茶屋町辺り


昔、梅田近辺は田畑だった。
北向地蔵は明治26年に畑からでてきた、畑から出てきたお地蔵さんを北向地蔵として祀っていたが、昭和44年に阪急三番街を建設するときに、移設して祀り現在に至る。

人通りも多く、ちょいとお参りしていく日が跡を絶たない。

茶屋町は、大阪市北区、阪急梅田駅ホームの高架と新御堂筋に挟まれた一帯。

北で豊崎、東で鶴野町、南東の一点で中崎西、南で角田町、西で芝田と隣接する。

2008年(平成20年)末から翌年初頭にかけて発掘調査が行われ、その結果、1世紀ごろはこの辺りは大阪湾の干潟があり、淀川や大和川からの土砂が運ばれ、自然堤防が形成され、5世紀中頃にはこの辺りで人が活動をしていたことがわかっている。

町名は大坂と尼崎・西宮を結ぶ中国街道沿いに「鶴乃茶屋」「車乃茶屋」「萩乃茶屋」と呼ばれた茶屋があったことに由来する。


ビル街に沈む夕日はきれいです。

やがて街も淀川も赤く染めて陽は沈む。

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陶芸の森


信楽焼はもちろん、世界の陶芸に出会うことができる陶器のテーマパーク。

六古窯の一つ信楽焼の産地として有名な信楽の市街地(標高300m)を見下ろす丘陵(標高350m)に位置する面積40haの都市公園で、自然の地形と森林を生かした公園内には、陶芸専門の美術館、展示館、研修館を分散して設置し、遊歩道を巡らせている。

野外展示場「星の広場」のほか、園内のいたるところに当施設で焼成された陶芸作品が野外展示されている。






「空想の中にいる人」


「駆け抜けるピエロ」

「ゆびさきにかかることがら」

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信楽焼 宗陶苑


宗陶苑は江戸時代に築窯された日本最大規模の登り窯で現在でも信楽焼を作り続けている窯元。

信楽焼展示場のほか、茶陶中心の展示場や茶室も備えています。陶芸教室では手びねりなどの陶芸体験も楽しめます。



狸さんだけではなくて、犬とか、他の動物もたくさんいます。

キスしているようだね。


般若もあります。





登り窯の煙突。

展示場はとてつもなく広く、退屈しません。
寺務所に声をかけると登り窯等ほぼ無制限に撮影可能。

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日本最大規模の登り窯


宗陶苑の登り窯は昔乍らの11室より成る巨大登り窯。
今もなお使い続けている唯一の窯元。

手造りによる製造工程や登り窯での”しごと”等の見学可。

のぼり窯とは山の斜面を利用し、細長い部屋を数室連続し、次第々に室内の容積を大きくし余熱を利用しながら焚き上げていく形状の窯のことを言う。

宗陶苑の登り窯は日本最大級のもので、現在もフル活動している。

全十一室からなり、長さ30m、巾15m、高さ3.5m。
その巨大窯をいまもなお年に数回焼き上げている。

表面に釉薬を使用する場合は製品の均一という点でこの炉窯が優れている。

交通が発達するまでは、消費地に近い、製品の原料となる粘土、燃料、水が豊富な場所が立地に選ばれた 。

かおり風景100選

日本六古窯の一つに数えられる信楽焼は、742年に聖武天皇が紫香楽(現在の信楽町)に遷都された際に瓦が焼かれたのが原点とも言われている。

それを今に伝える「登り窯・穴窯」から立ちのぼる煙のかおりは、その歴史と文化を彷彿とさせる。

町内には、その歴史に触れることのできる県立陶芸の森、信楽伝統産業会館などの施設がある。

焼成温度は一般に最高で1300℃前後に保たれ、約60時間焼くのが普通。

温度管理は職人の勘によって行われるが、かなりの練達を要する。

具体的には一番下の大口と各焼成室に設けられた小口からの投薪を使い分け、焼成段階に分けて微妙に温度調整を施す。

この作業が丸2昼夜続くことになる。水分を飛ばすための予備段階である焙りを終えた後の本焙りでは大口に薪を投入し、ゆっくりと窯の温度を上げていくが、目標とする温度である1300℃に達するには約1日ほどかかる。

