「大阪くらしの今昔館」で江戸時代にタイムスリップ!


10階 展望フロア 桂米朝の歓迎の挨拶が流れ、9階の江戸時代の大坂の町並みが一望できる。

「 なにわ町家の歳時記 」 商家の賑わい。

9階は江戸時代の天保期(1830年代)の大坂の町家と町並みを専門家による学術的考証のもとに、伝統的工法を用いて実物大で復元し、家具・調度を置いて当時の暮らしを再現している。

木戸門を入ると、大通りの両側には商家が並び、路地の奥には裏長屋がある。

屋根に猫、路地に犬・鶏、見上げると雀など、さりげなく置かれているのがいいですね。


風呂屋さん

風呂屋の中には、ガイダンスシアターがあります。
ナレーションは、桂米朝さん。

小間物屋さん

びん出し,びんつけ油、元結 なんでも見揃っています。

古本屋さん


へっついさんもあります。

裏長屋の暮らしが再現されています。

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加太の街


和歌山市駅から終点加太駅までは、南海線の”加太さかな線”に乗ります。
ここでおすすめなのが、ピンクの車体が可愛らしい「めでたいでんしゃ」。

石垣にも「めでたいでんしゃ」の文字が。

加太は、和歌山市の北西にある港町。水質のよい紀淡海峡の好漁場に恵まれ、鯛の一本吊りなど、魚釣りのメッカでもあります。

和歌山県と大阪府の県境にほど近い場所に位置する加太(かだ)は、古い建物や史跡が残る歴史ある港町です。

今回は、南海加太線の終着駅である「加太駅」から徒歩で海岸を目指し、お寺巡りやグルメを楽しむ小旅行へ。

和歌山を代表する緑色片岩(通称=青石)。

街中は古い建物のオンパレード。

古い趣のあるお店が沢山あります。

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車窓


寒波到来、雪景色の彦根城でもと思いたち電車に飛び乗った。
京都を過ぎるあたりの車窓からのうす雪の様子、いいですね。

車窓の雪景色を楽しみながら思いをはせる。

瀬田川を渡ります。

草津のあたりではなかなかの雪景色。

ちらほらと雪も降ってきました。

雪の近江路、然し段々と雪も少なくなり空も晴れてきたではありませんか。
結局目的地彦根では雪なし。

ま、車窓で楽しめただけでも良しとしよう。
車窓からの撮影で映り込みがありますがご勘弁を。

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マクロの世界


住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月に開館。

ここは「住まいの歴史と文化」をテーマにした、日本で初めての專門ミュージアムです。

住まい情報センターのビルの9階「なにわ町家の歳時記」は、江戸時代のフロア。
天保初年(1830年代前半)の大坂の町並みを実物大で復元しています。

8階「モダン大阪パノラマ遊覧」は、明治・大正・昭和のフロアで近代大阪の住まいと暮らしを模型や資料で展示。

「モダン大阪パノラマ遊覧」は住まいの近代化と市民生活の諸相を精巧な模型で紹介。

ここがまさにマクロの練習にぴったりの場所だ。

どの位置から、どの人形を主役にするのか。

絞り開放での被写界深度の浅さをどう活かすのか。

ポジションの微妙な変化で写真は大きく変わってしまう。

今日はここでトレーニングした後、大阪城梅園に向かった。

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新西宮ヨットハーバー


西日本最大級のヨットハーバーとされる。
行政上は尼崎西宮芦屋港の一部。

海の駅としての登録名はしんにしのみや海の駅。

収容できるヨット数は 700隻と云われている。

ビジターバースでは何やら作業が行われている。

ボードウォーク。
海辺に続くデッキでは、ヨットハーバーに静かに浮かぶヨットを眺めながら、のんびり散歩できます。

向はASHIYA BAYCOURT CLUB – 芦屋ベイコート倶楽部

1971年、西宮港港湾整備工事が着工され、桁下16mの西宮大橋が架けられる見通しとなった。

しかし、当時、西宮マリーナ(西宮市西波止町1-2)を母港とする関西ヨットクラブ会員の大型ヨットが西宮大橋をくぐれなくなるため、兵庫県と西宮市に対し、西宮の埋立地(現在の西宮浜)の沖に新ヨットハーバーを確保するよう誓願した。

