水遊び


夏休みも残りわずか、楽しかった夏の思い出もそろそろ終わり。

各地で見かけた水遊びのシーン、ほほえましく拝見させていただいた。

無邪気に遊んだ子供の頃が思い出される。

楽しい思い出をありがとう。

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初秋の生駒聖天


宝山寺は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。
生駒聖天とも呼ばれる。

本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っている。

振り返ると生駒の街並みが。

境内に足を踏み入れると頭上に般若窟がそびえる。

般若窟は、由緒書によれば「中生代、古瀬内火山に属する一火山の噴火口類」とされる自然の岩屋である。

この窟は、役行者が修行して大般若経を納めたと伝えられる聖跡で、また、若かりし頃の弘法大師が修行したという伝承も付帯していたことから、それを聞いた湛海律師が「ここで弘法大師と共に弥勒菩薩下生の時を待つ」と語り、寺を開いたと伝えられる。

聖天堂の前にあったお賽銭箱は、歓喜天さまに付きものの「巾着袋」型。

歓喜天像が手にする巾着袋は砂金を入れるものとされ、ご利益の象徴的なアイテムです。

また、描かれているクロスした大根もシンボルの一つ。

歓喜天の供物で、白い色に力があり、体内の毒や煩悩を消し去る効果があるとされています。

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。

その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。
この時が事実上の開山と思われる。

熱心な信者が黙々と奥の院目指す。

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。

京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。

1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。
現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。

麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると1000段余りあり西日本有数の規模を誇る。

この先には歴代山主の墓所があります。

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真夏の咲くやこの花館


ヘリコニア・ロストラタ(学名:Heliconia Rostrata)は、ペルー~アルゼンチンなどの熱帯アメリカ原産で、オウムバナ科オウムバナ属の熱帯性常緑多年性植物。

花序が下垂性をしたヘリコニアということで、ハンギング・ヘリコニア(Hanging Heliconia)や、ロブスター(海ザリガニ)の鋏(はさみ)のような形をした苞(ほう)が特徴的なので、「ロブスタークロー(Lobster claws)」とも呼ばれます。

苞は鮮やかな朱色で先端は黄色い。
苞から花径が5~6 cmの黄花が咲きますが、苞ほど魅力はありません。

ボリビアの国花とされます。

ピンポンの木の青い実

ピンポンの木という名前から、卓球のピンポンをイメージしたのですが、卓球のピンポンとは関係ないそうです。

中国語で頻姿(ピンポー)と呼ばれ、発音から英名でピンポンツリー(Pingpongtree)と呼ばれるようになったので、このような名前になったようです。

エンセテ・ラシオカルプム

金色の蓮(エンセテ・ラシオカルプム 地湧金蓮) 蓮の仲間なんですね。

「タマゴノキ」と呼ばれる熱帯果実で、同名で呼ばれるウルシ科のタヒチモンビンとは、花、樹皮、葉が異なる。どちらも卵大の実を付け、秋には熟して黄色くなるが、タヒチモンビンが縦長であるのに対して、タマゴノキは球形である。

タマゴノキの実も食用に出来るが、酸味が多くて美味しくないそうである。

アワプヒは英名でジンジャーと呼ぶ通り、ショウガ科の植物です。
根っこを見ると確かに食用の生姜のような形をしており、同じ種類であることが頷けます。

アワプヒの花言葉には「豊かな心」「慕われる愛」などがあるようです。

「豊かな心」という花言葉は、夕方になるにつれて花の香りが強く広がっていく様子から。
「慕われる愛」という花言葉は、ジンジャーのもつその魅力的な甘い香りからつけられたようです。

ファレノプシス・ヘリーナ

東南アジアのマレー半島からボルネオ島に分布しています。
雨林に生え、樹木や岩上に着生します。

茎は短く、倒卵形の葉を2~5個つけます。
春から夏にかけて、花茎をのばして淡黄緑色と赤紫色の花を咲かせます。

ビオラケア種と非常に似ていますが、形態的にはビオラケア種の花披片が楕円形なのに対して、本種では卵形です。

また本種には「レモン」のような芳香があります。

オオイタビ(Ficus pumila)はクワ科イチジク属の常緑つる性木本。

東アジア南部に分布し、日本では関東南部以西、特に海岸近くの暖地に自生し、栽培もされる。

茎から出る気根で固着しながら木や岩に這い登る。
オオイタビの名は、イタビカズラに似て大型であることによる。

台湾に生育する変種のアイギョクシ(Ficus pumila var. awkeotsang)は果実を食用に用いる。

ヒョウタン

最古の栽培植物の一つで、原産地のアフリカから食用や加工材料として全世界に広まったと考えられている。
乾燥した種子は耐久性が強く、海水にさらされた場合なども高い発芽率を示す。

