真葛ヶ原 ~雙林寺~

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今ではほとんどの人が、真葛ヶ原と聞いてもピンと来ない事でしょう。
東大谷墓地への入り口と言った方が判りやすいかも知れません。

雙林寺にしても参道に墓石の見本が並べられており、一見して石屋なのか寺なのか判らないといった状況。
境内には頓阿法師、西行法師、平康頼の供養塔もあるのですが、ほとんど知る人も居ない。

観光に力を入れる気は無い様に見受けられる、せっかくの由緒ある寺が埋もれているのは残念。

山号は霊鷲山(または金玉山)。
院号は法華三昧無量寿院。
寺号は正しくは沙羅双樹林寺という。
本尊は薬師如来。

最澄を開基とし、平安時代後期の武士で後白河天皇に仕えた平康頼、平安時代後期の歌人西行、南北朝時代の歌人頓阿などが隠棲している。

鎌倉時代までは広大な寺域に17か寺の塔頭を有し、比叡山の別院となっていた。

中世には足利尊氏と新田義貞との戦いの場となり荒廃し、室町初期に時宗として再興したが応仁の乱で焼失衰退した。

江戸時代に入り、高台寺や大谷祖廟の造営にあたって寺地を献上し、規模が縮小された。
明治維新のとき天台宗に復し、のち円山公園の建設のために寺域は大幅縮小され、現在は本堂と西行堂を残すだけである。

わが恋は 松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原に風さわぐなり  慈円 (新古今和歌集)
京都・円山公園の南、野外音楽堂の東に、公園の飛び地の様な一角があります。

ここが真葛ヶ原と呼ばれる所で、鎌倉初期の天台座主慈円僧正が詠んだ歌により、和歌の名所として有名になった場所です。
往時の真葛ヶ原は、その名のごとく葛や茅の生い茂る原野であり、東山から流れ出る菊渓川の氾濫原でした。

範囲も今よりずっと広く、知恩院の三門のあたりまでの一帯を指していた様です。

真葛ヶ原は西行法師が、願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃と詠んだ場所とも言われ、かつては桜の名所として知られていました。

地蔵堂、1872年、追善のために法華塚修繕の際に、土中より見つかった。
通りかかった人が、長年の持病平癒を祈願したところ全快したとして、以後、持病平癒地蔵尊として信仰を集める。

現在、堂は境内で営業する石材店に囲まれるようにして建つ。
歴史深い寺であるにもかかわらず、中世以降の寺の辿った衰微と、特に近代、廃仏棄釈以降の激変の様を物語っている。

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雙林寺へのアクセス、行き方歩き方

双林寺公式サイト

住所:京都市東山区下河原鷲尾町526
電話番号:075-561-5553
FAX:075-561-5553

京阪三条から京阪電車「祇園四条」下車徒歩10分
京都駅から京都市営バス100, 206号系統「祇園」下車
四条河原町から京都市営バス31, 46, 80, 203, 207号系統「祇園」下車

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