秀吉派それとも家康派

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信長の築城術を受け継いだ秀吉と家康、二人の天守には違いがあります。

秀吉の息のかかった熊本滋養、松本城、岡山城の天守は下見板張りの黒い城、家康が関係する姫路城、名古屋城、江戸城は漆喰の白い城です。

松江城の天守、下見板張りの外観から無骨な印象を受けます。

お城には黒い城と白い城があります。
その理由は、豊臣秀吉の築いた大阪城天守閣が 黒漆の板張りで、当時の有力大名がこれを手本にしたためです。

松本城、耐久性が高い下見板張を用い、狭い間隔で鉄砲狭間と矢狭間を並べたりするなど、様々な趣向を凝らした。

関ヶ原の戦いの後、新たに防火に優れた白漆喰 の壁の技術が開発されました。
徳川家はこれを奨 励したため、その後は白い城が多く築かれました。
だから、おおむね黒い城は豊臣系で古い様式の城、 白い城は徳川系で新しい様式の城です。

松本城の月見櫓は白漆喰の大壁で造られています。
ここにも泰平の世になって徳川の世の中が来たことを示すために増築したのかも知れません。

松山城天守。

1600年以降に造られた徳川方の天守はほとんど白漆喰を用いた大壁づくりです。

丸岡城 現在、見られる天守は、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊した後、昭和30年(1955年)に部材を組みなおして修復再建されたのである。

いつ、誰が作ったのかで、白い城か黒い城かが分かれるのです。
ま、別に豊臣方、徳川方で黒白分かれているというわけではなく、要は黒漆より白漆喰のほうが燃えにくい新素材だから、新しい城は白いんだ、ということですが。

熊本城 東側から眺めた天守閣、このアングルが一番美しい。

白と黒の分かれ目が、ちょうど「家康が天下をとった頃」だということです。

江戸時代を通じて、黒い城は減り、城といえば白というイメージが定着したため、昭和になって再建されたような模擬天守は、みんな白いのです。

高知城詰門前から天守を望む。

壁が黒い城は、安土桃山時代に作られたときに近い姿をとどめている「伝統ある城」というわけです。

彦根城 現存天守中、破風の数が最も多く、計18もある。
切妻破風の中に庇(ひさし)をつけたものは、他に例がない。

櫓に望楼をあげた古い形式の天守で、戦国から江戸時代への過渡期における貴重な遺構。
徳川家康の命により、大津城の天守を移して、形を直して建てたという。

後楽園と岡山城を結ぶ月見橋からの天守。
この月見橋の架かる旭川は、秀家築城当時に天守の外堀にする為に、わざわざ川筋を変えた川です。

会津若松城 1589年(天正17年)、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にした。
しかし、政宗は1590年(天正18年)に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。

二人の美意識を思いつつ、訪れる天守が秀吉派か家康派か見るのも楽しいものです。

天守の西隅からのアングル、夜空に浮かび上がる天守は幻想的だ。

大阪城、今でこそ壁は白いですが、実は豊臣時代の大坂城は黒かったのです。

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