亀岡散策


丹波亀山城址、明智光秀によって丹波統治の拠点として機能した城郭。

丹波亀山藩が亀岡藩に改称したのは明治2年6月19日ですが、これはその1か月前に終結した戊辰戦争が関係しています。

前年の慶応4年に勃発した戊辰戦争では、伊勢亀山藩が新政府側、丹波亀山藩は旧幕府側にそれぞれつく形になりましたが、結果としては旧幕府軍が敗れています。

このため、版籍奉還に伴う形で丹波亀山藩は明治政府から改称を迫られて、現在の亀岡になったとされています。

江戸時代初頭には近世城郭として整備された。

大正時代に新宗教「大本」が購入、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却された。

戦後再建され、大本の本部が置かれている。

大円寺の創建は天文22年(1554)、専譽周公上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。

13代室町幕府将軍足利義輝が帰依した事で寺運が隆盛し当地域の学問所として多くの学僧が集い影響力を持ちました。

古き良き雰囲気を感じられる関酒造は、明治8年創業で屋号は「井づ源」といいます。

関家は、江戸時代には今の亀岡市内に35町もの田畑を所有する富農であり、米相場の商いもされていました。

酒造りは江戸末期に副業として始め、現在の建物は江戸末期から明治にかけて建てられた物です。

昔ながらの手作りの袋しぼりで酒造りをされている。

白壁になまこ壁の伝統的な酒蔵建築が印象的な丹山酒造。

楽々荘(らくらくそう)は京都府亀岡市にある旧田中源太郎邸を使用したホテル。

1898年(明治31年)頃建築の洋館と七代目小川治兵衛作庭の日本庭園が有名。

2018年3月にがんこフードサービスが借り受けて「がんこ京都亀岡楽々荘」として改装開業した。

京都鉄道株式会社(現在の嵯峨野線)の創設者で衆議院議員・貴族院議員を務めた田中源太郎が自らの生家を改築したものである。

煉瓦造りの洋館は1898年頃に本邸として、書院造りの和館は同年頃に迎賓館として建設。洋館と和館の前に広がる650坪の枯池泉回遊式庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設されている。

今日はこちらでお昼をいただいた。

庭を歩くこともできました。

広い芝生が続く向こう側や離れの前は日本庭園になっていて、欧米の庭園の影響を受けた明治時代の庭づくり特色が伺えます。

そして作庭したのは七代目小川治兵衛(屋号「植地」)の手になるものと聞いて納得。

小川治兵衛といえば平安神宮や丸山公園、無鄰菴をはじめとした南禅寺別荘街の庭を作庭した方。

近代庭園の先駆者であり明治の名作庭家で明るく開放的な庭を作っておられます。

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なぎさ海道散策


駅舎はJR西日本グループのショッピングセンター(JR西日本アーバン開発)、ピオレ明石及び山陽電鉄明石駅と一体化している。

明石城はJR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望める。

縄張りは連郭梯郭混合式の平山城である。

丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地となった。

今から400年前の1619年(元和5年)に、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城されました。

本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、国の重要文化財に指定されています。

人丸山の地の利を利用し、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている。

築城と並行して城下町の町割りも実施され、当時小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したと『赤石市中記』『播磨鑑』『播州明石記録』『小笠原忠真一代覚書』など各史書に記録されている。

岩屋神社

社伝によると、成務天皇13年6月15日に天皇の勅命により、淡路島の岩屋より神を勧請して創祀されたと伝えられる。

同年夏に当地の子供に淡路島の岩屋の神が懸かり、当地に勧請するようお告げがあり、勧請したという伝承もある。

旧波門崎燈籠堂(通称 明石港旧灯台)は石造の灯台で、1657年に当時の明石藩主 松平忠国によって作られたと伝えられている。

古代明石港は明石川河口にあったと推測されているが、1621年 当時の明石藩主 小笠原忠真によって城造り、町造りの一環として砂浜に掘り込みを行い新たに明石港が作られた。

明石海峡大橋架橋以前は、岩屋港(播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船・明石淡路フェリー)、富島港(西淡路ライン)など淡路島へ旅客船が頻発していた。

架橋にともない航路・事業者が再編されたものの、旅客減により航路廃止が相次ぎ、富島航路が休止となった2008年5月19日以降は、淡路ジェノバラインによる岩屋航路のみが発着している。