この際に、のぞき窓から見ると焼き物は熱せられて透明感のあるオレンジ色ないし白に近い黄色になる。

焼成の際は、周囲に黒煙がもうもうと立ち込め、壮観。

とりわけ穴窯は燃焼ガス(炎)が窯内を直進し、連房式登窯とは違い、窯内で対流が無い為、火のあたり加減と灰のかかり具合によって作者も予期しない模様や色に焼きあがるため、味があり、同じものは決して二つとしてできないといわれている。

登り窯を使って焼かれた陶器独特の有機的かつ微妙な仕上がり具合は「景色」と表現されることもある。
燃料にはマツが主に使われる。

窯全体が煙突の役目をし、次・次の部屋で余熱利用していく事により燃料と時間を節約し、多量に生産できる所に利点がありましたが、現在では炎のなせる不揃い、高等技術を要する上に重労働、回転率の悪さ、小まわりがきかない等、一種品目の大量生産には不向きな為、ほとんど使用されなくなっている。

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琵琶湖の自然の美しさを表現する創作ひな人形「清湖雛(せいこびな)」を五個荘近江商人屋敷中江準五郎邸(東近江市五個荘金堂町)で見た。

ひなまつりは各地で行われているが、どうもありきたりの感が否めない、しかしここで見たひなは目を奪われるものがあった。

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ある日曜日の昼下がり


日曜日の昼下がり、大阪の都心は強い日差しに包まれていた。

人々は木陰に涼を求め、思い思いに楽しんでいる。

公園には容赦なく強い陽が降り注ぐ。

日差しに負けず元気な人たち。


木陰でダンスを楽しむ人。

涼しい川辺のレストランでおしゃべり・・・・

気の早い人も現れた。

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恐竜王国福井 旅で出会った恐竜たち


恐竜王国福井、その中心地勝山市の下水管カラーデザインマンホール。
恐竜王国の文字と、恐竜、その足跡がデザインされています。

恐竜王国福井には至る所で恐竜に出くわします、今回の旅で出会った恐竜たちを紹介。

恐竜王国勝山、1982年に、北谷町で1億2千年前のワニ化石が発見され、1988年の予備調査では肉食恐竜の歯などが発見された。

本格調査により、勝山市は日本の恐竜化石の大部分を占める恐竜王国となりました。
2000年(平成12年)7月に長尾山総合公園に福井県立恐竜博物館が開館し、卵形の恐竜ホール内は太古の恐竜王国へ迷い込んだ気分が味わえます。


フクイラプトル、勝山橋付近。
フクイラプトルは、第一次恐竜化石調査(1989~1993年)で歯や前あしの末節骨(かぎ爪)が発見され、肉食恐竜の存在が明らかになりました。
その後、第二次恐竜化石調査時(1996~1997年)に、大腿骨など多くの部位が見つかり、000年に新種の恐竜として命名された。

イグアノドン、えちぜん鉄道勝山駅 ロータリー内。

以下の画像は福井駅「恐竜広場」にて。

恐竜が飛び出してくるトリックアート、画像はフクイラプトル・フクイサウルス。

トリケラトプス

フクイティタン:竜脚類の草食恐竜。日本で初めて学名がつけられた竜脚類、全長(骨格(頭の先から尾の先まで))約10m、最高高さ約6.0m(モニュメント)

左は「フクイラプトル」という肉食の恐竜。
前肢、後肢の骨がほぼ揃っていて、肉食恐竜では日本で初めて復元することができた全身骨格だとか。
全長は4.2m。
白亜紀前期のもので、この時代の獣脚類の進化を考える上では重要な発見だそうです。

右は2003年に新しい種類の恐竜として命名された「フクイサウルス」という草食恐竜。
全長は4.7m。
フクイサウルスはイグアノドン類の進化の研究の上で重要な化石標本となっているもので、全身骨格が復元されています