狭義には上下が丸く真ん中がくびれた形の品種を呼ぶが、球状から楕円形、棒状や下端の膨らんだ形など品種によってさまざまな実の形がある。

ヒョウタンは、苦み成分であり嘔吐・下痢等の食中毒症状を起こすククルビタシンを含有し、果肉の摂取は食中毒の原因となる。

どこで苗木を手に入れたのか田舎で父親が庭に植えていた、子供の頃よく採って食べたものだ。

ポポーはバンレイシ科の植物で、原産地は北米。

英語ではpawpaw(ポーポー)といい、かねてよりネイティブアメリカン(俗にいうインディアンのこと)に親しまれてきたフルーツ。

またの名としてpoor man’s banana(貧乏人のバナナ)など、なんとも面白いネーミングがついています。

日本には明治時代に入ってきました。

ブンタン(ザボン)

原生地は東南アジア・中国南部・台湾などであり、日本には江戸時代初期に渡来した。

漢字をそのままに音読みしているが、本品の貿易船主である謝文旦という人名の潮州語読み(ジアブンタン、zia bhungdang)に因む。

果肉が淡い黄色の品種(白欒)を文旦(ブンタン)、果肉が赤い品種(朱欒)を謝文(ジアブン)と呼び分けたとも言われる。

ザボンは第二次世界大戦前にはジャボンと呼ばれるのが一般的で、ジアブン、ジャボン、ザボンと変化したと考えられる。

日本において、クリは縄文時代初期から食用に利用されていた。

長野県上松町のお宮の裏森遺跡の竪穴式住居跡からは1万2900年前~1万2700年前のクリが出土し、乾燥用の可能性がある穴が開けられた実もあった。

縄文時代のクリは静岡県沼津市の遺跡でも見つかっているほか、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリの実のDNA分析により、縄文時代には既にクリが栽培されていたことがわかっている。

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高山植物 咲くやこの花館


ペトロルコスメア・フォレスティ

ペトロコスメア・ミノールは雲南の標高900~2100mの石灰岩地にみられます。
花はこの仲間では立派なもので径約2cm。

ペトロコスメア属は雲南、四川を中心に38種類があると、DNA塩基配列のデータで調べられています。

コマクサ

美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている。
和名はその花の形が馬(駒)の顔に似ていることに由来する。

ミヤマオダマキ

北海道~中部地方以北、南千島から朝鮮北部、樺太に分布する高山植物。

シナノナデシコ

山地の河原や荒れ地、礫地などに生育する。高さは20-40cmになる。
茎の断面は四角状で、ふくれた節をもつ。

モミジカラマツ

山地の河原や荒れ地、礫地などに生育する。高さは20-40cmになる。茎の断面は四角状で、ふくれた節をもつ。

チングルマ

バラ科ダイコンソウ属の落葉小低木の高山植物。

東日本(北海道~中部地方以北)、樺太、アリューシャン列島、カムチャツカ半島に分布する。
高山の雪渓周辺の多湿地に生える。

クロユリ

多年草、地下にある鱗茎は多数の鱗片からなる。
茎は直立して高さ10-50cmになり、3-5輪生する葉が数段にわたってつく。

本州では、東北地方の月山、飯豊山、中部地方に分布し、分布の西限地は白山で、室堂周辺などに大量に群生しているのが見られる。
石川県の「郷土の花」。

武将の佐々成政にシェイクスピアの『オセロ』に似た、側室の早百合姫の「黒百合伝説」が富山にあり、明治になり金沢出身の作家泉鏡花が『黒百合』という小説を書いている。

チシマルリオダマキ

「ミヤマオダマキ(A. flavellata var. pumila)」の近縁種だと思いますが、学名は確定させていません。

また、原産地を千島列島と確定することも難しそうです。
詳細な情報は見あたりません。

エゾグンナイフウロ

外国産のものや園芸品種などはゲラニウム(ゼラニウム)の名称でも呼ばれる。
  
葉は手のひら状に5-7裂し深く切れ込み、裂片はさらに切れ込む。

コウライウスユキソウ

うっすらと淡雪をかぶったような姿からその名のつく、「コウライウスユキソウ」。

雪のように見えるのは、白い毛です。
歌にもなっている、あのエーデルワイスの仲間。

プルサチラ・ベルナリス

プルサチラ・ベルナリスは、ヨーロッパアルプス~シベリアの山地に生えるオキナグサの仲間で、西洋オキナグサに似ますが草丈は小さく15cmほどで、葉はモミジ葉になります。

