琵琶湖の自然の美しさを表現する創作ひな人形「清湖雛(せいこびな)」を五個荘近江商人屋敷中江準五郎邸(東近江市五個荘金堂町)で見た。

ひなまつりは各地で行われているが、どうもありきたりの感が否めない、しかしここで見たひなは目を奪われるものがあった。

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ある日曜日の昼下がり


日曜日の昼下がり、大阪の都心は強い日差しに包まれていた。

人々は木陰に涼を求め、思い思いに楽しんでいる。

公園には容赦なく強い陽が降り注ぐ。

日差しに負けず元気な人たち。


木陰でダンスを楽しむ人。

涼しい川辺のレストランでおしゃべり・・・・

気の早い人も現れた。

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恐竜王国福井 旅で出会った恐竜たち


恐竜王国福井、その中心地勝山市の下水管カラーデザインマンホール。
恐竜王国の文字と、恐竜、その足跡がデザインされています。

恐竜王国福井には至る所で恐竜に出くわします、今回の旅で出会った恐竜たちを紹介。

恐竜王国勝山、1982年に、北谷町で1億2千年前のワニ化石が発見され、1988年の予備調査では肉食恐竜の歯などが発見された。

本格調査により、勝山市は日本の恐竜化石の大部分を占める恐竜王国となりました。
2000年(平成12年)7月に長尾山総合公園に福井県立恐竜博物館が開館し、卵形の恐竜ホール内は太古の恐竜王国へ迷い込んだ気分が味わえます。


フクイラプトル、勝山橋付近。
フクイラプトルは、第一次恐竜化石調査(1989~1993年)で歯や前あしの末節骨(かぎ爪)が発見され、肉食恐竜の存在が明らかになりました。
その後、第二次恐竜化石調査時(1996~1997年)に、大腿骨など多くの部位が見つかり、000年に新種の恐竜として命名された。

イグアノドン、えちぜん鉄道勝山駅 ロータリー内。

以下の画像は福井駅「恐竜広場」にて。

恐竜が飛び出してくるトリックアート、画像はフクイラプトル・フクイサウルス。

トリケラトプス

フクイティタン:竜脚類の草食恐竜。日本で初めて学名がつけられた竜脚類、全長(骨格(頭の先から尾の先まで))約10m、最高高さ約6.0m(モニュメント)

左は「フクイラプトル」という肉食の恐竜。
前肢、後肢の骨がほぼ揃っていて、肉食恐竜では日本で初めて復元することができた全身骨格だとか。
全長は4.2m。
白亜紀前期のもので、この時代の獣脚類の進化を考える上では重要な発見だそうです。

右は2003年に新しい種類の恐竜として命名された「フクイサウルス」という草食恐竜。
全長は4.7m。
フクイサウルスはイグアノドン類の進化の研究の上で重要な化石標本となっているもので、全身骨格が復元されています

恐竜以外にも、最近仲間入りした「福井の哺乳類」にも注目!
2014年に、恐竜時代の哺乳類の骨格化石が日本で初めて発見された。

ほぼ全身の骨が見つかったため、その骨からかつての姿をイメージして作ったものなんだとか。
この姿はほぼ本物に近いと言われています。
(本物の大きさはもう少し小さいようです。)

福井駅西口広場に面した駅舎の壁面には、縦10m、横45mという巨大サイズの恐竜の絵が描かれている。

わざわざ恐竜博物館に行かなくとも駅前で十分楽しめるようだ。

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八戸ノ里界隈


彌榮神社(弥栄神社) いやさかじんじゃ
創建年代は不明で元は牛頭天王と呼ばれていた。
 
その名からもわかるように御祭神は、須佐之男命。
 
石山合戦で焼失し、1600年に再建。1872年、現社名。

木村重成、大坂城炎上の無念
重成が決死の覚悟をした場所か!