西宮浜にある「新西宮ヨットハーバー」のセンターハウス前には、堀江健一さんのマーメイド号が飾ってあります。

これは2004年から2005年にかけて、ケープ・ホーン東回りで単独無寄港世界一周された時のものです。

センターハウス内の西側には関西小型船安全協会事務局が、東側には老舗名門ヨットクラブである関西ヨットクラブがある。

芦屋市在住の海洋冒険家・堀江謙一は、関西ヨットクラブの名誉会員であり、海洋冒険に使用した2艇が展示されている。

新西宮ヨットハーバー建設の契機となった西宮大橋、ランニングする市民の姿も見られます。

堀江謙一は1962年、小型ヨット「マーメイド号」による西宮 – サンフランシスコ間の太平洋単独横断航海に成功、当時出港した西宮マリーナ(西宮市西波止町1-2)。

対岸は芦屋の住宅街。

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安藤忠雄の世界 西宮市貝類館


1999年5月7日に西宮浜に開館したこの施設は、世界各地の貝類、約2,000種、5,000点が展示されている貝類専門のユニークな博物館。

館内には重さ200kgを超えるオオシャコガイからゴマ粒ほどの小さな貝、生きたオウムガイなどが展示され、実際に貝を手にとってふれることも出来る。

展示標本の他に、菊池典男から寄贈された黒田徳米の貝類標本、約3800種4万点も収蔵している。

貝類館の建物は安藤忠雄の設計であり、風をいっぱいに受ける帆をイメージしたデザインとコンクリート打ち放しの外観が特徴的。

館内は海の中を思わせるようなブル-で統一されたユニ-クな貝類専門の博物館。

隣接している西宮浜公民館との間にある中庭には、海洋冒険家である堀江謙一から寄贈された実物の「マーメイド4世号」が展示されている。

「4世号」は全長10・6メートル、総重量4・7トンのアルミ製。

堀江謙一は1962年、小型ヨット「マーメイド号」による西宮 – サンフランシスコ間の太平洋単独横断航海に成功。

水20リットル、米40kg、缶詰200個を積んで出航した。
水は20リットルでは足りず、航海中に甲板に降った雨水を蓄えるなどした。

東側から望む。右のマストはマーメイド号のもの。

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ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)


大正期、帝国ホテル建設のため来日していた近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトにより、灘の酒造家・八代目山邑太左衛門氏の別邸として設計された建物。

玄関の車寄せ。

原設計は1918年で、ライトは1922年にアメリカに帰国してしまったため、実際の建築はライトのもとで帝国ホテルライト館の建設にも携わっていた遠藤新と南信が行った。

左右には景観を楽しめる大きな窓が配されています。

北側には大谷石で作られた大きな暖炉があります。

竣工は1924年(大正13年)で、芦屋市街を一望できる高台に建っている。
1947年から淀川製鋼所が所有し、社長邸や独身寮などとして使われた。

芦屋川が海に向かってまっすぐに行く寸前の折れたところの急峻な丘に階段状に建っているため、建築物が密集した現在でも芦屋川を通じて大阪湾が一望できる。

建物全体を眺めながらエントランスに導かれるアプローチ、迷路状の流れるようなプラン、室内外の空間の細かい出入りなどライトのよく使った建築手法が存分に反映されている。

畳部屋の和室が3室続いています。

浮世絵の蒐集家であったライトは、日本の美意識に自然と影響をうけたのかもしれません。

本人は否定しているようですが。

欄間の緑青の飾り銅板は植物の葉がモチーフ。

ドアなど、邸宅の随所に使われています。

敷地は南北に細長く、ゆるやかな南斜面になっており、建物はその山肌に沿って階段状に建てられている。

幾何学的な彫刻を施した大谷石、マホガニーの複雑な木組み装飾や植物の葉をモチーフとした飾り銅板など、特に2階応接室、3階和室、4階食堂などにライト建築の特徴を見ることができる。

4階バルコニー入口。

屋上のバルコニーからは、六甲の山並みや市街地、大阪湾の眺望も楽しめる。

地元の人が名付けたというライト坂。

阪急芦屋川駅から徒歩10分、芦屋川沿いを北へ登ると開森橋、地元の人が名付けたというライト坂が続き、大谷石の重厚な作りを見上げ進むと門が迎える。

マンホールのふた。
市木クロマツと芦屋浜、芦屋川の清流をイメージしデザイン。

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草津宿


草津駅(画像左)から旧草津川(今は天井川)を超え右端の立木神社までの草津宿をあるきます。

天保14年(1843年)の『東海道宿村大概帳』によれば、草津宿の宿内家数は586軒、うち本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒で宿内人口は2,351人であった。