内港は小船がひしめいてどうやって外に出るのかなと心配するほど。

魚の棚(うおんたな・「うおのたな」或いは「うぉんたな」とも)は、兵庫県明石市本町一丁目にある商業地区。

鮮魚店が多いのが特徴で、県外からの客も多く明石の観光地としても重要な位置を占めている。

過去にはマルハの創始者中部幾次郎の林兼商店(はやしかねしょうてん)などもあった。

とくに、海峡付近や播磨灘一帯で採られ明石漁港から水上げされた新鮮な魚介類を「前もの」と呼び、「明石鯛」「明石蛸」を筆頭に活きの良さを売り物としている。

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明石文化博物館

明石市立文化博物館は明石駅からほど近く、1991年10月、明石海峡を望む高台に開館。

明石の歴史と文化を「自然環境と人々のくらし」と題して八つのテーマで紹介する常設展示のほか、特別展や企画展などを開催しています。

200万年前に棲息した「アカシゾウ」の実物大模型。

アカシゾウは、明石市とそのまわりの地域から多数の化石が見つかっています。

特に1960年代までは、林崎から江井ヶ島までの海岸の崖からよく発見されました。

た、明石海峡からは現在でもしばしば漁船の網にかかって引き上げられています。

アカシゾウは、象としては小型で今の象と比べると胴の長さのわりに足が短く、肩の高さは大きな個体でも2mくらいでした。

甕、赤根川金ヶ崎窯。

明石の漁業

明石市は、明石海峡のもたらす影響により、地先海域は起伏に富んだ海底や複雑な潮流から瀬戸内海有数の好漁場であり、古くから漁業が盛んな地域です。

当地域で、営まれている漁業は、5トン未満の小型漁船を使用した小型底びき網、船びき網、たこつぼ、一本釣り、ひきなわ、はえなわなど多種多様な漁船漁業に加え、漁業者の約半数が従事するノリ養殖漁業であり、水揚げされる魚介類は「明石だこ」「明石鯛」「明石のり」をはじめ四季折々に多種多様です。

浮樽

昔の網漁のウキ。
上部の筒の中に油をしみこませた布や縄を入れ、それに火をつけて目印にした。

明石海峡のジオラマが展示されている。

明石沖で深く切れ込んだ海溝は不気味なほど、我々は普段意識することなくこの海峡を行き来している。

新門司へのフェリーで何度この海峡を行き来したことか、海峡の深さを意識することなく・・・・・

日の出の瀬戸内航路
早朝5時小豆島沖を航行中、闇には灯台の灯りが時折り灯る。 低い雲間からの日の出。 … 続きを読む →

明石海峡大橋を過ぎたあたりは好漁場なのかおびただしい数の漁船が出漁中。
遠景に湾岸道路、京阪神の街並み。

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子午線の街明石


明石市立天文科学館は、兵庫県明石市にある、日本標準時子午線上に建つ「時と宇宙」をテーマとした博物館。

手前のドームがプラネタリウム投影室。

壁面に子午線の街のイラストが・・・・

一番館の玄関横を通る子午線上に漏刻が設置され、また「JSTM」(Japan Standard Time Meridian=日本標準時子午線)と表示された時計塔がある。

この塔は東経135度の日本標準時子午線の直上に建設されており、日本標準時子午線を示す標柱の役割もある。

漏刻について

近江神宮の御祭神天智天皇は、その10年(671)4月25日に漏刻を作り、大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始されました。

その10年ほど前、斉明天皇の6年(660)にも中大兄皇子が漏刻を作られたとの記述があり、どちらにも「初めて」と書かれているので、その関係はよくわかっていません。

そして斉明6年の方には日付がないので、天智10年のその日を太陽暦(グレゴリオ暦)に直して6月10日を時の記念日とされました。

飛鳥資料館
1970年閣議において飛鳥地域の出土品などを保管するための施設の建設が決定され、 … 続きを読む →

漏刻とはサイフォンの原理を利用した水時計。

当館の模型は中国の故宮博物院に遺されている清代の漏刻を参考にしている。

漏刻の目盛りは現在時11時20分を指している。
「あきつ」の古名を持つトンボがメモリに使われている。

展望室からは明石の街が一望。

天文学では、地平線上の真北から天頂を通って真南へ至る天球上の仮想的な大円を子午線と呼ぶ。
従って北半球では天の北極、南半球では天の南極が必ず子午線上にある。

1884年、国際子午線会議で英国グリニッジ天文台を通る子午線を世界の時刻の基準となる本初子午線とし、そこから15度離れるごとに1時間ずつ時差のある時刻を各国が採用することを決めた。

