関西学院発祥の地


関西学院は, 1889(明治22)年に 米国メソジスト教会から派遣された宣教師 W. R. ランバスが 神戸市郊外の 原田村(現在の神戸文学館の場所)に 旧制中学「West Japan College = 関西学院」を設立したことに始まる。

第4代の学院長であったカナダ人宣教師 C. J. L. ベーツは、“Mastery for Service”をスクールモットーとし、関学での在職期間は30年以上にも及び、この間に 1929(昭和4)年に 西宮の上ヶ原にキャンパスを移転し、1932(昭和7)年 関西学院大学を設立するなど、関西学院の基礎を作った。

戦後 1948(昭和23)年に新学制により現在の関西学院の組織となった。

神戸文学館は、明治37年(1904)関西学院のチャペルとして建てられた由緒ある建築。

歴史を感じる赤レンガ造りのチャペルの外観をそのまま残して平成5年4月に、尖塔部分も完全に復元し、以来王子市民ギャラリーとして神戸市民に親しまれてきました。

平成5年4月、設計・一粒社ヴォーリズ建築事務所、建築・新井組により、明治37年(1904)建築当時(110年前の外観)に甦った。

戦災で失われたままだったチャペルの尖塔や柱頭の飾りを古い写真を元に再現された。
柱頭の飾りは、アカンサス模様でまた梁の根元にも彫刻が施されています。

このチャペルの特徴は、ハンマービーム・トラスと呼ばれる大きなアーチ型の梁を組んで屋根を支えているところです。

スパン10.6mもあり歴史的にも貴重な建築物です。
外壁は焼夷弾により焼けた傷跡のあるレンガを一部そのまま使っています。

レンガの積み方はイギリス積み(レンガには他にフランス積みアメリカ積み等がある)。
 
瓦も昔の瓦の色に合わせて、数種類の瓦をまぜてわざと古い感じを出しています。
ステンドグラス窓にも大きな特徴があり、色は2種類ですがラムネ色をしています。

また窓ガラスにも特徴があり葡萄曼文様の装飾(エッチング)が施されています。
窓ガラスの開閉取っ手も、飾り石と同じ模様で造られています。

向かいの兵庫県立美術館 原田の森ギャラリーは、兵庫県神戸市灘区原田通にある美術館。

建物は建築家村野藤吾最初の美術館作品である兵庫県立近代美術館として1970年竣工、近代美術館の主要コレクションは2002年4月にHAT神戸に誕生した兵庫県立美術館「芸術の館」に継承された。

現在は「芸術の館」の分館「原田の森ギャラリー」として、美術団体の活動や情報収集、交流の場となっている。

西館として利用されていた建物は、改修されたうえで2012年11月3日より同一の事業主体、管理者による横尾忠則現代美術館となった。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

ハンター旧住宅

1889年頃の建立。1966年6月11日に国の重要文化財に指定されている。
現存する異人館の中では最大級であり、明治時代の最も優れた洋風建築の一つと評価されている。

住宅は移築時に大幅な改造が行われ、開放されていたベランダに当時貴重な窓ガラスが全面に嵌め込まれ、現在の特徴的な外観となった。

その後1963年に北野町から王子動物園に移築され、国の重要文化財として保存処置が講じられている。

北野町には在りし日の名残でハンター坂という地名がある。

住宅は南を正面とする2階建てで、西北隅に3階建ての塔屋が付属する。

この塔屋の1階部分に玄関を設け、そこから東西方向に廊下が延び、廊下の南に3室が東西に並ぶ、片廊下式の間取りである。

阪神・淡路大震災により、れんが造の煙突2本のうち1本が折れ、室内に落下したため、東広縁部が全体に崩壊するなど大きな被害を受けた。

東広縁部を一旦解体し、補修して組み直し、煙突の復旧、内壁の塗りかえ、建具の補修を行った。

1階の3室は書斎、応接室、食堂と名付けられているが、創建当時の各室の用途は不明である。

1階の南側と東側は菱格子を組み込んだガラス戸で囲われたベランダとする。

南側ベランダには2箇所に突出部を設け、突出部の上にはペディメント(切妻破風)を設ける。

1階居室は、ベランダの突出部に対応する位置(2箇所)にベイウィンドー(出窓)が張り出している。
創建時にはベランダは開放で、居室のベイウィンドーが外に面していた。

エドワード・ハズレット・ハンター(Edward-Haslette Hunter)氏は、1843年(弘化3年)英国アイルランド州ロンドンデリー市に生れ、1864年(慶応元年)21才のとき横浜の商社員となり、神戸港が開港されるとすぐに神戸に移り、小野浜にできた造船所に入った。

その後独立してE・H・ハンター商会を設立する一方、大阪安治川□に大阪鉄工所(現在の日立造船)を創設するなどのほか、精機・精米・煉瓦・煙草などの会社をつくり、当時のわが国産業界に大きな貢献をした。

