新春の大和川


奈良県桜井市の北東部、貝ヶ平山(かいがひらやま、標高822m)近辺を源流としており、上流部では初瀬川と称される。

奈良盆地を西に向かって流れつつ、佐保川、曽我川、葛城川、高田川、竜田川、富雄川など盆地内の大半の河川を生駒山系の手前までに合わせる。

生駒山系と葛城山系の間を抜けて、大阪平野にでると柏原市で南河内を流れてきた石川と合流してまっすぐ西へと流れ、大阪市と堺市の間で大阪湾に流れ込んでいる。

大和川は天井川です。

大和川の水面の標高は18メートル、一方、上町台地の東側に広がる河内の地域はゼロメートル地帯です。
「河内」という地名も、「河の内」と書きますよね。

ですから、もし大和川の右岸が決壊したら、一気に水は河内平野に流れ込みます。

奈良県から大阪府へ抜ける峡谷は、「亀の瀬」と呼ばれる地滑り多発地帯。
同区間を走る関西本線(大和路線)や国道25号も過去に度々被害を受け、関西本線は路線を付け替えている。

度重なる被害の大きさに、河内の大和川流域の村々から付け替えの機運が起こり、現在の東大阪市にあった今米村の庄屋、中甚兵衛らが河内の農村をとりまとめ何度も幕府に請願し続けた。

新しい川の流路となる村々からも付け替え反対の請願が起こったが、1703年(元禄16年)10月、幕府はついに公儀普請を決定する。

また流域の奈良県などで下水道普及が遅れているなどの原因で水質の悪い一級河川の一つであり、2009年の調査では関東の綾瀬川に次いでワースト2位であった。

現在は以前と比べて水質が大幅に改善されており、2010年調査ではワースト3位まで改善して環境省の水質基準も満たしている。

2007年11月には、アユの産卵も確認された。

なお、水質が悪くなる前より、古くからシラスウナギ(ウナギの稚魚)が採れることでも知られている。

加賀屋甚兵衛は延宝8年(1680)河内国石川郡喜志村(現在の大阪府富田林市喜志町)で生まれ、11歳のとき、大坂淡路町の両替商加賀屋嘉右衛門の店に奉公人として入った。

加賀屋は天王寺屋、鍵屋、鴻池など十人両替と呼ばれる大店に次ぐランクの店であった。

甚兵衛は35歳で暖簾分けを許され、加賀屋甚兵衛として新たに自分の店を持つ。

甚兵衛は商用で堺に行く途次、紀州街道の西に広がる大和川の浅瀬が新田開発に適していることを知り、新たな事業に投資すべく45歳の年に初めて新田開発に手を染めた。

宝永元 … その前年には「加賀屋新田会所」(現在の大阪市住之江区南加賀屋)を建てており、甚兵衛はここを終(つい)の棲家(すみか)としたのである。 ….

本殿の屋根は大和 川堤防の遊歩道から眼下に見え、大和川が天井川であることを改めて知らされる。

アマゾン堺フルフィルメントセンター(FC)は、西日本最大級の規模をもつ拠点で、西日本の各FCをまとめる基幹の役割を担っています。

その延べ床面積は、東京ドームの約1.5個分。

沖に見えるのは大阪から韓国・釜山への旅をワンナイトクルーズで、パンスタークルーズは瀬戸内海を定期運航する唯一無二の国際船籍のフェリー。

南港の国際ターミナルへ向かうところ。

豪商の気風を映す新田会所跡。

260年むかしの豪商の暮らしがよみがえる 加賀屋新田会所跡
加賀屋新田を開発した加賀屋甚兵衛は大阪淡路町の両替商であり、享保13年(1728 … 続きを読む →


のんびりと釣りを楽しむ人を見かけた。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!