舞子浜


橋の科学館は、1998年4月に開館した。
規模は地上2階建、延床面積約1,700m2。

以前は財団法人海洋架橋・橋梁調査会が管理運営していたが、現在はJBハイウェイサービス株式会社が管理運営している。

完成時に愛称を募集し、のちに「パールブリッジ」と定められたがこの名前で呼ぶ人は少なく、管理者であるJB本四高速(本州四国連絡高速道路株式会社)では使用していないが、観光協会[7][8]や本橋の写真(とくに夜景)を扱ったページなどでは「まさに愛称の「パールブリッジ」の名にふさわしく…」などと使用が見受けられる。

夢レンズ

半世紀の技術の結晶として完成した明石海峡大橋の生みの親である原口忠次郎博士(第12代神戸市長)の偉業を称え、明石海峡大橋架橋5周年にあたり、記念の碑が建立された。

三種の異なった岩肌によるメビウスの輪は人、自然、科学を、そして明石海峡大橋が結んだ本州を淡路、四国を表しています。
この三つの層が調和し、円空から未来への発展を展望しています。

神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道、展望台が設けられている。

橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで、上り海面からの高さ47mへ上がり、そこから海側約150mまで行ける。

途中、床が透明になっている部分もあり、直接海面を望める。

沖を眺める、ブイと貨物船。

一般では通常入れない管理通路や主塔の頂上に登る、ブリッジワールドという行事も予約制(期間・人数限定)で行なわれている。

ライフラインの面では、明石海峡大橋の桁の内部には大口径の水道管、高圧送電線、大容量の通信用ケーブルなどが収納されている。

これまで、淡路島は慢性的な水不足に悩まされていたが、水道管が設けられ水の安定供給が実現した。

幾何学模様がきれい。

舞子海上プロムナードより望む兵庫県立舞子公園

アジュール舞子(舞子東海浜緑地)は舞子海岸を整備し1998年にオープンした人工の砂浜で、砂浜の長さは約800m、幅は約60mの海水浴場。

孫文記念館(そんぶんきねんかん)は、兵庫県神戸市垂水区の舞子公園内にある博物館。旧称は孫中山記念館(そんちゅうざんきねんかん)。八角形の中国式楼閣『移情閣』は1915年築の現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物で、国の重要文化財に指定されている。

楼閣の「移情閣」という別称は、窓から六甲山地、瀬戸内海、淡路島、四国と「移り変わる風情」を楽しめることから名づけられた。また、楼閣の外観が六角形にも見えることから地元では「舞子の六角堂」と呼ばれている。

旧武藤家別邸洋館は1907年(明治40年)、実業家で衆議院議員も務めた武藤山治(1867年 – 1934年)の別邸として、舞子海岸の有栖川宮別邸(現舞子ビラ)近くに建設された木造二階建の円形バルコニー・スレート葺の屋根・下見板張りの外壁が特徴の洋館。

垂水区の西側あたりから明石市の東あたり一帯の浜を、古くは舞子の浜と呼び、須磨の浜と並ぶ名所で、江戸時代には旅の休憩所として多くの待合茶屋が存在した。

歌川広重画「播磨舞子の浜」では、風や強い波により砂が流され、自然に「根上り松」のような形となった白砂青松の美しい海岸風景が描かれている。

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「うおんたな」


読みは複数あるが、商店街側は公式には「うおんたな」としており、商店街の看板等にもローマ字で「UONTANA」と表記されている。

「うおんたな」と呼ばれる明石・魚の棚商店街は、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられており、宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場。

過去にはマルハの創始者中部幾次郎の林兼商店(はやしかねしょうてん)などもあった。

明石沖はフェリーで何度も通る、好漁場で特に大阪へ帰る便が明石海峡を通過するころは多くの漁船の群れを見かけます。

最速7.5ノット(時速約15㎞)を超える明石海峡の潮流によってつくり出された複雑な地形は、多くの産卵場・育成場をもたらし、日本有数の豊かな漁場が形成されている。

ここ明石では「明石鯛」や「明石ダコ」以外に四季折々に約100種類もの魚が水揚げされています。

このセリは午前11時30分から行われるため、地元では明石浦の魚を「昼網」と呼ぶ所以なっています。

とくに、海峡付近や播磨灘一帯で採られ明石漁港から水上げされた新鮮な魚介類を「前もの」と呼び、「明石鯛」「明石蛸」を筆頭に活きの良さを売り物としている。

明石海峡大橋架橋以前は、岩屋港(播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船・明石淡路フェリー)、富島港(西淡路ライン)など淡路島へ旅客船が頻発していた。