ハンター氏夫人は、大阪の薬種問屋平野氏の娘愛子で、夫をたすけると共に、婦人会・日本済生会・神戸保育院などの公共事業に力を尽くし、賢夫人の誉れが高い方でした。

ハンター氏は1917年75才で永眠し、神戸の再度山修法ヶ原外人墓地に葬られています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

王子動物園

1928年に諏訪山公園内に開園した諏訪山動物園(1946年閉園)を前身に開園。

1950年に開催された日本貿易産業博覧会(神戸博)の跡地を利用して1951年3月21日に現在地に移転・開園した。

総面積は80,618m2、ジャイアントパンダ・コアラ・アムールトラ・アムールヒョウ・ユキヒョウなどの希少動物をはじめ138種、778点の動物たちが飼育展示されている。

フラミンゴ

フラミンゴ(Flamingo)という名前はラテン語で「炎」を意味するflammaに由来。

和名はベニヅル(紅鶴)だが、ツル(ツル目)とは近縁でなく、標準和名もしくはその一部としては使われない。

パンダは食事中でした。

現在、日本で唯一ジャイアントパンダとコアラを同時に見ることができる動物園である。

1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。

後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った。

これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。

探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。

その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。
その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。

ホッキョクグマ

和名はホッキョクグマであるが、俗にシロクマと呼ばれることも多い。

日本初のホッキョクグマは、1902年(明治35年)の恩賜上野動物園。
この時、上野動物園では、新潟県で捕獲されたアルビノの白いツキノワグマを飼育しており、それを「シロクマ」と呼んでいた。

そのため、北極の白いクマのほうには「ホッキョクグマ」という和名を付けたことが名の由来である。

ボブキャット

ボブキャットはオオヤマネコが進化したものと考えられており、その先祖は更新世の時代にベーリング海峡からアメリカに渡り、260万年前頃に住み着いたのではないかとされている。

最初の頃は現在のアメリカ南部に土着したが、北からの氷河により多くが亡くなったとされる。

現在のようなボブキャットに進化したのは2万年前頃と言われている。

二つ目の波はアジアから北部へ移住したもので、それが今日のカナダオオヤマネコとなった。
ボブキャットとカナダオオヤマネコの雑種は発生することもある。

シベリアオオヤマネコ

オオヤマネコ(Lynx lynx)は、哺乳綱食肉目ネコ科オオヤマネコ属に分類される食肉類。
ヨーロッパおよびシベリアの森林に棲息する中型のネコ類である。学名 。別名シベリアオオヤマネコ。

プレリードッグ

雄1匹に対し、雌数匹という一夫多妻制で、コテリーと呼ばれる家族を形成する。

なわばり意識が強く、他のコテリーの雄が進入してきた場合、互いにお尻の臭腺から臭いを出し威嚇し合う。

なわばり争いでは敵対する雄を生き埋めにすることもある。
稀に、埋められた穴の反対側から生還する個体もいる。

また、口と口でキスをしたり、抱き合ったりすることで挨拶を交す。

マヌルネコ

夜行性で、昼間は岩の割れ目、岩穴、マーモットなどの掘った穴などに潜み、夜になると活動を始めるが、時々昼間にも活動する。

主に単独で行動し、繁殖期を除けば他の個体と出会うことすら稀である。

脚はあまり速くないので主に待ち伏せ、尾行による狩りを行う。
その際身を隠すのに背の低い植物や岩の多い地形を使う。

カバ

頭部は大型、顔の側面に鼻・眼・耳介が一直線に並んで位置する。
これにより水中から周囲の様子をうかがいながら呼吸することができる。

鼻孔は内側の筋肉が発達して自由に開閉することができ、水中での浸水を防ぐことができる。

2015年(平成27年)動物園周辺に設置しているマンホールの蓋が新しいアニマルデザインのマンホール蓋にリニューアルした。

ジャイアントパンダとコアラ、集団で見られる鮮やかな色のフラミンゴ、ゾウ、キリン、トラやチンパンジーの全部で7種類の動物をイラスト化しています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

風の教会


兵庫県神戸市の六甲山の頂き近くに立てられた教会堂、通称・風の教会。

大阪府茨木市の光の教会、北海道の水の教会と合わせて、安藤忠雄氏の「教会三部作」のひとつに数えられている。

教会堂は宗教施設ではなく、旧六甲オリエンタルホテルの付属施設として建設された結婚式場となっているが、2007年のホテル閉鎖後は通常使用されることなく硬く扉を閉ざしている。

