旧居留地散策

神戸港開港により外国人の営業を認可する治外法権の居留地が設けられ、イギイス人土木技師J.Wハートにより、126区画の西洋的な区画に整備され、西洋の文化が花咲く国際都市へと発展した。

当時「東洋の居留地として最も美しい街」と称され今でもほぼそのまま残されている

南京町の東の入口に当たる長安門。
旧居留地西端の鯉川通に面している。

当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。

旧居留地内の住所は町名+番地の外国スタイル。
町名は江戸町、京町、浪花町など日本の都市にちなんだものが多いのも特徴。

スポーツ用品メーカーの「ナイキ」という社名の名前に由来といわれるニケの像。

ニケは、ギリシャ神話の神でアフロディーテの娘で航海中に糸を紡いだり様々な役立つものを作り出す生産の神と同時に勝利の神の象徴として船の先に航海の危機を乗り切り安全を祈願して女神像として取り付けられていました。

明石町筋と仲町通りが交差する角にあるのは旧居留地38番館。
近代建築の匠、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ事務所による設計の情趣溢れた建物で、訪れる多くの人々を魅了しています。

1894年(明治27年)、明治政府はイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、領事裁判権の撤廃と外国人居留地の返還を実現した。

政府はその後同じ内容の条約をアメリカ、フランスなど14ヵ国と締結した。

これら一連の条約は1899年(明治32年)7月17日に発効し、同日をもって神戸外国人居留地は日本側に返還された。

神戸旧居留地のランドマークともいえる大丸神戸店。

その大丸神戸店の天井の高い、石の廻廊の下に『CAFFELA(カフェラ)』というオープンカフェがあります。

通りに向かって並んだ籐の椅子。足もとには荷物籠。
しつけのいい接客。
それだけで、もう、外国のようじゃないですか。

冬にはちゃんとひざ掛けも用意されています。もちろん、とっても暖かいストーブもあるので、木枯らしビュービュー吹き荒ぶ日でなければ、快適に過ごせます。

返還された居留地(旧居留地)には大正から昭和初期にかけて日本の商社や銀行が多く進出し、ビジネス街として発展した。

一方、外国商館は第一次世界大戦を境に衰退を見せた。

とりわけ大戦において日本と敵対したドイツ人所有の不動産は強制的に日本人に売却され、旧居留地においても日系商社がドイツ系商社にとって代わった。

1931年(昭和6年)の時点で、外国人が永代借地する旧居留地内の区画は126区画中47区画にまで減少した。

電気供給が開始されるにあたって居留地側は電線が空中を横切るのは美観を損ねると主張し、電線は地下に配線されることになった。

居留地返還後も旧居留地では電線は地下配線され、通りに電柱が建てられることはなかった。

神戸外国人居留地はラムネ発祥の地といわれることがある。

アレキサンダー・キャメロン・シムが経営するシム商会が、1884年(明治17年)頃に「18番」と呼ばれる(シム商会が居留地18番地にあったことに因む)ラムネの製造・販売を始めたが、「日本清涼飲料水工業発達史」には「神戸の A.Cシム商会が日本で最初のラムネだろう」と記されている。

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