琵琶湖畔散策と大津プリンスホテル

今回石山寺、義仲寺、三井寺、産元散策の旅は「大津プリンスホテル」を起点に行った。

浜大津から今日の宿泊先のプリンスホテルを望む。

古き湖(うみ)に 育まれきし 種々(くさぐさ)の
                       魚安らかに 住み継ぐを願ふ

平成19年(2007)11月11日、びわ湖ホールおよびホール前湖岸において、「この湖(うみ)を 守る約束 未来のために」 をテーマに、第27回全国豊かな海づくり大会~びわ湖大会~が開催された。

この御製(ぎょせい)は、大会に御臨席になった天皇陛下が詠まれたもの。
御製碑の揮毫は、第256世天台座主 半田孝淳 大僧正によるもの。
御製碑に使用した自然石は、大津市北比良地先の比良山系から産出した御影石です。(裏面の説明文より)

石場の常夜灯
かつて大津警察署前にあったのが何度も移設され、現在はびわ湖ホールと琵琶湖文化館の間の湖岸公園の一角にある。

高さは8.4mあり、弘化二年(一八四五)鍵屋傳兵衛・船持中らの発起によって建立されたと刻まれている。
近江・大阪・京都・尾張等からの寄進者名も見える。

なかでも近江中郡(蒲生・神崎郡等の湖東地域の総称)からの寄進者の名前が非常に多く、近江商人の活躍のほどがうかがえる。

滋賀県立琵琶湖文化館は、現在休館中。

光秀が山崎の戦いで敗れた後、拠点であった坂本城が、落城に至るまで、光秀の娘婿で重臣であった“明智秀満(明智左馬之介)”の勇壮な伝説をご紹介します。 

光秀の死を安土城で知った秀満は、救援のため急遽、坂本城を目指し出陣します。

ところが大津まで辿り着いた時(現在の大津市打出浜あたり)、秀吉軍の先鋒武将、堀秀政と遭遇してしまいます。

味方の兵が次々と討たれ、窮地に立たされた秀満は、大胆にも打出浜から、馬に騎乗したまま琵琶湖に乗り入れたと言われています。

堀秀政は、今に沈むか…と眺めていたそうですが、秀満は何とか唐崎(柳が崎という説もあります)に上陸します。
そして無事、坂本城に到着するものの秀吉の大軍に囲まれた秀満は、自ら城に火を放ち自害、遂に坂本城が落城したと言われています。

大津プリンスホテル世界的な建築家の丹下健三が設計を手掛けたシティホテル。

なぎさ公園は大津港の東からJR石山駅近くを流れる盛越川まで琵琶湖畔に約4.8kmにわたって続く細長い公園です。

大津プリンスホテル港(におの浜観光港)から遊覧に出るミシガン。

夕日に映えるホテル、客室は540室で全室が琵琶湖に面した「レイクビュールーム」となっている。

今日も静かに暮れていく。

ホテルでは最上階のレストランで食事、琵琶湖花噴水がきれい。

夜も更けて玄関の飾りも華やか。

ホテルの庭はライトアップされ昼間の美しさ。

翌朝の日の出。

日の出の光を浴びるホテル。

多くの人が日の出を見るためになぎさ公園に集まってきます。

神々しいばかりの日の出の瞬間です。

朝食は3ヶ所のレストランから選べますが、最上階のスカイレストランを選択、あけ白む湖東の風景を眺めながらの食事です。
近江富士も見えています。

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