昔、このあたりは見渡す限りの原野で、秋には虫の声が満ち、特に松虫 (今の鈴虫)の澄んだ音色が美しく、名所として知られていました。
古書『芦分船』によると、後鳥羽上皇(1180~1239)が寵愛した白拍子の松虫、鈴虫姉妹が隠れ住んだといった伝説などが残されています。
後鳥羽上皇に仕えた松虫、鈴虫の二人の官女が法然の念仏に発心し、これを聞いて激怒した上皇によって法然が流罪になった後、都を追われた松虫がこの地 に庵を結び隠棲したという。
二人の親友が月の光さわやかな夜麗しい松虫の音をめでながら道遙するうち虫の音に聞きほれた一人が草むらに分け入ったまま草のしとねに伏して死んでいたので残った友が泣く泣くここに埋葬したという。
「古今集」松虫の音に友を偲び
秋の野に人まつ虫の声すなりわれかとゆきていざとむらわん
能「松虫」
津の国阿倍野で酒を売る市人の下に、毎日のように友達と連 れ立って来て、酒宴をして帰る男がいた。
今日もその男たちが やって来たので、酒売りは訳を尋ねる。
昔、この阿倍野の原を連れ立って歩いている二人の若者があり、その一人が松虫の音に魅せられて草むらの中に分け入ったまま帰って来ない。
もう一人が探しに行くと草の上で死んでいた。
死ぬ時はいっしょにと思っていた男は、泣く泣く友の死骸を土中に埋め、松虫の音に友を偲んでいるのだと男は話し、自分こそその亡霊であると明かして立ち去る。
酒売りが回向をすると亡霊が現れ、 回向を感謝し虫の音に興じて舞うが、暁とともに姿を消す。
松虫塚には古来数々の伝説がありますが、この地が松虫(今日の鈴虫)の名所であったところから、松虫の音にまつわる風流優雅な言い伝えが多く、七不思議の神木とともに尊崇されてきました。
昔は琴謡曲や舞楽などを修める人々の参詣で賑わったと伝えられていますが、近年は芸能全般、技術関係などすべての習いごとの習得を願う方たちから崇敬されています。
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