春先に絹毛に覆われた白い花を咲かせます。
花弁の外側は桃や銀色に色づきます。

和名「春オキナグサ」

ゲラニウム・サンギネウム

ゲラニウム・サンギネウム(Geranium sanguineum)はヨーロッパ、ロシア、トルコ、アルメリア、アゼルバイジャン、グルジア原産の栽培品種。

プルサティラ・ブルガリス

オキナグサの園芸品種。全草が白い和毛に包まれて優しい草姿。

明るく上向きに咲く可愛らしい花は春の暖かさを絵にしたような風情を醸し出し、多くの人から愛されています。

エーデルワイス

キク科の多年草。ヨーロッパの高山や亜高山に生える有名な高山植物。
草丈は 10~20cm,全体が白色の軟毛に包まれている。

セイヨウウスユキソウともいう。

高さ10〜20cm。茎頂に7〜9個の頭花がつき,その基部に包葉が放射状について包葉群全体で花のように見える。

全体に白い軟毛が密生するが,特に包葉で目だつ。

ギンケンソウ

ハワイ諸島の限られた山上にのみ知られる。
銀色のとがった葉をロゼット状に出し、背の高い花穂を伸ばす。

一度咲くと枯れる。

フィテウマ・オルビクラレ

キキョウ科シデシャジン(フィテウマ)属の耐寒性多年草。

クロバナタマシャジンは、一般のタマシャジンよりも色が濃く、つぼみの頃は深みのある濃紺で花が開くと青紫色になります。

花の形状は「タマ」ではありますがまばらで先端のほうが曲がっています。

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食虫植物 咲くやこの花館


パフィオペディルム

地上に根を下ろす地生蘭もしくは半着生蘭であり、洋ランでは少数派に属する。
また、袋状の花弁が食虫植物を思わせるため、虫を取ると良く言われるが、事実無根である。

「洋」ランのイメージが強いが、日本での栽培の歴史も浅くはなく、歴史的に水戸徳川家のコレクションが有名。

花言葉

思慮深い・官能的・優雅な装い・気まぐれ・変わり者・変わりやすい愛情・責任感の強い人。

ネペンテス・アルボマルギナタ

マレーシア、ボルネオ島、スマトラ島に分布する小~中型のネペンテスで、標高1000m以下の林床などに自生する低地性種。

ネペンテス・トルンタカ

ネペンテス・ウェントリコサ

ハエトリグサ

北アメリカ原産の食虫植物。
別名、ハエトリソウ、ハエジゴク。

葉を素早く閉じて獲物を捕食する姿が特徴的で、ウツボカズラと並ぶ有名な食虫植物。

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比叡山横川


横川は本堂にあたる横川中堂を中心とする区域です。

西塔から北へ4キロメートルほどのところにあり、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた。

本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。

他に往生要集著者の源信僧都が隠居していた恵心堂やおみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)などがあります。

横川駐車場から約300m歩いたところにある九頭龍池は元三大師が大蛇を掌にのせて仏法の守護神としてこの池にすまわせた伝説のあるところ。

ここから見える中堂は若葉や紅葉の海に浮かぶ船の形をしています。

横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。
舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。

お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
現在の建物は昭和46年に再興された建物です。

横川中堂の本尊 聖観音菩薩

観音菩薩は衆生の苦しみや救いの声を聞きつけて馳せ参じてくださる仏様で 性別は女性でも男性でもないとされ、必要に応じて刹那刹那にあらゆる姿に変化される「かたよりのない存在」といわれています

四季講堂(元三大師堂)へ向かう杉並木、涼しい木立です。

途中に道元禅師得度霊跡への道の分岐があります。 

四季講堂(元三大師堂)

慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論義されたことから四季講堂とも呼ばれています。

現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地となります。

ここでは、角大師(つのだいし)のお姿を授与していて、魔除けの護符になっています。

修行中の僧侶が干しているわらじでしょうか…

この、ちょっと怖いようなお姿が、元三大師さまのお姿だそうです。

角大師(つのだいし)と呼ばれるそうです。
元々、立派な僧侶でしたが、疫病が流行した時に鏡に向かい合う姿で座禅を組み、瞑想に入られたそうです。

すると、鏡の中の元三大師の姿が、次第に変化して…

このような、鬼のような姿になったそうです。
それを弟子が書き写し、護符(お守り)として家々に配ったとか。

そのおかげで、疫病の流行は治まったそうです。
今でも、お堂の中では、この大師のお姿の護符をわけておられました。

怖いものに対しては怖い姿で対決されたのでしょうか…

四季講堂(元三大師堂)参拝の後バス停へ向かいますが厳かな雰囲気の場所です。

途中きれいな水場がありました。

今辿ってきた道が元三大師道です。

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比叡山西塔

西塔は、東塔より1キロほど離れた静かで美しい環境の中にあります。
天台建築様式の代表とされる荘厳な釈迦堂を中心に、にない堂・椿堂・瑠璃堂などが点在します。

親鸞聖人修行の地

法華堂

隣の常行堂と渡廊下によって連結していることから、両者あわせて「にない堂」と称されています。
天長3年(826)に建立されましたが、その後幾度かの焼失をへて、文禄4年(1595)に現在の建物が再建されました。

向かって左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂。

同形の2棟の建物が廊下でつながり、弁慶が廊下に肩を入れて担いだという伝説が残されていることから「にない堂」とも呼ばれる

釈迦堂へ行く階段を降りる途中に恵亮堂・西塔政所があります。

この恵亮堂は恵亮和尚(800‐859)を本尊として祀っています。

この和尚は大楽大師と称し、当時お山の中では修力霊験に最も優れた和尚だったそう。

京都の妙法院を創建し延暦寺西塔の興隆に尽力した

比叡山では、座ることを坐禅止観といって、最も大切な修行のひとつとしています。

恵亮堂

恵亮和尚(800‐859)を本尊として祀る。

この和尚を大楽大師と称し、当時お山の中では修力霊験に最も優れた和尚であり、京都の妙法院を創建した人であった。

なお、恵亮は延暦寺西塔の興隆に尽力した。

釈迦堂(転法輪堂)

西塔は本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域です。

西塔の本堂にあたるのが、この転法輪堂です。
一般にはご本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂の名で知られています。

現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、もとは三井寺の園城寺の金堂でしたが、秀吉が文禄四年(1595年)に西塔に移築したものとなります。 国重要文化財に指定されています。

にない堂をみあげる。

浄土院へ向かう。

浄土院

伝教大師の御廟がある浄土院は、弘仁13年(822年)6月4日、56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)7月ここに移して安置した場所です。

浄土院御廟所。

山王院へむかう、少々距離がある。

元三大師霊場。

山王院は東塔の惣持院の西方に位置する小堂です。
見た目は、まるで田舎の小高い丘にあるひなびた神社のようです。

ここは智証大師円珍(814~91)の住房であったことで知られています。

天台宗第六祖・智証大師円珍の住房で後唐院とも呼ばれた。

千手観音を祀ることから、千手堂、千手院とも呼ばれる。

円珍没後、天台宗は円珍派と慈覚大師円仁派の紛争が起こり、円珍派は、ここから円珍の木像を背負って園城寺(三井寺)に移住したのだという。

武蔵坊弁慶が千日間の参籠をした堂とも伝えられている。

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比叡山東塔へ


涼しいという話に乗って比叡山を目指す。
高野川では子供たちが魚とり、これは涼しそうだ。

叡山電車「八瀬比叡山口駅」から徒歩1分という便利な場所にある叡山ケーブル「ケーブル八瀬駅」。
ここから「ケーブル比叡駅」まで移動します。

ケーブル比叡山駅についたら叡山ロープウェイに乗り換え、「ロープ比叡駅」から「比叡山頂駅」に移動。
そこから延暦寺まではバスが出ています。

比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。
平成6年に世界文化遺産に登録されています。

奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まり。

最澄が中国に留学して天台宗を開立してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、この比叡山からのちに日本仏教をささえた円珍(えんちん)(814-891)、円仁(えんにん)(794-864)、慈円(じえん)(1155-1225)、源信(げんしん)(942-1017)、法然(ほうねん)(1133-1212)、親鷲(しんらん)(1173-1262)、一遍(いっぺん)(1239-89)、道元(どうげん)(1200-53)、日蓮(にちれん)(1222-82)などの傑僧(けっそう)を輩出しています。

