馬の寺 石馬寺


石馬寺は、滋賀県東近江市五個荘石馬寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院。

山号は御都繖山(ぎょとさんざん)。
本尊は十一面千手観世音菩薩。

自然石に刻された寺号碑が建っています。
この地には聖徳太子が建立された大門が建ってたそうです。

伝承によれば、今からおよそ1400年前に霊地を探していた聖徳太子が当地を訪れ、繖山(きぬがさやま)の山麓の松の木に馬をつなぎ山上に登った。

山の霊異に深く感動して戻ってくると、馬は石と化して池に沈んでいた。

これを瑞相と捉えた太子は、山を御都繖山と名付け、この地に寺院を建立し、石馬寺と号したという。

聖徳太子筆と伝承する「石馬寺」の木額や太子馬上像等を所蔵する。
登山口付近には、石馬が背中を見せている蓮池がある。

乱れ石積みのかんのん坂

山門跡から本堂へは、苔むした自然石の乱れ石積みの階段が続く。

この石段はかんのん坂と呼ばれ、百段ほど上ると途中で二つに分れ、左は山上の神社へ右へとれば寺へ達する。

古くより僧や行者をはじめ、多くの人々が信仰を求めて歩いた跡が偲ばれる。

上り出してすぐ左に僧坊跡。
未整理の石仏がごろごろころがっています。

しばらく石段を上ると左右に道があり、右手に曲がると石馬寺、左手に曲がると六所神社、直進すると雨宮瀧神社へ続く道のようです。

右手の案内板に「亡者の辻」とあります。

この辺りは霊がさまよう辻ということなのでしょうか?

直進すると雨宮瀧神社へ続く、特に何もないそうだ。

右に曲がり石馬寺へ向かう。

参道には五輪塔を中心に石仏が並んでいます。

永禄11年(1568年)、織田信長の兵火を受け、伽藍や院坊等が焼失する。

その後、寺領及び山林を没収され、山主や僧徒は退散を命じられた。
慶長8年(1603年)徳川家康により石馬寺が復興。

寛永11年(1634年)、徳川家光の上洛にあたり、旧神崎郡伊庭村に造営された御茶屋御殿の伊庭御殿を移して大方丈とした(旧本堂)。

正保元年(1644年)11月、奥州松島の雲居希膺(うんごきよう)を中興祖として招き、臨済宗妙心寺派の寺院となる。

頂上が見えてきました。
石段は約300段。

本堂。

本堂脇に不動明王石像。
ユニークです。

本堂から鐘楼を見る。

太子駒繋ぎの松。

さりげなく壁面に聖徳太子筆と伝わる、石馬寺と書かれた扁額。

『かくれ里』白洲正子 新潮社

繖山の裾を東へ向かっていくと、近江商人発祥の地である東近江市の五個荘に出る。
白洲さんは、まちはずれの石馬寺(いしばじ)を拝した。

「苔むした自然石の石段がつづく。(中略)下から見あげる茅葺きの本堂は美しい」(同)と描写し、お堂の中へ。

「私の興味をひいたのは、水牛に乗った大威徳明王であった。
等身大一木作りの、のびのびとした彫刻で、ことに水牛がすばらしい。

頭をちょっと左にかたむけ、恭順を示しながら、一朝事であれば飛び出しそうな気配である」。