マクロ的視点で


外出自粛で撮影に行きたい気持ちを持て余している。

室内で楽しめるマクロレンズを使った表現の方法を色々と試してみたい。



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花咲き鳥歌えど


イングリッシュガーデン風の「サンクンガーデン」(沈床花壇…周囲から眺められるように、真ん中を一段低く設計された花壇)、 スクエアの周りには20数種のバラが生育し、毎年顔を見せてくれる宿根草や多年草が何十種類も植わっていて四季おりおり楽しませてくれています。

春と秋には一年草を植え替えて、新しい表情を見せてくれます。

花が咲き誇り、鳥たちのさえずりがうるさいくらいの公園だが外出自粛のせいか訪れる人はまばら。

ベンチに腰を下ろしゆっくりと景色を楽しむ。

しかし、外出がままならない現実は何ともならない。

アヤメもちらほら

ボタンも咲いた、シャクヤクはあともう少し。

せめてきれいな花を眺めてしばしの英気を養う。



シャガもあちこちに目立つ。

じどう遊技場横のテラスでは富士真っ盛り、色とりどりできれいです。

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散歩


息苦しい外出自粛が続く、せめて近所の住之江公園の散歩が体力維持のための日課になりつつある。

公園は人もまばらで静かな雰囲気。

ホオジロを発見、フェンスの隙間からとらえる。

チチッまたはチチチッと短く続けて鳴く。

公園の片隅、鳩に餌をやる人。

珍しい散策者が現れた、ミミズクかフクロウの仲間と思われる鳥を連れて散歩。
よくなれていると見えて犬が近くに現れても悠然としている。

公園内は静かです、せいぜい鳩が散歩している程度。

この風景を見ている限りコロナの存在など忘れてしまう。

早く自由に動ける日が訪れることを・・・・・・

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霰松原


古代、住吉のあたりは海岸に沿って美しい松林が連なり、あられ(霰)が吹きつけるように風が吹いていたので「霰松原」と呼ばれていた。

松が粗くまばら(疎)に生える松原として「あらら松原」の語があり、それが転じたとの説もあるようです。

碑の前の道は紀州街道で、高麗橋東詰の里程元標を起点に、堺筋を南下和歌山に至っている。
 
この付近は街道の面影をよく残しており、新しく街道名の入った道しるべが建てられるなど、歴史の顕彰が行われている。

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霰打つあられ松原すみのえの弟日娘(おとひおとめ)と見れど飽かぬかも  長王子(万葉集)

あられ松原は、住吉の弟日娘と一緒にいくら見ても見飽きることがない

『万葉集』65のこの歌は、都が平城京に遷都される少し前、慶雲3年(706年)に、第42代・文武(もんむ)天皇が「藤原京」から「難波宮」へ行幸した際に、随行者が詠った宴遊の歌のひとつです。

作者は、第40代・天武天皇の子で第4子とみられる、「長皇子(ながのみこ)」。

ここ住吉津(住吉の港)には遊女がいた。

弟日娘」は港町の遊女であって、都から来た長王子と結ばれたようだ。

この地は、奈良・平安時代は海に沿った境まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じて素晴らしい景観をみせ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部のや紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町後期からは「紀州街道」とも呼ばれていました。

天水分豊浦命神社は、延喜式代の古社で、創建は詳らかではありませんが、「住吉大社すみよしたいしゃ神代記」にも記録されていることより千二百年以上経ており、明治四十年に沢之町の止止呂支比賣命神社〔若松宮〕に合祀されています。

安立町の由来は江戸時代初期の良医であった半井安立が、この地に住み多くの人々を助けた徳により、その名を残して町名となったと伝えます。

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叫び


大阪市にある住吉地区のシンボル「解放へのオガリ」は1977年2月に完成し、住吉解放会館(現在:市民交流センターすみよし北)の大壁面に設置された。

沖縄県出身の彫刻家・金城実さんが制作したもので、高さ12.3メートル、幅7メートルの母と子のレリーフです。

それから40年、大阪市は2016年3月末をもって市民交流センターすみよし北を閉鎖。

制作者で沖縄県読谷村儀間に住む金城実さん(79)の下に渡った。

なぜか建物の裏には巨大なレリーフが残る。

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西住之江の町家


洋風長屋群、もともとこの地は、島村といわ れる農地でしたが、地主によっ て区割整地をして、住宅を誘致した

その完成碑が昭和11 年(1936)に建立されています。
戦災にも遭わなかったので、現 在でもモダンでハイセンスな洋 風長屋、和風長屋の町家が立ち 並んでいます。

