近江の厳島 白鬚神社


全国にある白鬚神社の総本社とされる。

沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。
別称は「白鬚大明神」「比良明神」。
神紋は「左三ツ巴」。

由来=古来波打ち際に鳥居が見え隠れしていたとも、天下変災の前兆として社前の湖中に石橋や鳥居が突然姿を現したとも言われる。(社伝・社記)

湖上交通の盛んな頃、舟でのご参拝の目印でもあったか?

湖中鳥居(向こうに見えるのは琵琶湖最大の島=沖の島) 白鬚神社HPより 

白鬚神社の境内から琵琶湖のほうを見ると、ふたつの鳥居を同時に見ることができます。

昔は神社から湖の鳥居までは一繋がりでしたが、現在このふたつの鳥居の間には、国道が横切っています。

北側の風景。

南側の風景。

謡曲『白鬚』では当社が舞台とされている。

近江の国の地主神とされる比良明神が、鎌倉時代中ごろには白鬚明神とよばれてくるが、それにともない、この神は近江国にとどまらず、ひろく信仰さ れるようになった。

たとえば、鎌倉時代後期ごろから次第に舞われてきた曲舞の中に、この白鬚明神かうたわれ、それが観阿弥によって猿楽能に取り入れられるのである『申楽談儀』。

これは、猿楽に曲舞がとり入れられた最初とされ、のち謡 曲「白鬚」として編曲されることになる。

ちなみに、そのあらすじは、時の天皇が夢告によって、白鬚明神に勅使をさしむけ参拝さすと、明神が老漁夫の姿であ らわれ、比叡山が仏法結界の地となった由縁を語って社壇に入ったが、のち天女・竜神をつれてあらわれ、舞をまって奇特を示し、天皇の御代を祝福するという のである。

能の曲目の中でも神物として尊ばれた。

本殿は慶長8年(1603年)の造営。
棟札等から、片桐且元を奉行として播州の大工の手で建てられたとされる。

与謝野鉄幹・晶子歌碑 

「しらひげの神の御前にわくいつみ これをむすへは人の清まる」

白鬚神社の境内にある歌碑は、「明星」派歌人の第一人者である鉄幹・晶子夫婦のもの。

白鬚神社の歌碑に刻まれた歌意は、夫唱婦随の典型的なもので、延寿を願う白鬚詣での神社にふさわしく、琵琶湖に向かって建っています。

紫式部歌碑

「三尾の海に 網引く民のてまもなく 立居につけて 都恋しも」

この歌は「源氏物語」の作者紫式部が、この地を通ったときに詠んだもの。

平安時代の長徳2年(996年)越前の国司となった父藤原為時から船路にて湖西を通り越前に向かいました。

途中、高島の三尾崎の浜辺で、漁をする人々の網を引く見なれぬ光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだのがこの歌です。

紫式部の若き日を偲んで、白鬚神社の境内に歌碑が建立されています。

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