架橋にともない航路・事業者が再編されたものの、旅客減により航路廃止が相次ぎ、富島航路が休止となった2008年5月19日以降は、淡路ジェノバラインによる岩屋航路のみが発着している。

今日のお昼は淡路ジェノバライン乗り場前のみなと食堂でいただいた。

昭和15年創業の明石港にある食堂。 今は、よくある惣菜を並べて自ら選ぶスタイル の元祖だと言われている食堂です。

明石で有名な代表格は、蛸と鯛と穴子。
焼き穴子丼とおつくりの盛り合わせをいただいた。

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宵の倉敷河畔散策


ペデストリアンデッキは、かつて市内に存在した倉敷チボリ公園に倣った北欧的な雰囲気で、小さな屋外ステージもある。

駅前ロータリーにある時計台のからくり時計もアンデルセン童話がテーマになっている。

階下は観光バスやタクシー、自家用車が止まるロータリーになっています。

アンデルセン広場の階段上にいるアンデルセンの銅像。

人の往来が絶えない倉敷川畔から道一本隔てた、静かで落ち着いた時間が流れる本町通り。

古くは倉敷と早島を結ぶ街道で、倉敷川沿いより先に町となり箪笥屋、桶屋など職人達が軒を連ねる場所でした。

現在も格子戸の宿、杉玉が軒に下げられた造り酒屋、阿智神社へと続く参道など、昔のままのような風景に出会うことができる静かな通りです。

特に夕暮れ時ともなると何とも言えぬ雰囲気で散策を楽しくさせてくれる。

空も晴れ渡り気持ちのいい散策です。

今橋より美観地区の光景。

現在の倉敷川の川幅は10メートル程ですが、船による物資の輸送がされていた頃には川幅20メートル程あったとされています。

最も栄えていた時期には、約40隻の船が物資の運搬を行っていたとされています。

月も出て、いよいよ雰囲気も盛り上がる。

「今橋」は大原美術館のコレクションの多くを選定し、自らも洋画家であった児島虎次郎がデザインした橋で、菊の文様のほか龍の彫刻も施されています。

行きかう川舟がなんともいい、もう少しいたいがタイムリミットです。

阿知の藤のデザインのマンホール。
周囲には「きれいな水を 未来に!」と倉敷市章。

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ジーンズの町児島

足袋・学生服・作業服と、繊維のまちとして発展し、国産ジーンズ発祥の地として生まれ変わった「児島」。
いま児島に新しいスポットが誕生しています。

レトロな趣のある味野商店街を中心に岡山のジーンズメーカーのショップを集めた「児島ジーンズストリート」には、児島ジーンズならではの「藍染め」を特徴とし、オリジナリティーあふれるこだわりの品々が販売されており、全国のジーンズファンからの注目を集めています。

JR児島駅の階段もジーンズ。

駅長室もジーンズ。

児島地区には現在も200社以上の関連業者が存在しており、世界でも稀なジーンズ産業集積地であり、国産ジーンズの約40%以上は児島で製造されています。

21世紀のジャパンブルー
 
藍染めは天然の原料を使った草木染めの一種。
その色合いを参考に、100年以上前、ドイツで生まれた合成染料が「インディゴ」である。

インディゴはいろいろなところで使われているが、最も身近なものがデニム。
現在、日本産のデニムは発色や耐久性に特徴があり、岡山県には倉敷市をはじめデニムの生産者が多い。
新たなジャパンブルーとして、岡山デニムは海外からも注目されている。

有松絞りも藍染の伝統芸術の一つ。
東海道の古い町並みと絞りの町 有松宿
投稿日時: 2013年10月14日
有松は池鯉鮒宿と鳴海宿の間宿である。 古い町並みがそのまま残り、江戸時代の風情が … 続きを読む →

