい思いを、後にこどもの詩という形に結晶させたものです。

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春景

異常事態宣言以来のなんば。

なんばパークスガーデンは『世界で最も美しい空中庭園トップ10』に選ばれています。
5月19日より営業を再開。

ブラシノキ

オーストラリア原産で、観賞用に栽培される。
5-6月頃に開花し、花弁は緑で小さくて目立たないが、赤(ときに白)の長い花糸が目立つ。

オーストラリアでよく起こる森林火災が起こると割れて種子を放出する。

ブラシノキ属には計34種があり、そのうちの数種が観賞用に栽培されている。

近縁種のグレビレアはオーストラリア原産の植物で、花が彼岸花に似たような独特な花の形をしています。

別名「スパイダーフラワー」と名前が付けられるほどクモのような花の形が特徴です。

グレビレアの名前の由来は、イギリス王位園芸協会の創始者『チャールズ・グレビル』から名前が来ているという説があります。

グレビレアには「情熱」「平和」「燃える熱情」「あなたを待っています」といった花言葉があります。

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光と影~レンブラント光線


昨日の日暮れ薄明光線が見られた。

「薄明光線」のほか、別名が多数ある。
気象現象としては「薄明光線」、その他業種や地域環境によって様々な呼び名がある。

光芒とも呼ぶ。

天使の梯子(てんしのはしご、angel’s ladder)
天使の階段(angel’s stairs, angel’s stairway)
ゴッドレイ(God Ray)
ヤコブの梯子(Jacob’s ladder)
レンブラント光線

17世紀のオランダの画家、レンブラントが宗教的神々しさ、荘厳さを出すために好んでこの光線を描いたので、「レンブラント光線」とも呼ばれる。

晩年の開高健は、しばしばテレビなどで好んで「レンブラント光線」という言葉を口にした。

宮沢賢治はこの現象を「光のパイプオルガン」と表現している。

かつて見た日本各地の朝日夕日
旅行の途次好んで朝日夕日を撮った。

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安藤忠雄の世界 なにわ橋駅


2009年(平成21年)10月1日 – グッドデザイン賞と「メセナアワード2009 文化庁長官賞」を受賞。

駅出入口は、中之島公園内に位置するため、中之島線の他の新駅とは違った構造となっており、建築家の安藤忠雄が設計している。

改札口付近は高い天井が特徴。
また、壁面は不燃性木材とガラスで構成され、これは中之島線の各駅に共通する。

ホームの壁面は駅の上に建つ重要文化財・大阪市中央公会堂をイメージしたレンガ調となっており、中之島の「過去」を表現している。

空調用の熱源として土佐堀川の水をくみ上げ熱交換して川に戻す方法がとられ、太陽光を光ファイバーや光ダクトでコンコースへ導くなど省エネを図っている。

「水に浮かぶ島」のように、階段を上り下りすると水中から浮上したり、水中に潜水したりする感覚を覚える印象的な出入口です。

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安藤忠雄の世界 こども本の森


こども本の森 中之島は中之島公園内の大阪市立東洋陶磁美術館や中央公会堂に隣接。延床面積は約800平方メートルで、1階から3階までの3フロアで構成している。

新型コロナウイルスの感染症の拡大防止のため、開館時期は未定としている。


中央シートをかぶっているのは「青春のシンボル」として安藤忠雄さんがデザインしたオブジェ「青いりんご」で、兵庫県立美術館にあるものと同じだそうです。

安藤さんは、近代米国の詩人サミュエル・ウルマンが70代で作った「青春の詩」からオブジェを着想。

詩は「青春とは人生のある期間ではない。
心のありようなのだ」「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」などとつづられ、安藤さんは「目指すは甘く実った赤リンゴではない。

未熟で酸っぱくとも明日への希望へ満ち溢れた青りんごの精神」との言葉を寄せている。

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住吉大社


外出規制は解除されたけど、住吉大社は5月31日まで閉鎖中。

住吉大社の手水舎の水口は神使の兎像、次のような説明が付けられている。

「(住吉大社と兎) 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯(かのとう)年の卯月の卯日である御縁により奉納されたものです」