日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っています。

北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。

それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。

早い者勝ちで決まった「日本の標準」・・・・嘘のような本当の話。

日本標準時の制定は86年。
明石市最初の標識はその14年後、標準時子午線の重要性をいち早く認識した明石郡校長会が立てたものだ。

この標識は場所は移ったが、今も明石市天文町の交番前にある。

明石市立天文科学館から南に延びる子午線のライン、5最初の標識とある地点が今も明石市天文町の交番前にある。

公園にある「時のふるさと明石」の像、子供たちが背負う地球儀にもちゃんと子午線が引かれている。

柿本神社前の水平日時計。

東経135度をしめす標柱、高さ7m・直径15cmの鉄柱で、上部に地球の子午線を象ったカゴ球がのり、トンボが上に止まっています。

日本の古名《あきづしま》に因むトンボ(あきづ・あきつ)です。

夜には、カゴ球の内側に赤いランプが点灯します。

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太陽公園 城のエリア


「城のエリア」は2009年(平成21年)4月19日にオープン。

2006年(平成18年)から建造され始めたこの城はドイツ南部にある有名なノイシュヴァンシュタイン城と非常に良く似ている。

世界で一番美しいと謳われる、ドイツにあるノイシュバンシュタイン城を3分の2スケールで再現。

なお、白鳥城へのアクセスは専用のモノレール(嘉穂製作所製のスロープカー)を利用するか徒歩で山を登ることになる。

モノレール始発駅になる山麓にはレストラン、土産物店などを備えたウェルカムハウス「スワン」が在る。

お城の中はトリックアートが展示のメインになっている。

少し怪奇な雰囲気。

お城の壁面にはかわいい少女像。

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太陽公園 石のエリア


パリのシャンゼリゼ通りにある「エトワール凱旋門」、奥には巨石群が並ぶ。

公園は社会福祉法人愛光社会福祉事業協会(太陽福祉グループ)によって運営され、また同施設は障害者の雇用の場にもなっており、入場料等の収入は障害者への給与等に充てられている。

園内には三光園、愛光園などの福祉施設が併設されている。

有名なイースター島のモアイ像、なにか違和感を感じますが、目を見開いているからだと気付くまでに少し時間がかかります

アステカのチャクモール。

ベルギーの首都ブリュッセル市街中心部、グランブスのブリュッセル市庁舎にある、放尿する少年のブロンズ像。

世界各地に小便小僧はあるが、これが本家と言われる。

本場中国の兵馬俑博物館において作成した兵馬俑のレプリカを、なんと1,000体展示!

発掘当初の情景、上土を2メートルほど取り除くと、ゴザを敷き詰めた痕跡と丸太が現れ、丸太を取り除くと胸から腰まで土に埋まって壊れた兵馬俑が出現。

当初、兵馬俑は全て美しい極彩色で仕上げられていましたが、発掘され空気に触れると数分または数時間で色が薄れてしまいました。

鶏足寺、木の葉が色づき始めています。

おびただしい数の五百羅漢。

今日は紫禁城の庭で弁当にしました、涼しい風が吹き渡り心地よい。

双頭寺、境内から見上げると青空に突き出た二つの塔が見えます。

万里の長城の入り口。

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吉城園


鹿の居場所、どうもいつもとは違っているような感じがする。

コロナの影響で人出が減り、鹿の出没する場所も変わってきたのではないか。

吉城園があるのは奈良県庁の東部、歴史ある奈良のお屋敷町といった土塀や白壁が多く残る一角。

県庁の東北側にある登大路町という交差点から東へ入った地点に入り口があります。

池の庭 – 江戸時代からの自然の地形、起伏、曲線を巧みに利用し、西に建つ旧正法院家住宅と一体となるよう造られている。

蹲かな、それにしても大きい。

吉城園は、「興福寺古絵図」によると同寺の子院の摩尼珠院があったところとされています。

明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。

企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。

苔の庭 – 全面が杉苔に覆われた庭園で、茅葺屋根の離れ茶室と一体となり閑静なたたずまいを見せている。

地下に飛火野と同系の地下水脈が流れていると言われ、杉苔の生育に適した土地となっている。

切妻屋根が三つ(二つの向こうにもう一つ見えます)並んだ珍しい茶室です。

斑入りツワブキ。

斑入りや八重咲き、丁字咲き(花芯が発達してアネモネ咲きになる品種)などの園芸品種が栽培されてきました。

「離れ茶室」の南側にある石灯籠と手水鉢。

鉄鉢型の手水鉢は苔で覆われ趣がある。

竹で造られた水を流す樋は筧と呼ぶ。

手水鉢の右手にある石は湯桶石(手を清めるために一時的に茶室で使う湯桶を置く石)、手水鉢の左手にある石は手燭石(夜の茶会で使う手燭という明かりを一時的に置く石)がある。

手水鉢とこれらの石をあわせて蹲踞と呼ぶ。



礎石のようなものも使われています。

日本庭園の魅力は「苔」と「砂利」と思っている。
曲線美のグリーンとシルバーが見事に調和。


茶室の東側は杉苔でおおわれたお庭です。

離れ茶室内杉戸絵、羅俘山の扁額。



観光客の数もそれほど多くないため静かな写真撮影などには適した空間にもなっています。

秋には「苔の庭」の周囲のモミジが色付き、美しいコントラストも楽しめます。

観光客で溢れる東大寺や奈良公園と違い静寂な世界。

2022年に高級ホテルの開業が予定されており、さらに整備される可能性もあり今後の変化が愉しみな庭園でもある。
(当初2019年開業であったが、2022年に延期されました。)