画像は大講堂

大講堂は比叡山延暦寺東塔に位置する建物で、単に「講堂」とよばれることもありますが、横川の四季講堂などと区別するため「大講堂」と称されています。

戒壇院よりも高い場所に位置しており、多くの法会の舞台ですが、幾度も焼失してきました。

現在の建物は昭和38年(1963)に讃仏堂を移築したもので、寛永11年(1634)の建立です。

東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域。

伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。

大講堂の西側、一寸した高台の上に「戒壇院」が建っている。

ここは、天台宗の僧が住職になるための必修の条件である大乗戒(規律)を受ける堂で、年に一度授戒会が行われる。
このためか「戒壇院」比叡山中でも最も重要な堂の一つであるとされている。

最澄上人が大乗戒壇院を建立すべく心血を注いでいたが、存命中は実現せず、最澄の死後7日目に嵯峨天皇より勅許が下ろされ、堂は天長5年(828年)に第一世義真座主により創建されたといわれている。

気温27度といううたい文句につられてきたが、木陰は涼しいものの、日向に出ると熱風が容赦なく吹き付ける。

阿弥陀堂

昭和12年(1937)に建立された、檀信徒の先祖回向の道場。
本尊は丈六の阿弥陀如来です。
一般の方々の回向法要もしております。

法華総持院東塔

昭和55年に阿弥陀堂の横に再興された。

伝教大師最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされましたが、その中心の役割をするのがこの東塔になります。

本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています。

本尊の阿弥陀如来

「雷すでに起らずなりぬ秋ふかく大比叡の山しづまりたまへ」

吉井勇は比叡山に来るといくらでも歌が作れたらしく、著作「京都歳時記」には山中での出来ことを題材にした多くの歌が詠まれている。

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突然猫が・・・・・


2月堂の夕日の撮影を終えて登楼を降りていると突然猫が横切ったのです。

一番最後に降りたのでもう誰もいないと思い移動を始めたらしい。

見るとかわいい子猫ではないか。

今度は鹿の群れです。
裏参道を降り大極殿の角を左に曲がったところ。

ちょうど2月堂への参道、鹿がねぐらへ帰る群れと出くわしたのです、40~50頭はいたでしようか。
唖然として見送った。

大極殿、誰もいない、きれいなブルーの中を急ぐ。

前方には南大門、二人連れがゆく。

振り返ると大極殿、ブルーの中に浮かぶ。

南大門、奥に大極殿が闇に浮かぶ。

東大寺境内の重要なランドマークとも言える「南大門」ですが、その歴史は大仏殿等と同じく「奈良時代」にまで遡ります。

但し奈良時代から建設されていた門は平安時代中期の応和2年(962年)8月に台風の被害を受け倒壊し、200年以上経過してから鎌倉時代の正治元年(1199年)に東大寺中興の祖として現在も広く知られる「重源」が指揮を取る中で復興されたものが現在の南大門となっています。

闇に浮かぶ吽形像。
素晴らしいコントラスト。

正面から見て門の左側には阿形像、右側には吽形像が安置されていますが、これらは鎌倉時代の天才的仏師(仏像を造る職人)である運慶が指揮をとり、快慶らとともに彫り上げたもので、門が完成した後、建仁3年(1203年)にわずか69日間の製作期間で造り上げられたと言われています。

なお、夜間には阿吽も含め周辺がライトアップされ、運慶らの「才能」をひときわダイナミックに鑑賞できます。

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絶景 2月堂の夕日


鹿も暑いのか心なしか日陰に集まっているように見える。

夕日を求めてまたまた2月堂へやってきた。

夕日を待つ人たち、それぞれに待つ時間を楽しむ。

青銅製の手水鉢を沈みかけた夕日が直撃、素晴らしい陰影を見せる。

そろそろ夕日タイム。

空を真っ赤に染めて生駒の山に沈む夕日。

沈み切る前からすでにトワイライトのブルーが始まっているようだ。

青と赤のコントラストが何とも言えない。

いよいよブルーの世界。

人も三三五五と家路へつく。

松明が駆け上がる登楼から降りる、途中猫が飛びたすハプニングあったが改めて。

最後は好きな裏参道を下る、司馬さんもこの景色がすきだった。

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