高札場。

追分道標、「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた道標が建つこの地は、東海道と中山道のまさに分岐・合流地点。

かつて草津宿の追分見付と呼ばれていたこの地に、街道を往来する諸国定飛脚の宰領中から寄進された火袋付きの常夜灯が今に残されています。

追分とは道の分かれるところを指す言葉。
草津宿にある東海道と中山道との分岐点を「追分」という。

草津川の渡し、旧草津川は全国的にも有名な天井川で、平生は水がなく砂川とも呼ばれ、大名行列などの大規模な通行以外、仮橋が架けられず、通常は「徒歩(かち)渡り」(川の中を歩いて渡ること)が一般的でした。

天井川となっているため側道を土手の上まで上がります。

天井川の河底、今は市民の憩いの場になっています。

東海道の江戸方からは、草津川を越えて、堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続き、中山道との合流点に至る。

ここで左折し、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町である。

中山道からは、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至るが、トンネルができたのは明治19年(1886年)のことである。

その様子が「木曽海道六拾九次之内 草津追分」(右)に描かれている。 

板橋を渡った旅人の向こうに、民家の屋根だけが僅かに見える。
 
この川は天井川であるが故に浸水被害を繰り返しており、ついに昭和46年(1971)、新草津川に付け替えが行われ、旧草津川は廃川。

像「野風童」

込田公園。

昔はここに黒門がったところ。

道灌蔵、江戸城築城の祖として、文武両道に優れた武将名高い太田道灌を祖先に持つ太田家は、東海道五十三次の宿場の中でも大宿であり、また水陸交通の要所でもあった草津において、海道の動静を見守る関守を務め草津行政の中心となっていました。

太田家が酒造りを始めたのは廃藩後のこと。当時所領としていた100余町歩の田畑から収められる良質の近江米を有効活用するため酒造りを始めたといわれています。

以後酒造りを生業として発展。
今日まで人々に愛される美酒を世の中に送り続けています。

この辺りに貫目改所があった。

草津宿には、正徳2年(1712年)に全国5か所に設けられた貫目改所があった。
貫目改所は当宿のほか、東海道の品川宿・府中宿、中山道の板橋宿・洗馬宿に置かれた。

楽器屋さん、店舗の出サインがユニークです。

質屋さんの側面、住所表示がひっくり返っています。

八百久店舗兼主屋は滋賀県草津市草津3丁目に屋敷を構えている古民家です。

八百久は寛保年間(1741~1743年)から日用品(鋤、鍬、天秤、火鉢など)を扱う商家だった家柄。

何か突き出ていますがさて・・・・・

立木神社前の小川、見ていると突然鯉が飛びあがりました。

立木神社境内にある道標(1680)、かなり古いものです。

立木神社、社伝によると称徳天皇の時代である神護景雲元年(767年)、武甕槌命が常陸国(現・茨城県)の鹿島神宮より白鹿に乗って大和国(現・奈良県)春日神社への勧請の旅の途中、当地に到着した。

武甕槌命は持っていた柿の鞭を地面に刺して「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山(現・春日大社)に鎮まらん」と言うと、柿の木が生成した。

それを見た里人はこの木を崇めて社殿を建立し、武甕槌命を祀り、社名を立木神社と称したのが始まり。

春日大社とは兄弟の間柄となるが、春日大社の創建は神護慶雲2年(768年)となっており、当社が兄といえる)。

右側面に天明7年(1787)の年号が刻まれていることから、現存する道標の中では比較的古いものといえる。

田中九蔵本陣、2軒あった本陣のうちのひとつで、現存しない。

篤姫(天璋院)が、嘉永6年10月6日(1853年11月6日)に御泊している。

田中七左衛門本陣に残る大福帳の一節に、篤姫(天璋院)の記録が残る

家屋の前にはこのようなプレートが残るのみ。

草津は古くから東西移動の際の交通の要衝だった。

室町時代には伊勢参宮で京都と伊勢の中継地点として発展し、応永29年(1422年)には将軍足利義持が伊勢に向かう際に、草津に大規模な宿泊施設「草津御所」の築造を開始している。

永禄11年(1568年)頃には、織田信長が足利義昭に和泉堺、近江の大津・草津に代官を置くことを願い出ている。

渇ッ!!