わが故郷勝山は草木染によるのれんの町として有名です。
のれんのかかる町 町並み保存地区 勝山
投稿日時: 2013年5月24日
勝山は三浦藩2万5千石の城下町である。 昭和60年に町並み保存地区に指定され、昔 … 続きを読む →

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絶品ダコの下津井漁港散策


むかし下津井回船問屋「母屋」と周辺の町並み>

下津井節で全国的に知られている下津井魚港。

北海道で獲れたニシン粕、かずのこ、こんぶなどを満載して、日本海から関門海峡を廻って北前船が行き来していた。

その頃、下津井は「風待ち、潮待ち」の良港として知られており、下津井節はこの北前船の船頭たちによって伝えられたと言われている。

「むかし下津井回船問屋」は、江戸時代に金融業と倉庫業を営んでいた西荻野家の住宅を、明治初期に回船問屋高松屋(中西家)が取得したもので母屋やニシン蔵として使われていた。

母屋を中心に、むかしの下津井にまつわるさまざまな資料を展示している。

下津井名物「干しダコ」~むかし下津井回船問屋の隣の店で販売している干しダコ

明石では干しダコの最盛期が夏であるのに対して、下津井では冬。

これは明石が産卵期を迎える前のタコを干してお盆に向け京阪神地区へ出荷するのに対し、下津井では冬の気温差を利用してより旨みを凝縮した大きな干しダコを正月に向けて出荷しているためだと思われます。

明石も下津井も潮の流れが速く、そのせいで太くがっしりした足になり歯ごたえと甘みが増すといわれてます。

下津井駅

かつての四国往来に由来する、下津井 – 丸亀航路との連絡駅であり、駅舎南側から下津井港の発着場まで連絡通路が設置されるなど、同航路との連絡の便が図られていた。

陣羽織
凌波隊の指導者が所有していたもの。

写真では分かりにくいですが、法被には紋の下に白い兎が刺繍されています。

凌波隊とは、幕末に下津井で生まれた民兵隊。
下津井に何カ所か設けられた台場を守っていた。

当時の繁栄を物語る看板。

明り取り窓。

今日のお昼は食事処「Cantina登美」で。

前の海で獲れた新鮮な魚介類を使った「蔵定食」。
海鮮丼、タコ天、あなご丼等、また、ピザやパスタなどもあります。

高い天井、太い梁などかつての豪商ぶりが感じられる。

瀬戸大橋の架橋に併せ沿岸道路が整備されたため港も近代化が進んでいるが、常夜灯や雁木が一部残っており、街中には江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の面影が残り、岡山県によって町並み保存地区に指定されている。

散策中に見かけたかわいい人形。

どの家の軒先にもアルミ缶風鈴がきらきら。

街には遊郭もありました。

北前船が港に入ると船乗り達の上陸を待ちかねているお女郎さん達が「まだかな、まだかな」と声をかけたそうです。

その「まだかな」という声が、そのまま小さな橋の名前になりました。

それを「まだかな橋」と言います。

元は海岸にあったこの橋(桟橋)も海岸の拡張工事で埋め立てられてしまいました。

今は元の海岸近くの埋め立て地の下になってしまい、わずかに遺構と思われるものが残っているだけです。

下津井港に突出した浄山には、祇園宮の社殿があり、この境内からの瀬戸の眺めは絶景です。

祇園神社下から瀬戸大橋を望む。

ここは、釣りバカ日誌18 「ハマちゃんスーさん瀬戸の約束」のロケ地。

スーさんを探すはずが美しい瀬戸内海を前に我慢できなくなり、防波堤で釣りを始めたハマちゃんとスーさんが偶然出会うシーンの撮影が行われた。

映画「ひるね姫」の舞台、倉敷市下津井(しもつい)。

ひるね姫聖地のロケ地スタンプラリーが行われており、巡回バスの「とこはい号」にも「ひるね姫」が。

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高知散策

モネの庭訪問のつなぎとして高知のビジネスホテルに2泊、朝と夜は例によって散策です。

高知駅は外観はきれいになったが、IC化は遅れているしJR民営化のとばっちりを受けて周辺の鉄道網が悪化した。

飲食街も少なく、はりまや橋周辺まで出かける必要がある。

軌道事業(路面電車)として高知市内で伊野線・後免線・桟橋線の3つの路線を、高知県内を中心としたエリアで路線バス・高速バス・貸切バスをそれぞれ運営していた。

路面電車の3路線は、はりまや橋停留場で交差しており、総延長は25.3kmで、広島電鉄に次ぐ(宮島線を除けば日本最大)規模の路線を有する。

後免線・伊野線と桟橋線を乗り換える場合は、はりまや橋(デンテツターミナルビル前:後免線から)で運賃を支払った上で、乗務員から乗換券の発行を受けると直通運賃と同額で済む。