恐竜以外にも、最近仲間入りした「福井の哺乳類」にも注目!
2014年に、恐竜時代の哺乳類の骨格化石が日本で初めて発見された。

ほぼ全身の骨が見つかったため、その骨からかつての姿をイメージして作ったものなんだとか。
この姿はほぼ本物に近いと言われています。
(本物の大きさはもう少し小さいようです。)

福井駅西口広場に面した駅舎の壁面には、縦10m、横45mという巨大サイズの恐竜の絵が描かれている。

わざわざ恐竜博物館に行かなくとも駅前で十分楽しめるようだ。

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八戸ノ里界隈


彌榮神社(弥栄神社) いやさかじんじゃ
創建年代は不明で元は牛頭天王と呼ばれていた。
 
その名からもわかるように御祭神は、須佐之男命。
 
石山合戦で焼失し、1600年に再建。1872年、現社名。

木村重成、大坂城炎上の無念
重成が決死の覚悟をした場所か!

大坂夏の陣で木村重成は、大坂城の救援に向かう途中、この地で城の炎上を見、馬の上に立って城に別れを告げ、戦地へ引き返し戦死したことから、この地が馬立と呼ばれるようになったという。

舟に使っていた丈夫な木を外壁の仕上げ材に使った建物、不定形で釘の後などが残る板をランダムに張り合わせた壁は芸術性も感じさせる。

ものを大事にする当時の人々の気持ちがよくわかる素晴らしいエコな建物。

床寅、元村営の床屋(村床)だったという。
明治27年創業で、現在の建物は昭和9年のものだとか。


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てんびんの里ひな巡り 中江準五郎邸


戦前の朝鮮や満州に三中井百貨店を展開した、中江4兄弟の末弟・準五郎の邸宅では、当時の百貨店経営の資料に加えて、五個荘の郷土玩具である小幡人形や土人形が多数展示されていました。

ここの提案は綺麗に整備されていて、見ごたえがあります。

明治38年(1905)に発足した三中井呉服店。

戦前には、朝鮮半島・中国大陸で20余店舗を擁する大百貨店として隆盛を誇りました。

しかし、昭和20年(1945)敗戦と共に衰退。 
この三中井を経営したのが、金堂に本部を置いた中江勝治郎を中心とする中江家でした。

中江準五郎もその一族で、昭和8年(1933)に建築された邸宅は、近代近江商人の本宅の典型として整備し公開しています。

毎年、2月から3月にかけて行われている「商家に伝わるひな人形めぐり」では、滋賀県の特産品・近江上布を着せた創作ひな人形などが展示されています。



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てんびんの里ひな巡り 外村宇兵衛邸


1813年(文化10年)外村与左衛門との共同事業から独立商いを始める。

努力の結果東京、横浜、京都、福井などに支店を持ち、商圏を広げ、明治時代には長者番付けに名を載せ、豪商となる。

滋賀県の旧家では、おなじみの川戸は、家の中に水路を引き、台所で使用した水を排水して、そこに、たまった食べかすなどが鯉のエサになっている。

屋敷は家業の繁栄とともに大きくなり、庭も神崎郡内一といわれていた。
現在、てんびんの里伝統家屋博物館として公開している。

商人たちが担いだ荷物、何とか持ち上げられるがとても担いで歩けたものではない、10㎏の重量があったと。

江戸中期の作と伝わる外村宇兵衛邸の「御殿びな」は、二畳敷きの大きさの飾り台に、平安時代の宮中の宴を再現しており、宴の準備をする官女や男たちの人形も並んでいる






近江商人たちは、郷里を離れることなく、金堂の本宅を守り進んで社寺や公共のために出資しました。

近江商人の商いの特徴として、次の四点があげられている。

まず、商いの形は行商形態をとり、呉服・太物・麻布・蚊帳・漆器・小間物・合薬など多種多様な商品を扱っていた。

次いで活躍の舞台として、近江商人は全国各地に支店を出していることが特徴である。

3番目に、近江商人は商業だけでなく、金融業・製造業・油絞業・漁業などに経営を広げている点も注目されている。

そして4番目には、経営の合理性があげられ、共同企業形態をとるものや会計帳簿作成などの経営方式を取り入れていた。

その経営活動を支えていた精神は、勤勉・倹約・正直・自立の精神であると言われる。

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