こちらは建物自体は和風ですが、1軒ずつ小さな庭がついたテラスハウス。
柵に囲まれた前庭は明るくて開放的。

ずっと続いた建物に見えますが、4~5軒ずつ別棟になっています。

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汐掛道


住吉大社の旧表参道の汐掛道は、海岸に上陸した海神が通った道で、出見の浜〜住吉高灯籠〜住吉公園〜住友燈籠〜表参道鳥居〜反り橋〜住吉大社本宮と一直線に連なっています。

汐掛道の記

ここは昔、住吉大社の神事の馬場として使われた場所で、社前から松原が続き、すぐに出見(いでみ)の浜に出る名勝の地であった。

松原を東西に貫く道は大社の参道で、浜で浄めた神輿が通るため、「汐掛道」と称され、沿道の燈籠は代々住友家当主の寄進になり、遠近の参詣や行楽の人々で賑わった。

古くから白砂青松の歌枕の地として知られ、近世には多くの文人・俳人がここを往来し、大阪文芸の拠点の一つとなっていた。 

財団法人 住吉名勝保存会

碑面には万葉歌「住吉の粉浜のしじみ開けても見ず隠こもりにのみや恋ひ渡りなむ」が刻まれている。

この天平六年(734)の万葉集歌碑は粉浜駅前に建っている。

「粉浜」は住吉大社社殿の材木の積み降ろしをしていた浜で、木浜が由来と伝わります。

「住吉の粉浜のしじみ開けても見ず隠こもりにのみや恋ひ渡りなむ」とあります。

現代訳では「私は住吉の粉浜のしじみのように、しっかりと蓋を閉じて胸の思いを打ち明けないで、心の奥に隠したまま、恋し続けるのであろうな。」となります。

この歌碑は万葉学の第一人者、犬養孝(1907~1998)が建てた歌碑で、全国の万葉ゆかりの地を訪ね、建立した万葉碑は131基に及びます。

大阪大学で教壇に立ち、現東粉浜に住んでいました。

このリレーフは、源氏物語澪標の巻きに描かれた有名な光源氏の住吉詣の情景を絵画化したもので、人々に囲まれた牛車の横に立つ衣冠姿が光源氏、右上の舟が明石上の舟であります。

内大臣となった光源氏の盛大で威厳ある行列の様子がうかがえます。

偶然、明石の君も舟で参詣に訪れていました。
しかし、光源氏一行の華やかさに圧倒された明石の君は自身の「身の程」を情けなく思い、その場を立ち去ってしまいます。

芭蕉は大社の「宝の市」に詣でてこの祭の名物である「升」を購入し、 

升買うて 分別かはる 月見かな と詠んでいます。

元禄7年(1694)9月、芭蕉は大坂で派閥争いをしていた門人、酒堂(しゅどう)と之堂(しどう)の仲を仲裁するために故郷の伊賀上野から奈良を経て大阪に入り、同月13日、住吉近くの長谷川畦止(けいし)亭で月見の句会を予定していました。

その日は住吉大社で宝の市(升の市)が立って賑わう日でしたから、この市に出かけ名物の升を買っています。去る9日来阪以来何となく気分のすぐれなかった芭蕉は、その夜急に悪寒を覚え、句会をすっぽかして早々に帰ってしまいました。

翌日にはすっかり快復して、芭蕉の不参加で延期されていた会に出かけて詠んだ挨拶の発句です。

参加者一同が不参加の理由(気が変わったのではない)を知っていることを承知の上で正面切って謝らず、それを風流に詠んだのがこの句であると云われています。

芭蕉はその後間もなく病に伏し、大阪市内南御堂付近で亡くなったのでした。

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たそがれ

「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。
夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で。