はりまや橋、日本3大がっかり名所。

有名観光スポットだけど、行ってみたらがっかりした場所、いわゆる日本三大がっかり名所とは、札幌の時計台・高知のはりまや橋は共通の意見ですが、3つ目には沖縄の守礼門・長崎のオランダ坂など、幾つかの説があるようです。

高知城下の東郊に、名刹五台山竹林寺がある。

その山下の五台山村の鋳掛屋の娘お馬(1839~98)は、娘時代、小倉六右衛門という藩士の上女中になったが、やがて五台山の脇坊の若い僧純信(1829~?)と深い仲になった。

幕藩時代、僧の破戒は、法で罰せられた。
くりかえすようだが、僧の恋は戒律の上でも破戒で、法の上でも犯罪だったのである。

たれかが、お馬・純信の恋を知って、

  土佐の高知の播磨屋橋で、
    坊さんかんざし買うを見た

と、まことに名作としか言いようのない歌詞をつくってうたうと、作品の力で大いに流行し、ひとびとがうたった。

お馬も純信も、唄が流行してから自分たちの秘めた恋が露顕していることを知り、おどろいて国拉げ(脱藩)してしまった。

すでに幕末のさわぎがはじまっている安政2(1855)年のことである。
 
かれらは、檮原の番所からは脱けなかった。
当時はまだ檮原の番所は名だたる堅固さであったのであろう。

讃岐(香川県)ざかいの山をこえて琴平に逃げ、潜伏していたが、やがて関所破りの罪で両人とも逮捕され、高知城下で生晒しの刑をうけた。
 
国抜けは、武士ならば死罪だが、女と僧でもあり、それに原因が恋で、藩を見限ったという藩主への侮辱ではないから、軽かったのである。

晒の後、追放になった。
純信は遠く九州へ行き、お馬は藩によって仁淀川以西に住め、という追放刑を受けた。

彼女はのち須崎の大工と結婚し、明治後は東京に出て天寿を全うしたらしい。

司馬遼太郎「檮原街道」より

元来は堀川に架かる小橋であったが、1928年の土佐電鉄桟橋線延伸開業に伴う高知市の街路整備により、同市の目抜き通りに一変した。

1960年代に入ると、製紙工場からの排水に起因する市街地河川の水質汚濁が顕著となり、堀川はほぼ全長に渡って埋め立てられた。

路面電車、はりまや橋停留所を入ったあたりは商店街が密集、一大繁華街だ。

本格土佐料理 とさ市場
高知の観光名所「はりまや橋」すぐ近く!カツオの塩タタキなど高知の料理が勢ぞろい!

二日ともここで夕食。名物カツオのたたきに、銘酒、司牡丹、酔鯨と辛口の酒をいただく。

二日目は珍味盛り合わせに挑戦。

どろめ、酒盗、チャンバラ貝、まいご、のれそれと酒の肴に申し分ない。

ウツボのウス造り、最初の日に聞いたが、月に2~3回あればいいほうだ、あればラッキーといわれた。

二日目に訪れた時ダメもとで聞いてみた、あるよっとのこと、早速いただくことに。
歯ごたえがしっかりして、フグのうす造りよりもっと歯ごたえがあり、美味、酒も進む。

江ノ口川に架かるこうち橋からの夕景、おいしい魚に、うまい酒…酔いしれてホテルまでの道、夜風がほほに心地よい。

マンホールのふた、海から飛び跳ねているカツオ、雲、よさこい祭の鳴子が描かれています。

こちらは高知沖を流れる太平洋の黒潮の波と土佐湾近海を回遊するクジラがデザインされています。

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路面電車の走る街


住吉大社鳥居前、路面電車の撮り鉄ポイントの一つ。
通過中の電車はモ501形モ505、1957年に阪堺電気軌道の前身である南海電気鉄道(南海)が当時の同社大阪軌道線向けに導入したもの。