大坂夏の陣で木村重成は、大坂城の救援に向かう途中、この地で城の炎上を見、馬の上に立って城に別れを告げ、戦地へ引き返し戦死したことから、この地が馬立と呼ばれるようになったという。

舟に使っていた丈夫な木を外壁の仕上げ材に使った建物、不定形で釘の後などが残る板をランダムに張り合わせた壁は芸術性も感じさせる。

ものを大事にする当時の人々の気持ちがよくわかる素晴らしいエコな建物。

床寅、元村営の床屋(村床)だったという。
明治27年創業で、現在の建物は昭和9年のものだとか。


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てんびんの里ひな巡り 中江準五郎邸


戦前の朝鮮や満州に三中井百貨店を展開した、中江4兄弟の末弟・準五郎の邸宅では、当時の百貨店経営の資料に加えて、五個荘の郷土玩具である小幡人形や土人形が多数展示されていました。

ここの提案は綺麗に整備されていて、見ごたえがあります。

明治38年(1905)に発足した三中井呉服店。

戦前には、朝鮮半島・中国大陸で20余店舗を擁する大百貨店として隆盛を誇りました。

しかし、昭和20年(1945)敗戦と共に衰退。 
この三中井を経営したのが、金堂に本部を置いた中江勝治郎を中心とする中江家でした。

中江準五郎もその一族で、昭和8年(1933)に建築された邸宅は、近代近江商人の本宅の典型として整備し公開しています。

毎年、2月から3月にかけて行われている「商家に伝わるひな人形めぐり」では、滋賀県の特産品・近江上布を着せた創作ひな人形などが展示されています。



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てんびんの里ひな巡り 外村宇兵衛邸


1813年(文化10年)外村与左衛門との共同事業から独立商いを始める。

努力の結果東京、横浜、京都、福井などに支店を持ち、商圏を広げ、明治時代には長者番付けに名を載せ、豪商となる。

滋賀県の旧家では、おなじみの川戸は、家の中に水路を引き、台所で使用した水を排水して、そこに、たまった食べかすなどが鯉のエサになっている。

屋敷は家業の繁栄とともに大きくなり、庭も神崎郡内一といわれていた。
現在、てんびんの里伝統家屋博物館として公開している。

商人たちが担いだ荷物、何とか持ち上げられるがとても担いで歩けたものではない、10㎏の重量があったと。

江戸中期の作と伝わる外村宇兵衛邸の「御殿びな」は、二畳敷きの大きさの飾り台に、平安時代の宮中の宴を再現しており、宴の準備をする官女や男たちの人形も並んでいる






近江商人たちは、郷里を離れることなく、金堂の本宅を守り進んで社寺や公共のために出資しました。

近江商人の商いの特徴として、次の四点があげられている。

まず、商いの形は行商形態をとり、呉服・太物・麻布・蚊帳・漆器・小間物・合薬など多種多様な商品を扱っていた。

次いで活躍の舞台として、近江商人は全国各地に支店を出していることが特徴である。

3番目に、近江商人は商業だけでなく、金融業・製造業・油絞業・漁業などに経営を広げている点も注目されている。

そして4番目には、経営の合理性があげられ、共同企業形態をとるものや会計帳簿作成などの経営方式を取り入れていた。

その経営活動を支えていた精神は、勤勉・倹約・正直・自立の精神であると言われる。

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てんびんの里ひな巡り 外村繁邸


外村繁氏は、五個荘商人を代表する外村宇兵衛家から分家した一族の出身。

近江商人を題材にした作品を数多く残して第1回芥川賞の候補にもなった作家。

邸宅内部は「外村繁文学館」として、外村繁氏の作家人生を公開している。

繁氏は、呉服木綿問屋で活躍した吉太郎の三男として明治35年に生まれ、現在の京大を経て東大経済学部に進学。

父親の死後一時家業をついだものの、弟に譲り文学を志し、数々の書を発行、昭和36年59歳で永眠した。

作品
・1933年『草筏』(第一回芥川候補) ・池谷信三郎賞
・1954年『筏』第9回野間文芸賞
・1960年 『澪標』(第12回読売文学賞

鯉の泳ぐ水路に浮かぶ創作雛、石垣に何か見える。

ズームアップしてみるとなんと愛嬌のある魚たち。

至る所に並ぶ創作びな。


外村家の嫁入り衣装。

間仕切りをなくした広々とした部屋には御殿の屋根を取り払い 姿を見易くした有職雛、有職(儀式・行事・官職など)の装束の雛人形。