教会三部作…どっと安藤忠雄ファン「風の教会」3年ぶり一般公開 9月まで六甲ミーツ・アート会場で公開されている。

躯体に直方体の塔が載り柱廊は、すりガラスの半透過の空間が特徴的。

コ\ネードは礼拝堂入口付近で敷地の傾斜に合わせ段差を設けている。

光を透過するコロネードを通り鉄の扉を開けると、スリット窓から差し込むわずかな光しか届かない教会堂のエントランスが現れる。

安藤氏の建築の代名詞ともいえる「コンクリート打ち放し」で建設した礼拝堂。

宗教施設ではない結婚式場としての依頼とはいえ、安藤氏自身は中世ロマネスクの教会堂建築がもった神聖な空間をつくり出すことを目的とし、装飾的要素を最小限にとどめ粗削りな石材で作り上げられたフランスのセナンク修道院などを参照して設計にあたった。





関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

ジーライオンミュージアム(赤レンガ倉庫とクラシックカー)


ジーライオンミュージアム(GLION MUSEUM)は、94年の歴史を誇る赤レンガ倉庫にある、クラシックカーミュージアム。

当時の雰囲気を大切にする雰囲気もおしゃれで、いうなれば大人の愉悦場。
ステーキハウスやカフェを併設した、五感を揺さぶる複合施設。

ヨーロッパやアメリカ、そして日本の様々な年式の名車が常時120台以上、屋内・屋外に展示されています。

赤レンガ倉庫とクラシックカーの組み合わせはインスタ映え間違いなし。
屋外での撮影は夕焼けと夜のライトアップが特におすすめ。

そうこうしている内に空が晴れ雲がくっきり、いい雰囲気です。

手前にある「CAFE1923」というレストランに入ってみる。

赤レンガ倉庫が建てられた1923年にちなんで「CAFE1923」という名前がつけられています。

店内に展示されているクラシックカーと共に、優雅な時間をお愉しみ、ランチビュッフェもやっており、ちょっと贅沢なランチにしたい人におすすめ。

ここは大阪港の天保山の反対側、南へ下る高速湾岸線の巨大な赤橋の側にある レンガ倉庫群。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

やきもの散歩道の素敵なオブジェたち


常滑を知るためのコースは、2通り設定されています。

Aコースは、やきもの散歩道の名所をぐるっとまわる1.6キロメートルの道のり。
Bコースは4キロメートルで、車やバスを使って常滑市全体の観光スポットをまわるのにおすすめ。

そして散歩道には素敵なオブジェたちが沢山。

立ち寄りグルメもハズせない、ギャラリーカフェでゆったり過ごしたい・・・



関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

やきもの散歩道で出会える猫たち

やきもの散歩道には、猫をモチーフにしたオブジェや置物がたくさん。
古風でシブめな招き猫からスタイリッシュな猫まで、今回の旅で出会った猫たちをご紹介します!






関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

常滑 やきもの散歩道 旧窯を使用した展示


他の店でも見られる旧窯を使用した展示スペース。
入り口にはいきなり般若。

いやがおうでも目があってしまう奥の翁面から目をそらすのが大変。

中に入ってみる。手前には売り物が多く展示されているが、往々にして高価。

高温で焼かれた壁面の色、得もいえぬ風情。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

常滑 やきもの散歩道 煙突のある風景


昭和初期の常滑の町には何十本もの煙突が林立し黒い煙がもくもくと立ち上がり活気に満ちていた。

その頃の主力製品は土管で、常滑港から出荷された。
それが今では窯はガス釜となり、陶器製の土管は使われなくなり、無用の煙突の数はどんどん減り続けた。

また、市名の由来はその土壌にあると言われており、「常」は「床」、「滑」は「滑らか」という意味で、床とはつまり地盤のこと。

古くからこの地は粘土層の露出が多く、その性質が滑らかなため「とこなめ」と呼び、そうした習俗が地名として定着していったと考えられている。

市の中心部には、レンガ煙突が点在するなど、窯業で栄えた古くからの町並みがそのまま残っている。

この地域はやきもの散歩道として整備されており、登り窯や黒板塀、「土管坂」などの情緒ある風景が見られ、前衛作家などのギャラリーも多く存在する。

常滑 やきもの散歩道 登り窯


散策コースの折り返し点にある「登窯」は長さ22m、最大幅9.6m、高さ3.1m。一周しましょう。

裏側に10本煙突があり中央部が低く外側が高い構造です。
裏の雑木林には風が吹き抜け、歩いてきて汗ばんだところに涼風が気持ちよい場所です。

「登窯」は8つの部屋があり、20度の傾斜で登ります。

窯は覗けるのでその奥行を実感できます。「登窯(陶栄窯)」は1887年に30人の窯仲間により作られたもの。

明治末期に60基も常滑にあった「登窯」、昭和49年に最後に残ったこの「陶栄窯」が操業を停止し、その使命を終えました。

「登窯(陶栄窯)」のスケールを実感!

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!