最新型のモ1001形「堺トラム」は2013年から運行している。

通称「阪堺電車」「阪堺電軌」。地元の人は「チン電」と呼ぶこともある。

なお、「阪堺電鉄」は戦前に存在した別の私鉄(通称:新阪堺で大阪市電阪堺線の前身。
1944年公営化、1968年廃線)の正式な名称であって、阪堺電気軌道のことではない。

前身の大阪馬車鉄道が1900年9月、天王寺から東天下茶屋の区間を開通させたのが最初で、堺市内は1911年12月、恵美須町から大小路の区間が開業した。

住吉大社への参拝客や一大リゾート地だった浜寺公園への遊覧客などでにぎわい、堺市内の年間の乗降客数は65年度に2千万人近くいた。

しかし、自動車の普及などで減り続け、08年度で当時の10分の1程度、約230万人にとどまっている。

あべのハルカス(Abeno Harukas)、2010年(平成22年)1月9日に着工され、2014年(平成26年)3月7日に全面開業した。

2017年現在、日本で最も高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもある。

1943年(昭和18年)4月1日に、大阪市がそれまでの15区制から22区制へ分増区させた際、住吉区が3区(住吉区・東住吉区・阿倍野区)に分区されて誕生した。

2013年現在、天王寺・阿倍野は大阪府内では梅田、心斎橋・難波に次ぐ大阪の第三の繁華街としての機能を持っており、関西地方でも有数の商業集積地となっている。

なお、区名や大阪市営地下鉄・阪堺電気軌道上町線の駅名は「阿倍野」だが、神社名と近鉄南大阪線の駅名は「阿部野」となっている。

区名の由来は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説と、『万葉集』の山部赤人の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがあるが、豪族「阿倍氏」説が今のところ有力である。

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真夏の夜の散策 祇園界隈

京の町も六道参りの人々でごった返している。

こちら花見小路はウイ変わらず外人客が目立つ。

歌舞練場の前も外人の団体。

東山区北西部の南北路。
北は三条通から南は建仁寺前まで。

四条通から北のバー、スナック街や南のお茶屋街など祇園歓楽街の中心を貫く。

明治初年、上地された建仁寺境内地に四条通から南へ同寺までの通りが開かれ、1949年(昭和24)に拡幅された。

2001年に電線類地中化、石畳の整備が完成し、情緒ある町並みへと生まれ変わった。

時折、舞子さんとも行き会う花見小路のいつもの風景だ。

この辺りは特に観光客でごった返すのだが、夜も更けるにしたがって人通りも減ってくる。

切り通しの路地、舞子の行きかう路地だが、夜はひっそりとしている。

辰巳橋から切通を見る。

祇園白川・辰巳大明神界隈は、町衆の人々による日々の清掃により、昔ながらの古都の風情を残し、歴史を感じさせる数少ない名所。

昼間の喧騒が嘘のような白川畔、私もそろそろ引き上げます。

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真夏は夜間撮影が快適


酷暑を避け、夕刻に出陣。
大阪城の大手門、時折ランニングの人に出会うくらいで全く人出なし。

千貫櫓のライトアップも美しい。

多聞櫓とトワイライトブルーのコンビ。

振り返れば下弦の月。

お気に入りのスポット、暗がりで人気もなく、少々気味悪いくらいの静けさ。

南外堀と高石垣、見えるのは六番櫓。
冷風が時折ほほを撫でていく、気持ちのいい夜間撮影でした。

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大阪駅前第3ビル展望台の夜景スポット

酷暑の夏は昼間を避けて夜間の散策がベター。

ダイヤモンド地区にそびえる「大阪駅前第3ビル」には無料の展望台が設けられています。

第1から第4まである大阪駅前ビルの中で、最も高いビル。

最上階の33階と32階の東西、計4ヶ所に180度全体に広がる展望窓が設けられています。
地上142mの高さから梅田を中心とした都心周辺を見下ろすことができます。

しかも東西に展望台があるので、東側は曾根崎・東梅田方面、西側はヒルトン・ハービス方面を眺望出来るんです。

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