家屋の前にはユニークな道標が残る。

草津宿本陣(田中七左衛門本陣)、国の史跡。
2軒あった本陣のうちのひとつで、現存する本陣としては最大級である。

弘化三(1846)年の旧姿に復原され、平成8年(1996年)から一般公開されている。

「大福帳」には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残る。

疾駆!!

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丹波篠山 河原町妻入商家群


河原町妻入商家群は、篠山市にある篠山市篠山伝統的建造物群保存地区の一画。
建物の間口が狭く奥行きが深いことから「うなぎの寝床」と呼ばれる。切妻造という。

屋根の最長部の棟から地上に向かって二つの屋根が伏せたような山形を作る形が特徴。

画像は河原町妻入商家群の代表的な一軒、川端家住宅。

篠山城築城の際に、城下町の整備がなされ、京への玄関口である河原町が最も早く着手された。

京街道に沿って丹波地区に特有の妻入りの商家が立ち並び、近世から近代にかけての町並みをよく保存している。

丹波古陶館、江戸時代の佇まいを残す妻入の商家が立ち並ぶ河原町(国重要建造物群保存地区)の一角にある。

丹波焼の創成期から江戸時代末期に至る700年間に作られた代表的な品を、年代・形・釉薬・装飾などに分類して展示しています。

また、蔵品中312点は兵庫県指定文化財となっています。

現在では、古民家を利用した新たな店舗も増えつつあり、歴史的な町並みを眺めながらの散策をおすすめ。

当時から代を重ねて住み続けている人も多く、5メートルから8メートルほどの狭い間口と、奥行きが非常に深い妻入りの商家が軒を連ねます。

平入り・妻入りとは。

建物の各面の呼び名として、長辺側、あるいは屋根の棟(むね)(大棟)と平行な面を平(ひら)といい、短辺側、あるいは屋根の棟(大棟)と直角な面を妻(つま)という。

日本の寺社建築・旧街道沿いに残る商家等の町屋建築における「平入り」(平入、ひらいり)や「妻入り」(妻入、つまいり)とは、建物のいずれの面に正面出入口があるかによって分類した様式で、平入りは上述の「平」の側に出入口があるものを指し、「妻」側から出入りするものを妻入りという。

篠山らしいタヌキの置物を店のディスプレイに使っている。

こちらも篠山らしい商品。

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丹波篠山 御徒町武家屋敷群


篠山城跡の西側に、藩主の警備にあたった御徒士衆の家屋が現存している。

土塀に囲まれた静かなたたずまいは、江戸時代末期の雰囲気を十分に残している。

御徒士町の武家住宅は堀端や馬出周辺の武家屋敷と一体となって、篠山城を中核とする城下町の一角を形成し、 すぐれた歴史的景観をみせています。

国の重要伝統的建造物群保存地区としての選定も受けている。美しい日本の歴史的風土100選や、「丹波篠山城下町を訪ねるみち」として美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選定されている。

しかし、老朽化は如何ともしがたく何らかの対策が必要かと。

御徒士町武家屋敷群には、安間家史料館という史料館が設けられている。

当時の標準的な従士であった安間家の武家屋敷に全面改修をおこなって史料館にしたもので、茅葺で曲屋形式(母屋に直角に馬小屋が付いたL字形の平面を持つ家屋の一種)の母屋と瓦葺の土蔵が残っている。

内部では安間家に伝来した古文書や食器類、家具、篠山藩ゆかりの武具や史料を展示している。

なお、史料館である旧安間家住宅は篠山市の指定文化財となっている。

御徒士町は1610年に篠山城が築城された際に、城の西側の外堀の堀端道に平行して南北の通りが設けられ、その両側に従士が住んだのが始まりとされている。

江戸時代(1603–1868)後期に一度焼失しているが、1830年に復興、御徒士町武家屋敷群は今でもその時代に建てられた10数戸の武家屋敷が現存している。

現存している武家屋敷住宅の特徴は、まず間口が平均8間(約16m)で商家に比べて間口が広いことが挙げられる。

また、「右ずまい」という、ドアが左側で部屋が右側になっている屋敷が多い。

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