太陽公園 城のエリア


「城のエリア」は2009年(平成21年)4月19日にオープン。

2006年(平成18年)から建造され始めたこの城はドイツ南部にある有名なノイシュヴァンシュタイン城と非常に良く似ている。

世界で一番美しいと謳われる、ドイツにあるノイシュバンシュタイン城を3分の2スケールで再現。

なお、白鳥城へのアクセスは専用のモノレール(嘉穂製作所製のスロープカー)を利用するか徒歩で山を登ることになる。

モノレール始発駅になる山麓にはレストラン、土産物店などを備えたウェルカムハウス「スワン」が在る。

お城の中はトリックアートが展示のメインになっている。

少し怪奇な雰囲気。

お城の壁面にはかわいい少女像。

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太陽公園 石のエリア


パリのシャンゼリゼ通りにある「エトワール凱旋門」、奥には巨石群が並ぶ。

公園は社会福祉法人愛光社会福祉事業協会(太陽福祉グループ)によって運営され、また同施設は障害者の雇用の場にもなっており、入場料等の収入は障害者への給与等に充てられている。

園内には三光園、愛光園などの福祉施設が併設されている。

有名なイースター島のモアイ像、なにか違和感を感じますが、目を見開いているからだと気付くまでに少し時間がかかります

アステカのチャクモール。

ベルギーの首都ブリュッセル市街中心部、グランブスのブリュッセル市庁舎にある、放尿する少年のブロンズ像。

世界各地に小便小僧はあるが、これが本家と言われる。

本場中国の兵馬俑博物館において作成した兵馬俑のレプリカを、なんと1,000体展示!

発掘当初の情景、上土を2メートルほど取り除くと、ゴザを敷き詰めた痕跡と丸太が現れ、丸太を取り除くと胸から腰まで土に埋まって壊れた兵馬俑が出現。

当初、兵馬俑は全て美しい極彩色で仕上げられていましたが、発掘され空気に触れると数分または数時間で色が薄れてしまいました。

鶏足寺、木の葉が色づき始めています。

おびただしい数の五百羅漢。

今日は紫禁城の庭で弁当にしました、涼しい風が吹き渡り心地よい。

双頭寺、境内から見上げると青空に突き出た二つの塔が見えます。

万里の長城の入り口。

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吉城園


鹿の居場所、どうもいつもとは違っているような感じがする。

コロナの影響で人出が減り、鹿の出没する場所も変わってきたのではないか。

吉城園があるのは奈良県庁の東部、歴史ある奈良のお屋敷町といった土塀や白壁が多く残る一角。

県庁の東北側にある登大路町という交差点から東へ入った地点に入り口があります。

池の庭 – 江戸時代からの自然の地形、起伏、曲線を巧みに利用し、西に建つ旧正法院家住宅と一体となるよう造られている。

蹲かな、それにしても大きい。

吉城園は、「興福寺古絵図」によると同寺の子院の摩尼珠院があったところとされています。

明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。

企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。

苔の庭 – 全面が杉苔に覆われた庭園で、茅葺屋根の離れ茶室と一体となり閑静なたたずまいを見せている。

地下に飛火野と同系の地下水脈が流れていると言われ、杉苔の生育に適した土地となっている。

切妻屋根が三つ(二つの向こうにもう一つ見えます)並んだ珍しい茶室です。

斑入りツワブキ。

斑入りや八重咲き、丁字咲き(花芯が発達してアネモネ咲きになる品種)などの園芸品種が栽培されてきました。

「離れ茶室」の南側にある石灯籠と手水鉢。

鉄鉢型の手水鉢は苔で覆われ趣がある。

竹で造られた水を流す樋は筧と呼ぶ。

手水鉢の右手にある石は湯桶石(手を清めるために一時的に茶室で使う湯桶を置く石)、手水鉢の左手にある石は手燭石(夜の茶会で使う手燭という明かりを一時的に置く石)がある。

手水鉢とこれらの石をあわせて蹲踞と呼ぶ。



礎石のようなものも使われています。

日本庭園の魅力は「苔」と「砂利」と思っている。
曲線美のグリーンとシルバーが見事に調和。


茶室の東側は杉苔でおおわれたお庭です。

離れ茶室内杉戸絵、羅俘山の扁額。



観光客の数もそれほど多くないため静かな写真撮影などには適した空間にもなっています。

秋には「苔の庭」の周囲のモミジが色付き、美しいコントラストも楽しめます。

観光客で溢れる東大寺や奈良公園と違い静寂な世界。

2022年に高級ホテルの開業が予定されており、さらに整備される可能性もあり今後の変化が愉しみな庭園でもある。
(当初2019年開業であったが、2022年に延期されました。)

