阿波(あわ)へ行く路 淡路 洲本城

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江戸時代まで淡路島は阿波の国だったと言っても知らない人が多いかも知れない。

庚午事変(別名稲田騒動)とは明治維新の際に阿波徳島藩の内部で起きた内輪もめで、徳島にとってみれば、江戸期を通して阿波徳島藩の領地であった淡路島がこの内輪もめのせいで結果的に今の兵庫県に移ったという実にばかげた事件が発端です。

三熊山に最初に築城したのは三好氏の重臣・安宅治興であった。
熊野水軍の頭領である安宅氏は、最初に由良(淡路島・洲本市)に城を築き、そこを本拠地として島内八箇所に築城をしたとされている。

そして、そのうちの一つが洲本城である。
時は室町時代の末、1526年(大永6年)で、当時洲本城は石垣の城ではなかった。
治興の後は、その養子安宅冬康が入り、冬康死後は長男信康さらには二男清康へ受け継がれていった。

現在の洲本城跡は、市街地の南にそびえる標高133mの三熊山山上にあり、戦国時代から江戸時代にかけて淡路国統治の拠点となった城で、現在は往時をしのぶ石垣が残っています。

洲本城下の堀脇には、「お登勢」の像が建っています。

庚午(こうご)事変を描いた船山馨が書いた小説の主人公「お登勢」は、小説からテレビへとドラマ化されたヒロインですが、極貧の身に生まれながら激動の明治維新を力強く爽やかに生き抜いた女性として描かれています。

淡路文化資料館。
淡路文化史料館は江戸時代のはじめに築かれた洲本城跡〔平城〕にあり、背後には緑したたる山、前面には城の石垣と堀のある閑静な雰囲気の中に建っています。

【洲本八狸「柴右衛門」のお話】
(現地説明板・淡路文化資料館パンフより)

昔、淡路島の三熊山に柴右衛門と言う狸が住んでいました。
柴右衛門は化けるのがとても上手で、「日本三名狸」の一匹に数えられるほどでした。

背の高さは6尺(180cm)あまり。
お腹で大太鼓のように、「ポンポコポンポコ・ポンポコポン」と腹鼓を打つ陽気な狸でした。

時には人間に化けて木の葉のお金で買い物をしたり、いたずらもしましたが、夜道に迷った旅人の案内を引き受けるような、人々から愛される狸でもありました。

ある時大阪の中座で行われていた片岡仁左衛門の芝居の噂を耳にした柴右衛門、見たくて見たくて堪らずに侍に化けて大阪へ。

例の得意の木の葉のお金で悠々と芝居小屋に潜り込み、芝居の面白さに夢中となり、その後毎日芝居小屋に通うようになりました。

しかしお金箱には毎日木の葉が入っているのを当番が不審に思い、「これは狸か狐の仕業に違いない」と考え、犬を三匹連れて芝居小屋の外で待ち受けていた所に、柴右衛門が出て来て犬に発見され捕まってしまいました。

いつまで待っても帰って来ない柴右衛門を心配した淡路の人達は、大阪から来た行商人から「何でも大阪の芝居小屋で大きな狸が犬に噛まれたそうな」と言う聞き、これはきっと柴右衛門に違いないと思い、祠を建てて柴右衛門を祀る事にしました。

麓から見上げた洲本城天守閣。

大浜海水浴場
慶野松原と並ぶ淡路島を代表する景勝海岸。

かつて浜には遥かに多くの黒松が生い茂り、「洲本大浜千本黒松」と呼ばれる景観であった。
この黒松の減少に歯止めをかけ、かつての景観を取り戻すべく、2001年から洲本ライオンズクラブにより毎年植樹が行われている。

今回は東一の門から天守を目指す。

坂道を喘ぎながら登りきったところが武者溜。

「武者溜」から西に進むと「東の丸」に通じる「東二の門」跡がある。

東の丸

八王子木戸
大永6年(1526)、安宅隠岐守治興が、洲本城を構築の際勧進したもの。

炬口の戎神社とともに洲本城の鎮守の神社である。
蛇の神様を祀っているという。
巨大な石があり、信仰の対象であったようだ。

小天守台の北東隅は、悪鬼が出入りする鬼門であると考えられていました。
そのため、鬼門除けとして石垣に屈曲部分が設けられていました。

また、鬼門除けの石垣の下方に城の守り神として「八王子社」が建てられています。

さらに天守へと歩を進める。

シノギ角(ずみ)
石垣の隅角が直角ではなく、鈍角のものをシノギ角とよぶ。
これは、古い石垣の構築法である。

奥に見える隅角部が直角の算木積みであるため、その違いがわかりやすいのではないだろうか。

石垣の修築も進められている。

本丸への大石段
本丸南の虎口へと通じる、広く大きいつくりの石段。
洲本城の威風を感じることができる。

大石段、本丸台などこの周辺の石垣は、脇坂安治在城後半期の改築と見られている。

搦手口(からめてぐち)
本丸近くの、三熊山北斜面の急峻な要害は天守を守る。
恐らく、かつてはここが大手口であったと推測されている。

天守台の南西の隅角部
関が原の戦いの後の改築と思われる。

天守台から大浜海岸を望む。

天守台からの眺望「大浜を大観」と三熊山東側展望台からの「マリーナを展望」は洲本八景の1、2に選ばれている。

芝右衛門狸(しばえもんだぬき)の祠
は、かつて三熊山に住んでいたといわれる大狸。
主郭跡の片隅には、芝右衛門狸をまつる祠(ほこら)があり、中には狸像がまつられている。

芝衛門狸の話は冒頭に説明した。

2011年(平成23年)3月はじめに模擬天守の壁面にひび割れが見つかり、補修工事を行うことになったため模擬天守への立ち入りは禁止されていたが、2013年3月から本格的に改修工事が行われ、9月までに屋根瓦の吹き替えと耐震補強工事が完了した。

改修後の模擬天守は展望台の機能は失われている。

一つだけ願いを叶えてくれるという出世観音。

本丸武者走り台跡。

近年、石垣のライトアップや周辺の樹木の伐採を行うなど整備が行われている、城ファンにとってはありがたいことだ。

長年放置した結果、いたるところで石垣に食い込んだ木の根が見られる。
樹木の伐採が進めば今人気の竹田城を上回る遺構が出現するのだが。

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洲本城へのアクセス、行き方歩き方

住所:兵庫県洲本市小路谷1272-2
電話:0799-22-3321(洲本市商工観光課)

JR神戸線舞子駅から淡路交通バス洲本バスセンター行(56分)終点下車、タクシーで10分/神戸淡路鳴門自動車道洲本ICから車で約20分

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