この風習は広く日本で行われた。
「おはようさんです、これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」

と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされる。

今ちょうどコロナ騒ぎで不要不急の外出がやかましく言われ、各地とも「他所の人は来ないで」と叫んでいる。
嫌な世の中だねえ。

もっと優雅な世界がいい。

誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ
— 『万葉集』第10巻2240番

寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏

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日ごとに春らしく


コロナ騒ぎをよそに自然は着々と春らしくなってきました、ここ住之江公園近辺でも花の数がめっきり増えました。

ハナミズキは街のあちこちで見かけます。

コデマリも今を盛りと咲き誇る。

コデマリの花言葉は「優雅」「上品」「友情」。

ベニバナトキワマンサク、春の開花期には枝先に集まるように咲くため株全体が花に覆われ、遠くからでもその美しさが楽しめます。

キングサリは名前のように、金色の鎖のような花序がぶら下がって咲く事から、ゴールデン・チェーンとも呼ばれとても美しい花を咲かせる花木です。

春になると、住宅街のなかで見事に咲くモッコウバラを見かけることがあります。

モッコウバラは中国原産の常緑性つるバラ。生育方法が難しいとされる一般的なバラよりも育てるのが簡単と言われ、初心者に向いているバラです。

フジもあちこちで見られるようになりました。

木々の緑も鮮やかさを増してきました。
早く自由に動き回れる日が来ることを。

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住吉大社 枝垂れ桜見納め


早朝に住吉大社を訪れた。
汐掛け道は人通りもまばら、ちょうど側道の植え込みに潅水中であった。

外出自粛が出されており人通りはほとんどない。

ちょうど反橋の向こうから陽が昇るところです。

川端康成が、戦後に発表した、「しぐれ」「住吉」とともに住吉3部作の一つとして数えられる「反橋」には、「上るよりもおりる方がこはいものです。

私は母に抱かれておりました」と描いており、橋の傍には康成の文学碑が設置されております。

文末にあらすじを掲載しておきます。

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言を鑑み、4月8日よりすべての業務を停止し、閉門中。

枝垂れ桜もこれで今年は見納めです。

まさかこのような形で見納めとは思いもよらなかった。

「反橋」

あらすじ

時を経て住吉を訪れた私は、宿で友人須山(故人)の書いた色紙を見つめる。
「仏は常にいませども現(うつつ)ならねど哀れなる人の音せぬ暁にほのかに夢に見え給ふ」(梁塵秘抄)。

宿の人に色紙を頼まれた私は後三条天皇の古歌を書く。
「住吉の神はあはれと思うらむ空しき舟をさして来たれば」空しき舟とは私の心、私の生にほかならないように思えるのだった。

私は遠い日を回想する。
五歳の私は母親に手を引かれ、うぶすなの住吉大社の反橋を上っていった。

「この橋を渡れたら、いいお話を聞かせてあげるわね」「どんなお話?」「大事な大事なお話」「可哀想なお話?」「ええ、可哀想な、悲しい悲しいお話」そんなやりとりの後で橋の頂上に立ったとき、私はおそろしい話を聞かされる。

今までずっと母と思っていた人は、実は本当の母ではなかった。

私は母の姉の子で、本当の母親はこの間死んだというのであった。
私は母のあごに流れる涙を見つめる。

そして私の生涯はこのときに狂ったのだった。

反橋は上るよりも降りるほうがこわいものである。
ほんとうにそのとき五歳の私が橋を渡ったのかどうか、私の妄想が描き出した夢だったのか、記憶も怪しい。
 
もう一度だけ住吉の橋を見たいという心に追い立てられるようにして、私は長く訪れなかった地にやって来た。

そこで不思議な偶然のように友人の色紙にめぐりあったのだった。
翌日住吉の社に行ってみると、反橋は意外に大きく、足がかりとしてあいていた穴も五歳の子どもの足では届きそうもないようであった。

反橋を降りきったところで、私は深いため息を吐く。
「あなたはどこにおいでなのでしょうか」

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