江口の君堂 西行と江口の君を偲ぶ

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往来する貴族たち相手の遊女の里としても知られ、『遊女記』に「天下第一之楽地也」と記された江口の里も現在は、その面影はさらになく、静かな住宅地の中に江口君堂はひそかにたたずむ。
境内には西行法師と遊女・妙が詠った問答歌の石碑が建っている。
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江口君堂は正式には「宝林山普賢院寂光寺」と号し、江口の君が草創したと伝わる。

平安中期以降は、紀州熊野・高野山、四天王寺・住吉社への参詣が盛んになり、往来する貴族たち相手の遊女の里としても知られ、11世紀末の大江匡房の『遊女記』には「天下第一之楽地也」と記されている。

遊女たちは群をなし小船を操って今様を歌いながら旅船に近づき、旅人の一夜の枕を共にしたと言う。
遊女の中には没落有力貴族の子女も含まれていて多才で、歌舞・音曲にすぐれ、中には和歌をよくする者もいた。

その後元弘(げんこう)・延元(えんげん)の乱で焼失。
現在の建物は正徳(しょうとく)年間(1711~16)の再建である。

なお、大東市にある慈眼寺(野崎観音)では江口の君を同寺の中興の祖としており、慈眼寺本堂の隣りには「江口君堂」がある。

そのむかし、仁安2年(1167年)の秋、歌人西行法師が天王寺へ参詣する途中、江口の里であいにくの時雨にあい、一軒の粗末な里家で雨宿りを乞うた。
しかし、女家主の遊女妙(たえ)はその申し出を拒んだ。

そこで、西行が「世の中をいとふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむきみかな」と歌を詠むと、「世をいとふ人としきけば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と見事に返歌した。
その即興の歌が縁となって後に妙は仏門に入り、余生を人びとの相談ごとにあてたという。

江口の君・妙の前は、平資盛(すけもり)の娘とも、また藤原為盛の娘とも伝えられている。
妙(光相比丘尼:こうそうびくに)の亡き後、江口の人びとが、冥福を祈って建てたのが、江口の君堂だといわれている。

江口の君は出家して光相比丘尼と名を改める。
その後、80歳という高齢で亡くなった。

境内の一角にある、君塚と西行塚

ちなみに、この西行と妙之前の出会いを題材にしたのが能の「江口」です。

境内には西行法師と遊女・妙が詠った問答歌の石碑が建っている。
正面右側が西行法師の『世の中を厭う間でこそ難からめ 仮の宿を惜しむ君かな』が刻まれている。

左側には遊女・妙の『世の中を厭う人としきけば仮の屋に 心とむなと思ふばかりぞ』の歌が刻まれている。

境内にある常磐津塚

河川敷で土地の人たちが野球などやっている中をゆったりと淀川は流れていた。
往時の舟遊びを偲ぶのは難しい。

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江口の君堂へのアクセス、行き方歩き方
住所:大阪市東淀川区南江口3丁目13
電話:06-6328-0504

阪急京都線 上新庄駅 バス 約7分
江口君堂前 バス停下車 徒歩 約5分

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