東大寺の鎮守手向山八幡宮~奈良

手向山(たむけやま)八幡宮は東大寺八幡宮ともいい、奈良時代聖武天皇が大仏の造営をされた時、これに協力のため749年(天平勝宝元年)に宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請することになった。

宇佐八幡神が豊前豊後以外の土地に勧請された最初の八幡宮といわれる。

当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建した。

当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。

創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。

手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。

境内はかなり広い。

美しきものを集めて落葉焚き      八洲彦

奈良県出身の有山八洲彦作。

万葉歌碑
「 秋萩の 散りの乱ひに 呼びたてて  鳴くなる鹿の 声の遥けさ」 湯原王(巻8~1550)

湯原王は志貴皇子の子で天智天皇の孫に当たり、官位にこそ恵まれなかったが19首が万葉集に残る。

特に情景を詠んだ歌に独自の感性が光り、天平前期を代表する歌人の一人に名を連ねている。

ハギは万葉集の花としては最もポピュラー。
最多登場の142首を数える。

細い茎に小花をびっしりつける姿は決して艶(つや)やかさはないが、目を凝らせば豪華で可憐(かれん)。

南の鳥居。

崩れかけた塀が年代を語る。

瓦をランダムに横に入れた構造で、古代の「築地塀」に比べて変化に富む。

御髪塔は十三重石塔で、聖武天皇が大仏殿で受戒した際の髪を埋めた所とか。
また、東大寺の鐘楼の鐘を吊るすのに使われた女性の髪を埋めた所とも。

五時きっかりにすべての門が閉じられてしまった。

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手向山八幡宮へのアクセス、行き方歩き方

住所:奈良県奈良市雑司町434
電話:0742-23-4404

JR奈良駅から奈良交通の市内循環バスに乗車、「大仏殿春日大社前」下車。徒歩15分。
近鉄奈良駅から徒歩30分。