座敷のガラス戸も年代物、像がゆがんで面白い造形美。

昔は、どこの家にもあった「おくどさん」。

家族、店の番頭から丁稚、女中の分の食事の支度をこのおくどさんでご飯からおかずまで、炊いていました。

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坂本のお休み処 拾穂庵


江戸時代に日吉大社の社家として築かれた趣ある建物。

名物の釜飯は、目の前のテーブルで30分かけて炊かれた出来立てが味わえます。
大宮川の水を引き込んだ和風庭園を眺めながら、ゆったりとしたひとときを。

明治初期に建てられたという建物は、日吉神社の元神主の住まいであった社家を利用したもの。

ぜんざいや、お抹茶、釜めしなどの軽食が楽しめるお茶処で、畳敷きの店内は温かで落ち着く雰囲気。

すべての席から眺めることのできる和風庭園は小さな滝があり、小鳥のさえずりも聞こえてくるなど店内にはゆっくりとした時間が流れる。

気候のよい日は縁側で休憩するのもおすすめ。

大津絵作家の絵の展示販売もあり、心和む店です。

京阪坂本駅前で見かけたツワブキ、枯れた味が何ともいい。

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早春の丹波路


野菜の収穫の終わった畑、春の植え付けを待ちます。
向こうで農作業の人がいます。

近づいてみると耕した後の畑で畝づくりをしています。

枯れ芙蓉もすでに種をまき散らした後です。

三田ではいちご狩りを楽しむ。

農業用のため池、逆さ富士はどこでもおなじみの風景。
なにやら春めいた感じがします。

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日本の原風景 美山かやぶきの里


以前は北桑田郡美山町だったのですが、今は南丹市美山町に変わっています。
「北」の集落には50戸のうち38棟がかやぶきの屋根です。

最近見かけなくなった、陶製の赤ポスト。
村の入り口にあるお地蔵さん。
この北村の真ん中を鯖街道が通っています。

高く伸びたカヤが印象的でした。

伝統的技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価も高く、平成5年(1993年)12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

最近葺き替えをした家。

茅葺き屋根の棟に載せられた 木製の千木(雪割り)は、降り 積もる雪を滑りやすくしたもの だという。
千木の縦板(うまのり) はほとんどが5本だが、7本 あるのは往時の庄屋あるいは 豪農の家だったとされる。

茅の葺き替えは、一部を葺き替える部分葺き。かつては50年持った屋根が、中で火を焚かなくなったため、 屋根の南面は20年強、北面は15年ほどしか持たない。

田んぼで稲を刈り取って脱穀した後の藁を円錐状に積み上げた「わらぐろ」は、今では、コンバイン導入といった機械化で少なくなってしまった。

秋の脱穀後、翌年の春まで田んぼに安置して、藁を保管し、その藁は藁細工や牛のエサなどに使用していました。

残雪もわずかありました。

これらのかやぶきの家にはそのまま、生活に使われており、生活のにおいがする。

軒下には懐かしい農機具が展示されている。

右端は唐箕(とうみ)、臼などで籾殻をはずしたあと、風力を起して穀物を 籾殻・玄米・塵などに選別するための農具。

その左は足踏式脱穀機、逆V字型の針金を埋め込んだ円筒形のこぎ胴を人力によって回転させ、そこに稲や麦の束を押し付けることで穂から子実をこそぎ落とす。
踏板と歯車をクランクで連結し、上下運動を回転運動に変えていた。

一番左は回転式中耕除草機、2個の転車の作用で水稲の条間の中耕除草を行うもので、前転車の爪は細長く先がとがっていて土中に食い込みやすく、おもに反転除草に適し、後転車の爪は幅広く湾曲を強くしてあるので、前転車で膨軟にした土壌を反転埋草するのに適している。

枯れても百合、花が落ちた後種を蓄えているのでしょうね~日光を浴び輝いて見えました

美山川の清流を泳ぐアユと、中央に旧美山町の「み」をデザインした町章が描かれています。

茅葺き民家が多く残る町として「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
汚水管マンホール蓋。

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