神戸旧居領地散策


シップ神戸海岸ビル

最新ビル建築との融合が斬新
外壁は御影石貼りで、唐破風のペディメントや幾何学的な装飾が随所に施されている。
震災後に15階建てに再建し、4階までの低層部に保存していた旧外壁を再構築して復元した。

元三井物産神戸支店で、長く「海岸ビル」と呼ばれていた

当時ウィーンの新建築運動であったゼツェッションの影響を強く受けている。
阪神・淡路大震災後に改築。

阪神淡路大震災で全壊認定を受けたために幾何学的装飾が施された外壁を撤去・保管。
その後、同じ場所に新しく再建された高層ビルの低層部に旧外壁を再構築した。

この4階建の旧外壁は国の登録有形文化財に登録されている(なお、空襲の被害があった4階の外壁材は新調された)。

なお、再建された旧建物外壁の1階南正面、東側の玄関には、竣工当時から受け継がれてきた木製ドアが取り付けられている。

また1階エレベーターホールには、かつて南正面玄関ホールを飾った6本の御影石柱が据えられ、南正面玄関の内扉2枚も店舗の出入口に再利用されている。

旧居留地(きゅうきょりゅうち)とは、かつて主に安政の五か国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。

神奈川県横浜市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市、長崎県長崎市、の旧居留地が有名。

旧居留地は、北は西国街道、東は旧生田川(現在のフラワーロード)、西は鯉川(現在の鯉川筋)、南は海に囲まれた周囲と隔絶されていた地区で、そこにイギリス人技師J.W.ハートが居留地(神戸外国人居留地)の設計を行い、整然とした西洋の街を造り上げた。

その後、東西の川は移設(付け替え)や暗渠化によって道路となったが、現在も道路を越えると街の雰囲気が一変する。

明石町筋と仲町通りが交差する角にあるのは旧居留地38番館。近代建築の匠、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ事務所による設計の情趣溢れた建物で、訪れる多くの人々を魅了しています。

重厚感あふれるヴォーリズ建築

南側正面のイオニア式円柱など、アメリカン・ルネッサンス様式の重厚な意匠が目を引く。
現在は多彩なショップやカフェが入る。

名称の38番は、外国人居留地時代の区画番号。

ナショナルシティ銀行神戸店として建てられた

大丸神戸店の中庭で見つけた神戸復興の女神、ニケの像。

ギリシャ神話の勝利の女神だそうです。
スポーツ用品メーカーの「ナイキ」という社名もこの名前に由来しています。

ニケは、ギリシャ神話の神でアフロディーテの娘で航海中に糸を紡いだり様々な役立つものを作り出す生産の神と同時に勝利の神の象徴として船の先に航海の危機を乗り切り安全を祈願して女神像として取り付けられていました。

1868年(明治元年)から1899年(明治32年)の返還までに、外国人に126区画に分けて競売された治外法権の場所であった。

やがて、居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったのが、北野異人館街である。

1980年代までは、「老朽化した古いビルのオフィス街」という認識であったが、1988年に起こった旧神戸商工会議所ビルの保存運動が街再生のきっかけとなる。

商工会議所ビル自体は解体されたが、居留地の一角を占める百貨店大丸神戸店が自ら所有していたヴォーリズ設計の近代建築をLive Lab West(現旧居留地38番館)として店舗化し、さらに周辺の近代西洋建築へ高級ブティックを積極的に出店していった。

それによって近代建築オーナーの意識も変わり、近代建築が点在するのではなく「街並み」として「面」として存在することの価値を認識するようになる。

2000年代に入るとLVMHなどの外資ブランドが直接参入し、今では「最も神戸らしい洗練された街」として活況を呈するようになった。
これは市民運動と商業資本のコラボレーションの成功例として特記に値する。

1992年に国土交通省の都市景観100選に選定、2007年には旧居留地連絡協議会が日本都市計画学会の最高賞である石川賞を受賞している。

乙仲通(おつなかどおり)は昔、海運貨物取扱業者が軒を並べて賑わっていました。

昔の単位で甲・乙・丙・丁があり、昭和14年に政府は戦時体制に備え、これらの業者を乙種海運仲立業にまとめました。

以来、「乙仲さん」として親しまれ、その活況から通りの名前まで「乙仲通」と呼ばれるようになりました。

平成20年4月、地元住民の声も「乙仲通」にまとまり、神戸市より道路の愛称に認定されました。

浪花町筋、遠景はセントモルガン教会 神戸。

新旧が混在、まさに神戸。

三宮神社は航海の安全と商工業の繁栄を守る神として、古くから一般の崇敬厚い神社。

古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳。祭神は水の神である湍津姫命(たきつひめのみこと)。

境内に「河原霊社」や「史蹟 神戸事件発生地碑」と当時の大砲が置かれている。

慶応4年(明治元年、1868年)には、三宮神社前において、岡山藩(備前藩)兵と外国兵の衝突が発生した。
明治政府初の外交事件となったこれを、神戸事件あるいは、備前事件と呼ぶ。

当社は、周辺の「三宮」という地名の由来にもなっている。

異国情緒漂う街、神戸を代表する商店街の「神戸元町商店街」は、実は140年以上の歴史がある商店街。

実はこの道、平安時代に山陽道として整備された京都と下関を結ぶ重要な街道。

近世からは西国街道とよばれ、「下にぃ~、下にぃ~」と大名行列も通ったとか。

今から150年くらい前、このあたりには神戸村、二つ茶屋村、走水(はしうど)村という3つの村がありましたが、街道沿いにはいろいろなお店があって賑わっていたようで、やがて商店街へと発展していきました。

すぐ南は南京町、当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。

居留地に対してこれら西側のエリアを雑居地といった。

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