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アジュール舞子の夕日

「アジュール舞子」という愛称は、一般公募によってつけられました。

フランス語でアジュール(azur)は「青」。

舞子海岸が南フランスのコートダジュールのような美しい砂浜に復元され、憩いとふれあいの海辺となるよう、期待を込めて名付けられました。

かつて「舞子の浜」と呼ばれた、白砂青松の景勝地を復元した海浜公園。

明石海峡大橋や淡路島を望む公園で、海釣りやバーベキュー、ウォーキングを楽しめます。

また夏には海水浴場となり、神戸市内にありながら水質の良い海で遊泳することができます。

明治天皇は舞子をこよなく愛され、1885年以来7回も行幸された。

当時は立派な料理旅館などが並んでおり、ひときわ立派な「亀屋旅館」(廃館)がよく御在所になったという。

松林の中に歌碑があり3首 刻まれている。

はりまがた 舞子の浜の はま松の
かけに遊びし 春をしぞ思う

はりまがた 舞子の浜に 旅寝して
見し夜こひしき 月の影かな

あしたつの 舞子の浜の 松原は
千代をやしなう  処なりけり

明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大の吊橋です。

雄大な橋に向かって沈む夕日は素晴らしいものです。

海の色が素敵だと思いませんか?太陽の光を反射して、きらきら輝いています。

アジュール舞子は針の形のビューポイントが目印!

この「ピンホール(針穴)」の目印は、西宮市の建築家、岩橋翼さんがデザインしました。

高さは約170センチ、針穴の部分から景色をのぞいて楽しむこともできます。

江戸時代、「東海道五拾三次」を描いた安藤広重(1797~1858)は、「播磨舞子の浜」(口絵)で舞子浜の美しい海岸風景を描いています。

また、志賀直哉(1883~1971)は「暗夜行路」のなかで、「塩屋、舞子の海岸は美しかった。

夕ばえを映した夕なぎの海に・・」と舞子浜の様子を描いています。

大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4km、最大水深は約110m、海峡を流れる潮流の速さは最大で毎秒4.5m(約9ノット)に達します。

肉眼で泳ぐ魚も確認することができる、アジュール舞子の海は、水質調査が開始された平成17年から13年連続で最高ランクの透明度である「全透(1m以上)」と判定されています。


そろそろブルーモーメントの始まりです。

沖をシティライントラベル 1便の船が新門司へ向かっています。

幾度もこの海峡は船で通過しました船旅をご覧ください

孫文記念んがシルエットで浮かびます。

すっかり陽も落ちました、そろそろ家路へ。

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高架下


三宮センター街、元町商店街といった神戸の表向きに観光客や買い物客を多く集める商店街の裏通り的存在としてマニア、および外国人の通る姿が多く見られる通りがある。


阪急三宮高架下のチープな飲み屋街。

オジサン達のオアシス。

駅至近!安い!という事で、仕事帰りのお父さんがちょっと一杯という感じ。

男性客と一緒の女性の姿はちらほら見えますが、女性同士の客は殆どいません。

このあたりはハッピーアワーやサービスタイムというシステムがあって、お店によって時間や値段は違う。

三宮センイ商店街、ピアザkobe(三宮高架商店街)、阪急西口本通2・3丁目会、阪急西口商店街、PLiCO三宮や飲み屋街などが軒を連ねる。

戦後の闇市をルーツとする説がもっとも多くある、高架下の耐震補強工事もあり存続が注目される。

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神戸中心部にある唯一の日本庭園 相楽園


相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m²の都市公園・日本庭園。

日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。
ツツジの名所として知られる。

旧小寺家厩舎

この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。

相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つ。

建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造。

外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。

旧ハッサム住宅

設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。

竣工は1902年。
広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。

明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。

1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。
落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。

前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯。

三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。

当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。

小寺邸内にあった茶室「浣心亭(かんしんてい)」は神戸大空襲で焼失、戦後に離れのあった、池の南側に新築された。

常時公開はしていませんが、ツツジが綺麗に咲く4月〜5月に、「つつじ遊山」という毎年恒例のお茶会イベントで一般公開されています。

船屋形(ふなやかた)は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物”川御座船”。

御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。

なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。

池越しにパーラーを望む。

石段を下り、沢飛石を越えると石で囲まれたトンネルがみえてくる。

沢飛石の右手には二段落としの滝石組が作られている。


石組み・石橋・飛び石・敷石

伊予青石、丹波石、御影石、鞍馬石などを贅沢に使用しており、いろいろな表情を楽しめます。




今日のお昼はこちらのパーラーで。

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ある日


大阪では昨日、やっと梅雨明けの宣言があった、梅雨明け前の梅田界隈を散策した。

人も少なく快適な散策です。

店も人は少なく気持ちよさそう。


水遊び中の親子、ほほえましい姿です。


大阪駅ビルも人の流れは少なめでスムース。



駅ビルの2Fフロアも人の混雑はありません。


梅北の再開発も結構時間がかかっていますね。





カリヨン広場も人は少な目。

待ち合わせもスムース。


現代っ子ですね、カメラにポーズ。

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神戸海洋博物館


神戸海洋博物館は日本郵船歴史博物館(1992年開館)や呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)(2005年開館)以上の歴史を誇る。

展示内容は、近代神戸港だけでなく、平清盛が修築した大輪田泊や福原京まで遡る。

大小200点以上の船舶模型の展示は圧巻である。

前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。
海事博物館としては世界有数の規模であり、1987年に、幕末の神戸港開港120年を記念して開館した。