水面の照り返しを映しきれいです。

厩舎の軒先、朝の光が降り注ぐ。

角鳥居の脇に早咲きのアジサイが咲いていた。

境内のあちこちに卯の花が咲いています。
「住吉大社」は卯の年・卯の月・卯の日に鎮座したとされる。

今年は卯花苑の公開は中止された。

卯の花の咲く頃
住吉大社卯の花苑が公開中。 住吉大社にとって卯の花は特別、鎮座日が、神功皇后摂政 … 続きを読む →

住吉大社にとって卯の花は特別、鎮座日が、神功皇后摂政11年の卯年の卯月の卯日と伝えられている、「卯の葉神事」にはかかせない花となっている。

古式床しく 卯之葉神事 住吉大社
住吉っさんがこの地に鎮座したのが、神功皇后摂政11年(211)の卯年の卯月の卯日 … 続きを読む →

卯之葉神事は13時から第一本宮と五所御前で卯の葉を使った玉串を捧げての祭典が行われた後、14時からは石舞台にて舞楽が奉納されます。

住吉公園の心字池の桜の葉、池の水面を映してきれいです。

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大阪市で最大のバラ園 中之島バラ園


緑が眩しい中之島遊歩道。

「緑の賛歌」は、彫刻家「本郷新」の作品で、1973年に大阪市の緑化運動に協力して、浅井鉞次郎氏が寄付したブロンズ像。
1973年4月16日に除幕式が行われた。

明治24年(1891年)に大阪市に初めて誕生した市営公園。
園内は広く、落ち着いた雰囲気があり、都会の真ん中にあることを感じさせないほど静かだ。

5月になると、公園の東側の「バラの庭」、「バラの小みち」、「バラの広場」3つのエリアで、89種類、約4000株ものバラが満開になる。

中之島公園バラ園は、川に囲まれた立地を活かして対岸や船からもバラを楽しむことができるように演出されています。

園内にはアーチ・スタンド・ポールなどの背の高い造作物を使って高さを出し、バラの花が船や対岸のカフェからもよく見えるようになっています。

初夏を思わせる陽気で思い切ったスタイルも。

ワンちゃんとバラ、かわいいね。

天神橋より突き出た東端部は、大川を堂島川と土佐堀川に分けて尖っていることから「剣先」と呼ばれ、先端には安藤忠雄の構想による噴水が設置されている。

噴水は、10時~20時30分までの毎時0分と30分に約5分間、水が噴き出す。

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緑の散策 慶沢園~茶臼山


緑が爽やか、慶沢園は今日から再開園。

池越しに美術館を望む。

緑がとても鮮やかです。

透かした葉っぱもきれいです。

元は住友家の茶臼山本邸庭園として、1918年(大正7年)に完成。

1908年(明治41年)に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始されて以来、完成までに10年を費やしている。

大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式(林泉回遊式)で、全国から名石・名木を集めた広大な庭園となっている。

命名は伏見宮貞愛親王。

池越しにハルカスを望む。

カモが仲良く遊ぶ。

今回通天閣は新型コロナ「大阪モデル」到達レベルをライトアップ色で周知。

天王寺公園の北東部に立つ茶臼山は、大坂冬の陣では一帯が徳川家康の本陣となり、大坂夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となったことでよく知られています。

茶臼山から通天閣を望む。

茶臼山の樹間からハルカスを望む。

2020年現在、日本で最も高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもある。

茶臼山には、5世紀ごろの前方後円形古墳という説と、和気清麻呂(わけのきよまろ)が上町台地を横断する堀川を掘った名残が河底池であり、その際、掘り出した土を積み上げたものが茶臼山だという説があります。

通称を含め全国に200以上あるという。
かつて戦で縁起を担ぐ武将に好まれ陣が張られた場所が多い。

大阪市立美術館(本館)は閉館知友、5/26(火)より再開とか。

旧黒田藩(福岡藩)蔵屋敷の表門は、江戸時代中期の蔵屋敷の遺構をもつ数少ないもののひとつで、現在の中之島三井ビル付近にあった。

昭和8年(1933)、同ビル建設に際し三井社から大阪市に寄贈、現在は天王寺公園内、大阪市立美術館南側に保存されている(大阪府有形文化財)

天王寺動物園は休園中。

テンシバては家族で憩う人たちが見られます。
OSAKAをかたどったモニュメントは関西初。

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播磨塚と小町塚

小町塚・播磨塚、両塚は、もともと別個のもので、現在地(阿倍野区王子町4丁目)に近い畑の中にありましたが、1929(昭和4年)、道路建設に伴いこの地に移りました。

播磨塚は南北朝時代、播磨の武将赤 松氏が、住吉の合戦で戦死した将兵 の遺骨を納めて塚を築き、冥福を祈 ったと伝えられている。

小町塚は小 野小町の塚であると伝えられるが不 明。謡曲「卒都婆小町」に因んだもの とも考えられる。

「小町塚」は、古書「芦分船」には、小野小町の塚であると説明しているが、小野小町がこの地で死んだという記録はなく、小野小町の美貌や才能にあやかりたいとの念願から、信仰などの目的のため造られたものと思われます。(説明看板などより)

能「卒都婆小町」

高野山の僧が供をつれて阿倍野の松原に来かかると、朽木に腰かけて休んでいる乞食の老婆がいた。

見れば朽木と見えたは尊い卒都婆。

僧たちがとがめると老婆は一歩もひかず応酬。
宗教問答となり老婆が勝利を収める。

老婆は小野小町の成れの果てであった。
突然、小町に深草少将の霊が憑き、彼女は狂乱状態になって いく・・・・・

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悲しいお話が楽しい話に変わっていて,踊りもかわいい。

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