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アジュール舞子の夕日

「アジュール舞子」という愛称は、一般公募によってつけられました。

フランス語でアジュール(azur)は「青」。

舞子海岸が南フランスのコートダジュールのような美しい砂浜に復元され、憩いとふれあいの海辺となるよう、期待を込めて名付けられました。

かつて「舞子の浜」と呼ばれた、白砂青松の景勝地を復元した海浜公園。

明石海峡大橋や淡路島を望む公園で、海釣りやバーベキュー、ウォーキングを楽しめます。

また夏には海水浴場となり、神戸市内にありながら水質の良い海で遊泳することができます。

明治天皇は舞子をこよなく愛され、1885年以来7回も行幸された。

当時は立派な料理旅館などが並んでおり、ひときわ立派な「亀屋旅館」(廃館)がよく御在所になったという。

松林の中に歌碑があり3首 刻まれている。

はりまがた 舞子の浜の はま松の
かけに遊びし 春をしぞ思う

はりまがた 舞子の浜に 旅寝して
見し夜こひしき 月の影かな

あしたつの 舞子の浜の 松原は
千代をやしなう  処なりけり

明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大の吊橋です。

雄大な橋に向かって沈む夕日は素晴らしいものです。

海の色が素敵だと思いませんか?太陽の光を反射して、きらきら輝いています。

アジュール舞子は針の形のビューポイントが目印!

この「ピンホール(針穴)」の目印は、西宮市の建築家、岩橋翼さんがデザインしました。

高さは約170センチ、針穴の部分から景色をのぞいて楽しむこともできます。

江戸時代、「東海道五拾三次」を描いた安藤広重(1797~1858)は、「播磨舞子の浜」(口絵)で舞子浜の美しい海岸風景を描いています。

また、志賀直哉(1883~1971)は「暗夜行路」のなかで、「塩屋、舞子の海岸は美しかった。

夕ばえを映した夕なぎの海に・・」と舞子浜の様子を描いています。

大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4km、最大水深は約110m、海峡を流れる潮流の速さは最大で毎秒4.5m(約9ノット)に達します。

肉眼で泳ぐ魚も確認することができる、アジュール舞子の海は、水質調査が開始された平成17年から13年連続で最高ランクの透明度である「全透(1m以上)」と判定されています。


そろそろブルーモーメントの始まりです。

沖をシティライントラベル 1便の船が新門司へ向かっています。

幾度もこの海峡は船で通過しました船旅をご覧ください

孫文記念んがシルエットで浮かびます。

すっかり陽も落ちました、そろそろ家路へ。

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高架下


三宮センター街、元町商店街といった神戸の表向きに観光客や買い物客を多く集める商店街の裏通り的存在としてマニア、および外国人の通る姿が多く見られる通りがある。


阪急三宮高架下のチープな飲み屋街。

オジサン達のオアシス。

駅至近!安い!という事で、仕事帰りのお父さんがちょっと一杯という感じ。

男性客と一緒の女性の姿はちらほら見えますが、女性同士の客は殆どいません。

このあたりはハッピーアワーやサービスタイムというシステムがあって、お店によって時間や値段は違う。

三宮センイ商店街、ピアザkobe(三宮高架商店街)、阪急西口本通2・3丁目会、阪急西口商店街、PLiCO三宮や飲み屋街などが軒を連ねる。

戦後の闇市をルーツとする説がもっとも多くある、高架下の耐震補強工事もあり存続が注目される。

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神戸中心部にある唯一の日本庭園 相楽園


相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m²の都市公園・日本庭園。

日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。
ツツジの名所として知られる。

旧小寺家厩舎

この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。

相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つ。

建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造。

外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。

旧ハッサム住宅

設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。

竣工は1902年。
広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。

明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。

1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。
落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。

前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯。

三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。

当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。

小寺邸内にあった茶室「浣心亭(かんしんてい)」は神戸大空襲で焼失、戦後に離れのあった、池の南側に新築された。

常時公開はしていませんが、ツツジが綺麗に咲く4月〜5月に、「つつじ遊山」という毎年恒例のお茶会イベントで一般公開されています。

船屋形(ふなやかた)は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物”川御座船”。

御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。

なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。

池越しにパーラーを望む。

石段を下り、沢飛石を越えると石で囲まれたトンネルがみえてくる。

沢飛石の右手には二段落としの滝石組が作られている。


石組み・石橋・飛び石・敷石

伊予青石、丹波石、御影石、鞍馬石などを贅沢に使用しており、いろいろな表情を楽しめます。




今日のお昼はこちらのパーラーで。

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