波または帆船の帆をイメージさせる独特な外観の屋上構造物は白色のフレームでできており、六甲山の緑色、神戸ポートタワーの赤色との対比が美しい。

夜間は青系の光でライトアップされる。

ロドニー号とエントランスホール全体を使い、ロドニー号が大海原を超えて神戸港にやってくる映像が迎えてくれる。

ロドニーは1922年のワシントン海軍軍縮条約下で建造されたため、排水量は35,000トンまで制限されていた。

3基の3連装16インチ砲塔は全て艦前方に配置され、ヴァイタル・パートは集中化したもののその代償に低速力に悩まされることとなる。

1936年以降に新世代の戦艦が就役するまで、2隻のネルソン級戦艦は最も強力な戦艦と見なされていた。

1868年1月1日(慶応3年12月7日)の神戸開港を祝うために集まった英米仏の外国艦船18隻のうちイギリス艦船12隻の旗艦として神戸に来航し、21発の祝砲を放ち世界に向け神戸の開港を祝った。

1882年にその役目を終え解体された。

ソブリンオブザシーズ

この船は、1637年にイギリス王チャールズ1世の命により巨費を投じて建造された。

当時としては最も豪華に装飾された軍艦で、金箔を惜しげもなく使い精巧な彫刻が施された。

その光り輝く姿はオランダ海軍から「黄金の悪魔」と恐れられた。

1697年、倒れた蝋燭が引火して起きた火災により焼け落ちた。

ソレイユロワイヤル

全長=100cm。フランスのルイ14世時代、3層の甲板に106門の大砲を搭載した第1級戦列艦。

咸臨丸

日本人の操縦で,初めて太平洋の横断を果した江戸幕府の軍艦。
オランダで建造,安政4 (1857) 年進水、同年長崎に到着、10万ドルで購入された。

軍艦奉行木村喜毅、艦長勝海舟以下 98人の日本人によって航海した。
なお 11人のアメリカ士官、医者が便乗していた。

日本丸 (初代)

1930年(昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水。
その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。

4檣バーク型帆船で総帆数は29枚、 メインマスト高は46m(水面からの高さ)である。

スパニッシュ・ガレオン

スペインのガレオン船は、3本マストを搭載し、船体は500?600トンほどだった。

この船は性能よりも派手さを意識していたので、船の性能は悪くスピードもあまり出なかった。

そのため、ガレオン船は、よりスピードの出るスループ船を使用していた海賊の襲撃に弱かった。

スペインのガレオン船の船名には「ヌエストラ・セニョーラ」(我等が聖母マリアと訳される)と言う言葉が含まれることが多かった。

西欧各国でこぞって軍艦・大型商船として運用され、スペインはこれを大型化して新大陸の植民地の富を本国に護送するために使った。

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神戸市立博物館


1935年(昭和10年)に竣工した新古典主義様式の建物は、旧三菱銀行本店や丸ビル旧館などを手がけた建築家・桜井小太郎の遺作であり、横浜正金銀行神戸支店として建設され、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用された建物である。

狩野内膳作『南蛮人渡来図』

このコーナーでは、神戸市内出土の考古資料とともに、新しい調査成果を反映させた五色塚古墳模型、市内の主な遺跡を紹介する地図などを用いて、太古の時代に神戸で暮らしていた人々の足跡を紹介しています。

明治時代中期の外国人居留地

昭和時代初期の旧外国人居留地


平安時代の終わりには、平清盛が日宋貿易の拠点として大輪田泊の改修を進め、東アジアにつながる臨海のこの地へ都を遷そうとします。

わずか半年で都は京に戻りましたが、その後も港の重要性は失われませんでした。

大輪田泊から発展した兵庫津は、国内外の流通・貿易の拠点として繁栄しました。

この「大輪田泊」は、平安時代末には平清盛により経ヶ島が築造されて日宋貿易の拠点とされたことは著名です。

古代大輪田泊の石椋 遥かな昔の港をしのぶ
わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた … 続きを読む →


平清盛像

本作品の頭部はNHK大河ドラマ「新平家物語」での仲代達也の風貌を反映しているという。

源義経デビュー戦の地 一ノ谷を行く
須磨は源平の古戦場として有名で、敦盛、直実の死闘、義経の「鵯越の逆(坂)落とし( … 続きを読む →

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カワサキワールド


カワサキワールドは川崎重工業が2006年(平成18年)5月17日に神戸海洋博物館内に設置した企業博物館。

入ってすぐにあるコーナーで、川崎重工の創業者である川崎正蔵と松方幸次郎を紹介する。

同社の誕生の歴史や松方の収集した美術品コレクションである「松方コレクション」の概要、さらには神戸の歴史まで紹介している。

歴代のモーターサイクルを実物で紹介している。

実際に触ったり乗ったりできる物も用意されている。
ベストセラーになったものもある。

KV-107 II型ヘリコプター(JA9555 川崎重工業社用機「美濃」)の現物を設置。

これも中に入ることができる。
フライトシミュレーターも設置されており、神戸空港からの離着陸も体験できる。

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